表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

39/141

第九章その2 マウスピースに賭けた夢

「草津市立笠縫北中学校。ハクビー作曲『アセンティウム』」


 ついにカサキタの名が呼ばれる。舞台袖で待機していた俺たちはむんと胸を張り、板張りの床をしっかりと踏みしめながら足を進めた。


 先頭を突っ切るのは上手かみて側がポジションである弦バスとチューバだ。それぞれ楽器を抱える松子と宮本さんがライトの下に躍り出ると、観客席からぱちぱちと拍手が挙がり始める。


 低音ふたりに続く形で壇上に立つトロンボーンとトランペットが、続いてユーフォの俺にホルン3人と金管組がステージに登場する。そしてバリトンサックスやバスクラ、テナーサックスといった木管中低音パートがチューバの前に並ぶと、その後からアルトサックスにクラリネット、フルートといった高音パートが指揮台を取り囲むように座ったのだった。


 全員が席に着いたところで、ついに手島先生が現れる。見目麗しい女性指揮者の登壇には会場の雰囲気もにわかに沸き立ち、やたらたと大きな拍手が贈られたのだった。


 指揮台に立った先生がぱらりとスコアを開く音が、不気味なほど大きく聞こえる。部員たちは呼吸することも忘れ、この重圧の中でも微笑みを崩さない先生の一挙一動を注視していた。


 ついに先生がタクトを構え、同時に25人が楽器を持ち上げる。俺もマウスピースを口に触れさせ、演奏の準備を整えた。さっき喝を入れたおかげか、本番のステージにしては意外なほどに落ち着いていた。


 音楽は自分の実力以上のものは出せない。だがそれは言い換えれば、普段からできていることなら本番でもできるという意味の裏返しでもある。自分の実力に自信を持って堂々と吹くのが、演奏する者としての望ましい姿なのだ。


 タクトを掲げた手島先生が、口の動きだけでお決まりの「ワン、ツー」を刻む。その動きに合わせて、俺たちはすうっと息を吸い込んだ。


 パーカッションがチャイムを鳴らす。同じタイミングで管楽器が音を重ね、勇壮なオープニングを紡ぎ出す。よし、出だしは完璧だ!


 中低音の伴奏に乗っかって、トランペットが細かく刻みながらのメロディーラインを奏でる。この特徴的な旋律を印象付ける見事な演奏を、トランペットの3人はこれでもかと披露していた。


 そして曲調の変わる中盤、静かで伸びやかなメロディーを演奏するのは木管楽器だ。毎日毎日遅くまで重点的に練習を無理返してきた成果だろう、一本一本は小さくとも複数が重なり合って、厚みのある音を生み出していた。


 特に魅力を発揮したのは部長のフルートだ。暗いので観客の顔まではよく見えないがフルートの音が響いた瞬間、それまで下や横を向いていた聴衆の顔がふっと一斉に動いたのが俺からもわかった。


 みんな聞いてくれ、これがうちの自慢の部長のフルートだ。どんな苦しい時でも誰よりも愚直に練習を重ね、研鑽を積み重ねてきた音だぞ。


 木管の主旋律を引き継ぐのは、金管のホルン。3人のうち2人が1年生とあって、うちのバンド最大の弱点と最後まで思われていたパートだ。正直なところ、まだ安心かと訊かれてうんと首を縦に振るのはためらわれる部分でもある。


 だがそんな心配なぞまるで不要だった。ホルン隊によるしっとりと色気のあるメロディーラインは、数日前までてんでバラバラだったとは信じられないほどぴたりとそろっていた。しかもそれは単に楽譜通り正しく吹くというだけでなく、曲の表情を全員で共有し、演奏の表現に落とし込んでいるという高いレベルのものだった。伴奏を担当する俺も心を持っていかれて、思わすうっとりと聞き惚れてしまうところだった。


 やがて盛り上がりを取り戻した曲は、再び出だしと同じ力強い旋律を繰り返す。既にこれまでの演奏でノリノリモードになっていた俺たちは、この勢いでより壮大に音楽を演出する。


 ついに迎えたフィニッシュ。小節をまたぐ長い音を、俺たちは力の限り吹き続け、そして先生の左手の動きに合わせて音を切った。最後に3発だけ、ティンパニがドドドンと余韻を残しつつもきれいに曲の終了を報せ、そして俺たちの演奏は終了したのだった。


 直後、ホールに拍手が鳴り渡る。


「みんな、最高だー!」


 大久保さんの声だ。ちょっと気恥ずかしく思いながらも、俺はぺこりと客席に向かって軽く一礼すると楽器を持って立ち上がった。


「お、終わった……」


 舞台袖に引っ込んだ俺たちは、観客席が見えなくなった途端にどっと疲れが押し寄せてへなへなと足取りを乱す。ほんの7分のステージだがメンタルはガリガリに削られたのだろう、達成感よりもむしろ安心感の方を強く感じてしまう。


「なんて言うか、完全燃焼できたねー」


「地区予選よりもずっと上手く吹けた気がするわ」


 結果発表は他校の演奏が終わってからなので、今はまだ喜ぶべきタイミングではない。しかしこの状況でも、既に涙を流している部員も少なくはなかった。


「えぐっちゃん、やったね!」


 眼鏡の隙間から指を突っ込んで涙を拭う江口さんの背中を、ぽっちゃり先輩がそっと優しく撫でる。そんな彼女自身も、目に浮かび上がった涙で照明の光をきらめかせていた。


「はい、諦めずに練習して……本当に良かった……たとえ結果がどうあっても……今日の演奏は最高だと思います」


 嗚咽を漏らし、声を詰まらせながら答える江口さん。彼女の傍を歩く部員たちは、一様に「うんうん」と頷いていた。


「みんな、ロビー戻る前にこっち来て!」


 そんな中、小走りで先頭に立っていた藤田部長が大きく手を振って俺たちを誘導する。先輩についていった俺たちは、いつの間にか建物の外まで出ていたのだった。


 ちょうど目の前に広がるのは、開けた湖岸に面した石畳の公園広場。その一角には、写真撮影用のひな壇がスタンバイされていた。どうやらこの会場でコンクールを開いた場合、写真撮影は湖岸で行うのがお決まりらしい。


「じゃあみんな、1枚目はきりっとした感じで。後ろのトランペットの子、もうちょっと右ね」


 楽器を手に持ったままひな壇に並んだ俺たちに、カメラマンのおじさんが指示を送る。


「じゃあ次はみんな、好きなポーズ取ってね! 隣の人と肩組んでもいいよ」


「じゃあ私ピースで」


「ちょっと、あんたがバンザイしたら私が写らないでしょ!」


「砂岡、フュージョンする? ほら、ゴ〇ンクスになるときのあれ」


 隣に立っていた松子が、びっと人差し指を立てながら声をかける。だが俺はぶんぶんと首を横に振って否定した。


「やるやらないは置いといて、今は楽器持ってるからできん。お前もそのポーズやったら、弦バス倒してしまうぞ」


「あ、そっか」


 納得してくれたのか、松子はきょとんと眼を丸める。こういう時でかい楽器だと、自由度が無くてイヤだよな……いや、楽器持ってなくてもフュージョンはたぶんしないけどさ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