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第十章その1 思い出の校舎で

 広島駅からJR山陽本線に乗り込んだ俺は、青々と木々が生い茂る山の谷間を、右に左に揺られながら走り抜ける。しばらくの間この曲がりくねったレールに揺られると、突如目の前がぱあっと開け、田園の中にぽつんぽつんと赤瓦の家々が建ち並ぶ広大な盆地が現れたのだった。


 やがて目的地に到着してホームへと降り立つと、俺はやや古ぼけた跨線橋を渡って改札まで向かった。草津駅をはじめ東海道本線ではほとんどの駅で自動改札が導入されていたので驚いたが、この路線はまだ人の手で切符が切られているので妙な安心感を覚えてしまう。


 ここは西条さいじょう。広大な面積を誇る東広島市の行政・産業の中心地であり、駅前には官公庁やオフィスビル、ショッピングセンターが集まっている。またこの地では古くから良質な湧き水と盆地ゆえの寒暖差を活かした酒造りが行われてきたためか、駅前には10軒を越える昔ながらのたたずまいを残した酒蔵が軒を連ねており、遠くからでもレンガの煙突が空高くまで突き上げている姿を見ることができるのだ。


 その駅からほど近くに、去年まで俺が通っていた西賀茂中学校は住宅や公共施設に紛れるようにして建っていた。


 道中、どこからともなく管楽器の音色が聞こえてくるなと思って歩き続けると、その音は学校に近づくにつれて徐々に徐々に大きくなっていく。こんなお盆の真っ只中でも、西賀茂中学の吹奏楽部は練習に精を出しているようだ。


 8月中旬、俺たち一家3人は祖父母の住まう広島まで帰省していた。その最中、吹奏楽部のみんながどうしているのか気になった俺はひとり電車に乗り込み、かつて住んでいたこの街を訪れたのだった。


「あれ、砂岡!?」


 校門をくぐったのとほぼ同時だった。校舎3階の窓際でトランペットを吹いていた男子生徒が、俺に気付くや否や窓からぐっと身を乗り出したのだ。


 見間違えるはずが無い、あれは同じ学年の男子部員だ。


「いよう、久しぶり!」


 大声とともに俺は手を振る。たちまち校舎の窓のあちこちに、懐かしい顔が映り込む。


「ウワーオ、マジで砂岡じゃん」


「砂岡君、おかえりー!」


「先生もいるぞ、早く上がって来いよ!」


 手を振り返して歓迎してくれる吹奏楽部員たち。俺はもっと近くで彼らともっと近くで話したいがため、手を振りながらも小走りで校舎の玄関をくぐったのだった。


 階段を上っていると、途中で駆け付けた部員たちから次々と「久しぶりだな!」などと声をかけられる。


「みんな音楽室にいるよ、早く来て!」


 そして彼らに先導されながら、俺は音楽室まで通されたのだった。


「マジかよ本物の砂岡だわ!」


「砂岡君、全然変わってなくて安心したよ!」


 音楽室の扉を開くと同時に、同学年の友人を中心に部員たちがわっと押し寄せる。そんな中、「砂岡!」と利発そうな女子の声が聞こえた途端、部員たちはまるで示し合わせたかのようにすっと身を引いて道を作ったのだった。


「久しぶり、元気してた?」


 そして部員たちの作った道を、まるでモーセのごとくつかつかと歩きながら声をかけるひとりの女子生徒。くりんとしたまぁるい目に、後ろで揺れるポニーテールが実に可愛らしい。が、決してこの見た目に騙されてはいけない。彼女の見た目と性格の不一致加減は、ミノカサゴやハナカマキリ以上だ。


「羽鳥先輩、お久しぶりです! 先輩も相変わらずお元気そうで」


「そうだよー、あんたいなくってみんな心晴れやかに練習できてたんだから」


 けらけらと笑いながら、まるで貧乏神が戻ってきたかのように先輩は話す。第三者から見るとひどいやりとりだが、俺と先輩は去年からだいたいこんな感じだった。


 羽鳥先輩は俺よりひとつ上の3年生で、担当楽器はユーフォニアムだ。つまりは1年生で初めてユーフォを触った俺に、基礎の基礎からノウハウを叩き込んでくれた恩師とも言える。


