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第九章その1 未踏の県大会

「あそこが会場だよ」


 バスの座席から指差す松子につられ、「どれどれ?」と窓に顔を近づけた俺の目に映ったのは、やや傾斜がかった屋根が特徴の巨大な建物だった。


 だがこの施設には来客用の駐車場が無いらしく、俺たちを乗せたバスはすぐ近くの大津港駐車場へと進入した。ここからホールまでは湖岸の公園を横切って、徒歩で移動する。


「カサキタが県大会に出るのは今回が初めてらしいよー」


「それなら私ら30年で初の快挙だよ、やったじゃん」


 広々とした湖面をバックに、琵琶湖から吹き付ける風に髪をなびかせながら松子と徳森さんが話す。さすがは我が部の誇る強心臓ふたり、本番前だというのにいつもとまるで変わらない。他の部員は軒並み顔をひきつらせているというのに。


 8月5日、俺たちはついに県大会当日を迎えていた。カサキタに転校してきてちょうど4カ月、あのピッチもろくに合わせられなかった県下最弱吹奏楽部がこの場まで来られたことは奇跡に等しい。


 会場は大津市民会館。琵琶湖岸に面した浜大津の市街地に聳える1300人収容の大ホールだ。大津地区で学生の演奏会があるとすれば、大抵はここが使われるらしい。


 それにしても湖岸にホテルや港が整備されているというこのロケーション、まるでリゾート地にいるような気分に浸れる。コンクールが終わったら、ここら辺をのんびり歩きまわってみるのも良いかもしれない。


 ガラス扉をくぐり、カサキタ部員は館内に入る。ロビーでは楽器を手にした中学生たちがすでに大勢、あちこちで出番を待ち構えていた。


「ここで待ってて」


 メンバーそう言い残して、藤田部長と筒井先輩は受付のスタッフに声をかける。しばらくして戻ってきたふたりは、人数分のプログラムを抱えていた。


「はい、くさないでね」


「ありがとうございます」


 プログラムの冊子を受け取るなり、早速それを開いて自分たちの出番を確認する。


 中学校小編成の部で県大会に出場するのは17校だ。この内おおむね半々の割合で、優秀賞と奨励賞が授与される。


 しかし県大会を突破して関西大会に進めるのはわずか3校のみ。地区予選のように優秀賞を取れば自動的に上の大会に進めるのとはワケが違う。関西大会とは狭き門なのだ。


 俺たちの出番は10番目、昼休みが終わった直後だ。結果発表は小編成の部の出場校すべてが演奏を終えて、しばらく経った昼の2時過ぎと予定されている。その後は大学の部、一般の部の演奏が行われるが、全て聞くと夕方までかかってしまうので、大概の中学生はそれまでに退出してしまう。


「先輩、先輩!」


 そんな時、パーカッション1年生のたくちゃんが俺の背中をつんつんと小突いた。プログラムを開いて、ある一点を指差している。


「この最後に載ってる『淡海おうみ吹奏楽団』って団体のプログラムが、1番とか2番じゃなくて『特別演奏』になってるんですけど、何ですかこれ?」


「ああ、それ審査はされないって意味だよ。3年連続で全国大会に行った団体は次の年のコンクールには出られないけど、エキシビジョンとしてコンクールで演奏することがあるんだけど……そういやそうだったな、淡海吹奏楽団って滋賀県の団体だったよなぁ」


 たくちゃんに説明しながら、俺は改めてプログラムを見返す。一般の部、つまり社会人バンドの欄に書かれた『特別演奏』の文字を見るだけで、どんなすごい演奏を披露してくれるのだろうとわくわくしてしまう。


 淡海吹奏楽団は一般社会人のアマチュアバンドだが、その名は全国的にも知られている。全国大会金賞の常連であり、その演奏はプロをも凌駕する。このメンバーに選ばれることは、アマチュアの演奏者としては超一流と言えるだろう。


「オミスイが聞けるなんて超幸運ですよ。全国金レベルですよ、ゴールド金賞!」


 期待と興奮に駆られ、俺はちょうどプログラムを配り終えた筒井先輩に声をかける。だが先輩は怪訝そうな目で俺を見ると、面倒臭そうに返したのだった。


「あー、うちそんな時間まで残れないわよ。バス待たすのも悪いし、楽器もトラックが学校に運んでくれてるはずだから、結果発表終わったらすぐ学校帰るわよ」


「そんなぁ……」


 俺はがっくしと肩を落とした。こんな貴重な機会、滅多に訪れないのに。


 


