第十二章その3 的中した嫌な予感
9月中旬、土日と敬老の日が連続してくれたおかげで、俺たちは夏休み明け初めての3連休を迎えていた。
だが学園祭を控えた吹奏楽部に、連休を満喫している余裕はない。体育祭のマーチングに文化祭にと盛りだくさんなこの季節、練習時間はいくらあっても足りないものだ。
「皆さん、このテンポならだいぶまとまってきましたね」
1日練習の総仕上げに当たる合奏で、手島先生も初めて及第点といった顔を見せる。
難曲の『エル・クンバンチェロ』も、テンポ120ならなんとか様になってきた。たくちゃんのボンゴロールはじめパーカッションの皆さんも正しくリズムを刻めているし、木管の連符も聞き苦しさは感じられない。本番までは3週間ちょっと、思ったよりも早くここまでこられた印象だ。
「それではせっかくなので、インテンポ(正しいテンポ)でやってみましょうか」
そう言って先生は先ほどよりもタクトを振る手を速める。
が、やっぱり譜面通りのテンポ144になるとどうもそろわない。あまりの速さと連符に、各々が追い付いてこられないようだ。
「どうしましょう、もう少し落としてみますか?」
早々に演奏を中断して、先生はちらりと部長に目を向ける。
「本番インテンポでいけるなら、それでお願いします」
だが部長はまっすぐ先生を見据えたまま、迷うことなく即答した。他の3年生も同じようで、皆楽器を手にしたまま真剣な目つきで指揮者を見つめていた。当然、異論が出てくるなどあり得ない。
最後の文化祭に賭ける熱意を先生も感じ取ったのだろう。困った表情をふっと崩すと、「わかりました。それでは132くらいでいってみましょうか」と再びタクトを掲げたのだった。
指揮棒が持ち上がると同時に、松子も大小ふたつの三角錐のつながったアゴゴベルをかまえて演奏の準備に入る。いつものコントラバスではなくパーカッションを担当する松子だが、この曲のおいて既に彼女の存在は無くてはならないものになっていた。
連休はあっと言う間に最終日の9月15日、敬老の日を迎えた。
「え、今日は手島先生来てないの!? なんで!?」
朝一番、愛用のユーフォを抱えて意気揚々と部室に乗り込んできた大久保さんがぎょぎょっと目を剥いて叫ぶ。せっかく手島先生に堂々と会えると思ったのにと、本心がダダ漏れだった。
「今日優勝が決まるかもって言って、甲子園球場まで飛んで行っちゃいました。皆さんも今日はテレビで応援しましょうって。だから練習も午前で終わりなんです」
ピストンにオイルを垂らしながら、俺は淡々と返した。元々この日は根詰めすぎるのも良くないということで午前練で終わりだったのだが、着実に白星を重ねるナインの姿を見て我慢できなかったのだろう。まさか練習日に先生がいないなんて、前代未聞だよ。
「あーそうか、あの人昔っからかなりの阪神ファンだったみたいだからなぁ。何でもお父さんが熱狂的なファンで、まだ小さかった手島さんをよく球場まで連れて行ってたらしいよ。バックスクリーン3連発もスタンドで見たんだってさ」
あれってたしか1985年だから、先生まだ小学校低学年くらいじゃ?
「ねえ、今日の映画、結局どれ見る?」
「えっと……迷うなぁ」
部室の一角では、徳森さんとその仲良しグループが映画館のパンフレットを眺めていた。せっかくの半ドンを友達同士、思う存分謳歌するつもりのようだ。
「あ、それクソつまんないからやめとけ。同じクラスのヤツが見に行って後悔したって言ってたぞ」
パンフを裏から覗き込みながら徳森さんに耳打ちする。聞いて彼女は「マジ? じゃあやめとこ」と選択肢からひとつ外したのだった。
「砂岡君も行くのかい?」
「いえ、俺今日はゲーム買いに行くんで。この前出たテイルズの新作」
いくら風タクが神ゲーでも、何周もしていたらさすがに飽きる。ここいらでひとつ、クリアまでじっくり取り組むタイプのRPGが欲しかったところなんだ。
「とか何とか言ってバレバレだよ、みやぽん来ないから気が乗らないってだけっしょ」
けらけらと笑う徳森さん一味に、俺は「うっせえ!」と軽く拳を振り上げる。傍で聞いていた部長や筒井先輩も、楽器を磨きながらくすくすと笑っていた。
あー、宮本さんも松子もまだ来てなくて良かった。本人はもちろん、松子なんかが知ったら明日うちのクラスの話題は9割が俺の色恋沙汰で占められてしまうからな。
「そういえば……松子まだ来てないなぁ。何か聞いてる?」
ふとあの気の抜けた面を思い出して、俺はふと徳森さんに尋ねた。
「いや何も。いつもならもう来てるのにね」
だが彼女も心当たりは無いようで、他の部員たちと一緒に壁に掛けられた時計を見上げるばかりだ。
その時だった。廊下の外をつかつかと大きな足音が近付いてきたかと思ったら、部室の扉ががらっと勢いよく開け放たれたのだ。
「おう、吹奏楽部!」
現れたのは剣道部顧問の体育の先生だった。鬼瓦のような面構えにでかい声と、教師陣でも屈指の威圧感を誇る男の予期せぬ登場に、まだスイッチの入っていなかった吹奏楽部員たちはびくりと跳ね上がる。
おそらくは剣道部の練習のため出勤していたのだろう。うちの剣道部は学校で一番休みの無い部活として有名だからな。
「さっき2年の松井から電話があった。病院行くから今日は部活来られないそうだ」
「え、松井先輩が!?」
「ホ、ホントに?」
途端、部室がざわめき立つ。
まさかの事態に、俺も絶句してあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。あの風邪すらひかなさそうな松子が病院だなんて、何の冗談だ?
「何の病気ですか!?」
「そこまでは聞いてない。でも心配はするなって……ん?」
ぐるりと部室を見回していた先生が、ぴたりと顔の動きを止める。ぼうっと突っ立っていた大久保さんが視界に入ったのだ。
「おいそこの男、入校許可証は持ってるか?」
ドスの利いた低い声。見るからにビビっている様子の大久保さんは「あ、はいはい……」と慌てて胸ポケットを探る。
だが肝心の許可証が見つからないのだろう。冷や汗を垂らしながら「あれ?」と目を丸め、ズボンのポケットやら楽譜を入れてきたトートバッグにも手を突っ込んだものの、肝心のブツは出てこない。
「おかしいな……どっかに落としたのかな?」
そうこうしている間にも、先生は大久保さんのすぐ前までじりじりとにじり寄っていた。
「ちょっと職員室まで来てもらおうか」
「ああ、ちょっと待ってください。僕ただ指導に来ただけで……ああ!」
取りつく島もなかった。先生のがっしりとした大きな手に引かれ、キャトルミューティレーションされた大久保さんは部室の外へと引きずり出されてしまったのだった。




