第十二章その1 夏よりも熱い秋
「バリサク、もっと歩幅そろえて。それとバスドラ、ちょっとテンポ早いですよ」
おなじみタイガースの帽子をかぶった手島先生の鋭い声が、放課後のグラウンドに響く。その声が上がる度に、楽器を演奏しながらグラウンドを行進する吹奏楽部員たちはぴっと背筋を伸ばし直して隊列を整えた。
ただでさえいろんな部活が入り乱れて活動しているのに、部長会議の結果とはいえ練習場所を奪われた陸上部やサッカー部は不満なのだろう。グラウンドの隅っこで筋トレをしながら、怪訝そうな視線をちらちらとこちらに飛ばしている。
だが見た目はそれなりに良い女子部員たちが学校指定のハーフパンツに白シャツ姿で楽器をかまえる姿は、彼らの目にも新鮮に映るようだ。一部アホな男子どもは練習そっちのけでこちらをガン見しており、通りがかった女子テニス部員から「キモッ」と侮蔑の眼差しを向けられていた。
公民館まつりも終わり、体育祭に向けてのマーチング練習が本格的に始まる。今日は実際に楽器を持って行進する初日、これまで手ぶらで身体に叩き込んできた動きも、いざ演奏しながらとなるとすっかり細かい部分を忘れてしまう。
強豪校ならフラッグを持ったカラーガードがいたりするのだが、うちの部にそんな人的余裕は無い。基本はグラウンドの行進と、時々楽器を吹いたまま仰け反ったりするくらいだ。演奏自体も長丁場ではなく、開会式の入場行進で『旧友』を、そして昼食後の午後の部の一発目に『レイダース・マーチ』によるマーチングを行うだけだ。
それでも最後は縦2列になっているところから、ほぼ正方形の隊列に組み直すという大技もある。この最中、スーザフォンがでかすぎて小柄な宮本さんは押し潰されそうだった。それでも頑張って息を吹き込む姿、俺は心のシャッターに収めておくぜ。
「あっつー」
休憩時間、地面に敷かれたシートの上に楽器を置いた途端、部員たちはへたり込むように崩れる。
基本インドア派が99%の吹奏楽部員だ、こんな炎天下で練習を繰り返していたらいつか全員スルメになってしまう。
ホント、こんな中でも全力疾走してる運動部の皆さんには頭が上がらないよ。高校球児はこれよりもきつい8月の甲子園のマウンドで、連日100球以上投げてるんだもんな……それにしても今年はマジでダルビッシュすごかった、あれは将来超大物になるぞ。
「9月なのにまだまだ暑いね、本番までに涼しくなってくれればいいんだけど」
スーザフォンを下ろした宮本さんは、ペットボトルのお茶を一気に半分近く飲み干していた。そりゃあんなにでっかいの吹きながら歩き回ったら、体力持ってかれるわな。
そして暑さと疲れで無意識の行動が表出してしまっているのだろうか、なんと彼女はシャツの前側をつかみ、ぱたぱたと内側に風を送りだしたのだ。その際にちらちらとキャミソールの肩紐が見えてしまうので、地面に座り込んでいた俺は周りの目も気にせず凝視してしまっていた。今のワンシーンは自分が棺桶に入るまでずっと、心のシャッターに永久保存しておくぜ。
ぐでっと生気の抜けた俺たちをよそに、ドラムメジャーに任命された松子は手島先生から直接バトンの指導を受けていた。
背が高く手先も器用な松子はバトン裁きも優れたもので、正確に上下させてみんなにリズムを伝えるだけでなく、カンフー映画よろしく高速で回転させたり真上に投げてキャッチしたりといった大技までこなしている。こいつ、口を開かず奇行を封印すれば才色兼備の音楽少女として男子からモテモテだったろうに。
「松子ちゃん弦バスで良かったよ。私あれやれって言われても、絶対無理」
「だな、俺もバトン投げたら後ろの人まで飛んでく」
いつだったかのボウリング場の悲劇が再来しそうだ。
しばらく練習を繰り返したところで他の部活にグラウンドを明け渡し、俺たちは部室へと戻る。ここから先は文化祭の練習だ。
文化祭で演奏する『大切なもの』と『secret base ~君がくれたもの~』は初心者でも吹きやすいようにアレンジがされているのでさほど問題は無い。だが3曲目の『エル・クンバンチェロ』は、本来中学でやるにはかなりしんどい難曲だ。強豪と呼ばれる高校や大学が、定期演奏会でやるのにちょうど良いレベルと言われている。
また、この曲にはコントラバスの楽譜が用意されていない。代わりにエレキベースパートが存在するのだが、うちの学校にはエレキベースが無いので、コントラバスの松子には3人と人数の足りないパーカッションの穴埋めをやってもらうことになった。
専門でないだけにやってもらうのはアゴゴベルやホイッスルといった小物楽器だが、元々優れた音楽的センスの持ち主である松子はそれらの奏法を難なく身に付けてしまった。やっぱりこいつ、スペックと引き換えに色々と大切なものを失ってしまったとしか思えないよ。