「そうだ、ふたりともちょっと来なよ」


 先輩が部員に向かって呼びかけると、人垣をかき分けて男子と女子、それぞれ1名ずつがすっと俺の前に立った。


 どちらも知らない顔だが、ここに呼ばれたということはなんとなくわかる。


「もしかしてこのふたりって」


「そうだよ、ユーフォの1年生!」


 そう得意げに笑いながら、今出てきたばかりの女子のおかっぱ頭を羽鳥先輩はすりすりと撫でまわしていた。


「初めまして、砂岡先輩のお話は羽鳥先輩から聞いています」


 俺の前に並んだふたりがすっと頭を下げる。初対面の俺のことも先輩として接してくれる初々しいその姿に、つい嬉しくなってしまった俺は「いやいや、ユーフォ選んでくれてありがとうね」とちょっと年長者の余裕を装って答えた。


「ホントあんたいなくなってからさ、またひとりだけになってどうしようって思ったんだけど、ふたりが入ってくれたから大助かりだよ。しかもふたりとも、あんたの1年の頃より上手いし」


「それは期待できますね、今の内に潰しておかないと」


 すぐさま「やめなってば」と羽鳥先輩がツッコミを入れ、音楽室にどっと笑いの渦が起こる。


 去年、ユーフォは羽鳥先輩と俺のふたりだけだった。そのため俺が転校してしまった今年は、1年生が入ってこなかったら最悪ユーフォが途絶えてしまう可能性もあったが、一度に2人も入ってくれたとなれば安心だ。


「そうだみんな、せっかくだし砂岡君に合奏聴いてもらおうよ!」


 クラリネットの先輩がポンと手を叩くと、他の部員も「さんせーい!」と手を挙げる。


「ほらほら今から合奏の準備するから、砂岡はここに座って待ってて」


 そう背中を押されて指揮台の後ろの椅子に俺が座らされている最中にも、他の部員たちはてきぱきと動いて音楽室全体に椅子を配置する。これは合奏、特にコンクールに出場する50人だけの編成だ。


 去年のコンクールで名を上げた西賀茂中吹奏楽部は、現在3学年で75人という大所帯なので、人数制限のあるコンクールでは必然的にステージに上がれない生徒が現れる。だがコンクールに出ないからと夏休みを遊びに使うことは無く、コンクールメンバーのサポートに勤しんだり一足早く体育祭や文化祭の曲を練習したりと部のため己の技術のために学校に通うのがここの吹奏楽部員たちだ。


 合奏の準備が整い、顧問のおじさん先生も指揮台に立つ。ついさっきまでいっしょにふざけ合っていた部員たちも、楽器を手にした今は目の色が変わっていた。


 目指すは中国大会ゴールド金賞。本番まで残り僅か、部員たちのモチベーションは最高潮に達していた。


 今年の西賀茂の選曲は、課題曲に『イギリス民謡による行進曲』、そして自由曲はなんと『アルメニアン・ダンス パート1』だ。東欧アルメニアに伝わる民謡5曲をひとつにつなげたこの曲は細かい刻みも多く中学生レベルではかなり難しい方だが、エキゾチックな旋律の虜になる患者は数知れず、一番好きな吹奏楽曲に挙げる人も多い。


「まあ今日は砂岡がいるが、練習であることに変わりは無い。いつも通りビシバシいくぞ」


 不敵な笑みを浮かべながらタクトを振る先生に、俺は「お手柔らかにお願いします」と小さく告げた。


 先生がタクトを振り、生徒たちが音を出す。時間を効率よく使うために気になるところを重点的に鍛えていくのだろう、自由曲の後半、ハイテンポですさまじい木管楽器の連符というこの曲一番の見せどころからのスタートだ。


「おい、アルトサックスずれてんぞ。この時期にそんな初歩的なミスすんなアホ」


 ああ懐かしい。ウチの顧問、合奏となるとめっちゃ口悪くなるんだよな。


「ホルン、気の抜けた演奏するな! 音のひとつひとつ、アクセント強めに!」


 また少し演奏し、タクトを止める。


「そこのシンバルはジャーンって余韻持たせろ。あとティンパニ、デクレッシェンドはもっとおおげさに、聞こえなくなるかもってくらいまで下げてけ!」


 口は悪いがスピーディで的確な指示。熱の入った指導を見ていると懐かしさがこみ上げ、楽器吹くのに四苦八苦していた頃の思い出がありありと蘇る。


 そんなこんなの練習をしばらく続けていた時だった。機は熟したと睨んだのか、先生は手元に置いた水筒のお茶を一口飲み込むと「みんな、課題曲の楽譜出してくれ」と言い放ったのだった。