そんな強力な助っ人を得たパーカッションパートだが、その程度で攻略できるほどこの曲は甘くなかった。最初っから終わりまでフルスロットルな彼らには、演奏中一瞬の休みも与えられないのだ。
さらにこの曲はイントロに長く細かいソロがあるほどボンゴが目立つのだが、ここが一番の問題になっていた。3年生がドラム、2年生がグロッケンに回ったら、必然的にボンゴを演奏するのは1年生のたくちゃんになる。
「ボンゴもっと細かく、手が追い付いていませんよ!」
情熱的な曲調のせいか、先生の指導も熱が入って早口になっている。指摘を受けてたくちゃんはさらに力強く素手で革を打ち続けた。
初めての『エル・クンバンチェロ』の合奏は、それはもう悲惨なものだった。終始ハイテンポな曲なので、誰もがリズムに乗っているつもりでも走ってしまう。おかげでなかなか音がそろわず、細かい刻みに至っては音符マルひとつ分がずれて音がめちゃくちゃに混じってしまっていた。木管もトランペットも吹きたいリズムはイメージできているのに、指が追い付いてなかった。
マーチング練習後というコンディションもあるが、さすがにここまでバラバラだと先生も困った表情を浮かべるしかない。とりあえず音を合わせる意識を高めるため、途中からは本来のテンポ144のところを120くらいまで落として演奏を続けていた。
「いてて……」
合奏が終わった頃には、たくちゃんはぱんぱんに張った腕をさすっていた。こりゃ腱鞘炎になりそうだな。
「弦バスより疲れた……」
アゴゴベルを叩いていた松子もドスンと椅子に座り込む。練習後のパーカッションがここまで疲れてるの、なかなか見ないぞ。曲自体はノリノリなので演奏してる時は楽しいのだが、終わったらどっと疲れが襲ってくるパターンだ。
今日は色々と初めてのことが多くて、いつも以上にしんどかったよ。俺たちは鉛のように重くなった体をずるずると引きずりながら、マウスピースを洗うため水道へとむかった。
「いくら何でも難しすぎるよ。曲、変えてもいいんじゃないかな?」
「ですねぇ、1年生の間でもこの曲はしんどいって」
周りに3年生がいないのを良いことに、ぼそっと漏れ出てしまう俺の呟き。それに乗っかったのはホルン1年生の江口さんだった。
「私もこの曲好きだからやりたいけど、あそこまでそろわないとね……マーチングやりながらこれ練習するの、コンクールより大変かも」
部内随一の演奏技術を誇る宮本さんも渋い顔だ。経験豊富なこの子がここまで言うのだから、周りの1、2年生も無言のまま頷いて同意していた。
「だよなぁ。3年生、何でこの曲選んだんだろ」
ため息まじりにだらだらと歩いていた俺たちは、いつもよりずっと時間をかけて水道までたどり着いた。既に先客のたくちゃんが流水でタオルを濡らしていた。
「たくちゃん、腕大丈夫? だいぶ痛そうだったけど」
隣の蛇口でマウスピースを洗っていた俺は心配から声をかけたものの、当の本人は「大丈夫です」と答えて蛇口をひねり水を止める。そして濡らしたタオルを腕に押し付けながら、唐突に話し始めたのだった。
「僕、兄ちゃんから聞きました」
いきなりのことだったので、俺はつい「何を?」と訊き返してしまう。
「実はあの『エル・クンバンチェロ』、2年前にも文化祭でやろうって話があったみたいです。当時の3年生がやりたいって」
「え、そうだったんだ」
「ええ、でもその時は先生にあなたたちの実力じゃ無理よ、みっともないからやめなさいって言われたらしくって、結局別の曲になったみたいなんですね」
ぼうっと中空を眺めながら話すたくちゃんの声からは、言いようの無い物悲しさが感じられた。
「だから兄ちゃんたちがこの曲選んだのは、ある意味で意地みたいなものだと思います。兄ちゃんよく話していました、先輩は決してうまくはなかったけど、それでも音楽が好きでずっと吹奏楽やってきた人ばかりだったって。実際に高校進学した後は全員それぞれの学校で吹奏楽続けてるみたいです。その先輩たちの無念を、2年越しに晴らそうとしているのかもしれません」
腕もだいぶ楽になったのだろう、たくちゃんは腕から濡れタオルを離し、まだぴちゃぴちゃと水の滴るそれをぐっと絞って水気を落とした。
その話を筒井先輩から直接聞いたとなれば、彼が不満のひとつも漏らさずボンゴに打ち込んでいるのも納得できる。3年間バカにされながらも吹奏楽を続けてきた兄を喜ばせるため、弟として最大限協力しているのだ。
気が付けば近くにいる部員たち全員が、同じような物憂げな表情で俯いている。本気で吹奏楽に打ち込み始めた今だからわかる、やりたい曲を却下された当時の3年生の悔しさに思いを馳せているのだろう。
『エル・クンバンチェロ』を全校生徒の前で演奏することは、単に文化祭の演目のひとつだからではない。弱小と呼ばれ続けてきた吹奏楽部が本当の意味で過去を断ち切るには、この曲を大成功させる必要があるのだ。