 何も言わず、譜面台の楽譜をめくる部員たち。だがその顔は、練習の真っ最中にあってもどことなく楽しそうだった。


「じゃあ砂岡をお客さんだと思って、最後に一回全部通して吹いてみるか。みんな、今これからは他所様に聞かせる本番だ、やり直しは利かねぇから真剣にやれよ」


「はい!」


 部員たちが声をそろえる。当事者の頃は気付かなかったが、返事ひとつでもここまでぴたりとそろえてくるなんてよく考えたらやべぇ集団だな。


 打楽器が準備を終えたのを確認すると、先生はタクトを掲げる。楽器をかまえ、いつでもOKですよと目で伝える部員たち。その眼差しに応えるように、先生は大きく手を振り上げた。


 そして冒頭のグリーンスリーブスのアレンジを耳にした途端、俺はこの部活がはるか桁違いのレベルに達していることを一瞬にして思い知らされたのだった。


 『イギリス民謡による行進曲』は今年の課題曲の中でも特に人気が高く、コンクールでは多くの学校や団体が演奏していた。あまりに繰り返し聞きすぎて、部員の多くが自分たちで演奏していないのに曲をすべて空で歌えるようになってしまったほどだ。


 だがこれまでの大会で聴いたどの学校の演奏よりも、西賀茂の演奏は高い完成度に仕上がっていた。彼ら一人一人の奏でる音色には、ここが狭い音楽室だとは思えないほどの広がりがあった。


 個人の技量だけではない、全員が互いにどこで誰が出てくるのかを細かく把握しているのだろう、音量のバランスに音程にと、音を構成するありとあらゆる要素が寸分の狂いもなく紡がれ、一つのダイナミックな音楽を作り上げていた。


 あまりの演奏に、俺はぽかんと口を開いたまま固まってしまっていた。ほんの一瞬で、課題曲が終わってしまったかのような錯覚にも陥っていた。


 続けざまに、自由曲の『アルメニアン・ダンス パート1』も演奏される。練習で聞いていたとはいえ、通しでは初めてだ。


 ゆったりと、雄大なトランペットの調べから始まる冒頭部、5本の楽器がまるでひとつから奏でられているかのような見事な重なり具合に、課題曲の世界に取り残されていた俺は自由曲へと引っ張り込まれてしまう。


 そして気が付けば、俺は羽鳥先輩の指の動きに合わせて自分の右手の指を押したり離したりと彼らと一体になって曲を作っているかのような気分に浸っていたのだった。


 今すぐあの中に混じっていっしょに吹きたいという衝動に苛まれるが、もちろんそんなことはできない。たとえ手元にピエールがいたとしてもだ。


 この演者と観客が一体となる感覚は、生で音楽を聴く者にしか得ることができないだろう。俺は興奮していた。音楽に魂を揺さぶられるという感覚を、久しぶりに味わっていた。


 そして同時に、俺は自分の内側からとめどない羨ましさがあふれ出てきているのを感じていた。俺もここに残っていたら、県大会を突破して支部大会に行けたのに。そして今度こそ中国大会金……あわよくば全国大会にも出られたかもしれないのに、と。


 いつの間にかこの曲を聞けば聞くほど、胸がぎゅっと苦しく締め付けられるようになっていた。どうしてだろう、ものすごく良い演奏なのに……ここにいるのがすごく辛い。


 やがてアップテンポで最高の盛り上がりを迎えたまま、演奏が終了する。


「ブラボー!」


 俺は椅子から立ち上がり、両手を頭より高くまで掲げてやかましいほどの拍手を贈った。叩きすぎて手の平の皮膚が切れてしまうかもと思ったが、それでもなお俺は拍手をやめなかった。


「みんな、最高だよ!」


 これほどの演奏、コンクールでも大成功の部類だよ。みんなここまで強くなって……俺は自分のことのように嬉しく感じていた。


 だがその喜びにも劣らないくらい、俺の胸の中では「悔しい」という感情がくすぶっていたのだった。


参考音源


『アルメニアン・ダンス パート1』

https://www.youtube.com/watch?v=IlSgCIcjG38

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― 新着の感想 ―
[一言] 1話からなんか聞き覚えがある地名が出てくるなぁと思い。 西賀茂中学って学校名をみておやっ?となり 今話であぁ、やっぱりとなった。 西条中学と賀茂高校を合わせてるんですね。 西条駅前は今はも…
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