 楽器を館内まで運び込んだ俺たちは、チューニング室が空くまで他校の演奏を聴きながら待機する。


 既にコンクールの審査は始まっており、もう何校かが演奏を終えているようだ。ちょうど入れ替わりのタイミングのようで、舞台の上では演奏を終えたばかりの生徒たちが上手かみて側へと退出していた。


 カサキタの部員たちは足音を立てないよう慎重に、しかし素早く大ホールの客席を移動する。どこかに部員全員が固まって座れるような場所は無いものか、先陣を切っていた俺と筒井先輩の男子コンビはきょろきょろと周囲を見回す。


「こっちこっち!」


 その時、前の方に座っていた誰かが俺たちを手を振っているのが目に飛び込んだ。


 誰だろう。薄暗いホールの中に浮かび上がったのは、おどけたような顔を見せるユーフォ奏者の大久保さんだった。


「大久保さ……ん!」


 思わず声を漏らした口を塞ぎながら、俺は早足で駆け寄る。他の部員たちも後に続いた。大久保さんは空いている場所を見つけていてくれたのだろう、彼の周囲には部員全員が座れるほどのスペースがあった。


「みんなの演奏、聞きに来たよ。あれだけ頑張ったんだ、きっとスタンディングオベーション間違いなしだよ」


「ありがとうございます、頑張ります」


 まさかの嬉しい応援に、俺たちのやる気もぐっと高まる。


 しかしこの人、本当に仕事は大丈夫なのだろうか。実はゲームのサウンド作っているってのは嘘で、本当はただの無職なんじゃないかってさえ思えてきたぞ。


「あ、次始まるよ。ほらほら早く座って座って!」


 部長に急かされ、部員たちは手近な席に座る。


「続きましては、彦根市立廿日山中学校。ホルスト作曲『吹奏楽のための第一組曲』」


 アナウンスを聞いて、俺はすぐさま顔をステージに向けた。


 廿日山といえば合宿で偶然にも出会ったあの学校。手島先生の去年までの赴任校にして、昨年優秀賞を獲得した強豪だ。


 舞台袖から現れる廿日山の生徒たち。見た目ヤンキーの金子君も合宿の時金髪だったのを黒く染め直し、ピッコロを携えてステージに登場している。しかしあんた、その見た目でピッコロって……思わず吹き出してしまいそうだが本人は真剣そのものだ、笑ってはいけない。


 ほどなくして廿日山の演奏が始まった。俺たちの『アセンティウム』とは異なり、中低音のしっとりとした入り。ここから階段を一段ずつゆっくりと上がるように、徐々に徐々に曲が盛り上がっていく。


 典型的な吹奏楽曲のA+B+A´構成が浸透する前の時代に作曲されたので、曲その物はやや一本調子に感じられるかもしれない。


 だがその退屈な構成をまるで劇的なものに演出する高い技術と表現力を廿日山のメンバーはそれぞれが備えていた。30人以下の小編成とは思えない、厚みのあるサウンド。これを作り上げるのは顧問の指揮能力とメンバーの結束、そして高いモチベーションが不可欠だ。


「すごい……」


 その圧巻の演奏に呆然として、俺は手にはさんでいたプログラムをぱらりと落としてしまった。当たり前だが、合宿の時よりもさらに洗練されている。


 音楽にまぐれ当たりのホームランは無い。悲しいが本番、普段の積み重ねで鍛えられた実力以上の力は出せないのが必定だ。この場でこれほど見事な演奏ができるということは、彼らはそれこそ血の滲むような努力を重ねて今日を迎えたのだろう。


 演奏時間の5分はあっという間だった。指揮者がタクトを止めたその瞬間、会場の観客は俺たちを含む全員が、隣のヤツよりもでっかくと思い盛大な拍手を贈ったのだった。




「あーあ、ここはいつ来ても落ち着かんわ」


 縋りつくようにピエールを抱き寄せていた俺は、気を紛らわせるべく舞台袖で何度も屈伸運動を繰り返していた。本番前は意外と平気と見せかけて、本当に直前になった途端ガクガクとアガっちまうタチなんだよな、俺。


「あと2分か……緊張するなぁ」


 宮本さんも床にチューバを置き、壁に掛けられた時計をじっと見つめている。


 カサキタの出番は午後一発目だ。休憩中の舞台の上には誰もいないがホールにはお客さんも戻ってきているようで、わいわいがやがやと賑やかな声がここまで聞こえる。


 他の部員たちも緊張はピークを迎えているようだ。そわそわと身を震わせながら、あちらこちらに視線を泳がせている。


「ねえ」


 何の前触れも無かった。筒井先輩が良く通る声で皆に呼びかけたのだ。


「せっかくの一発目なんだし、あれやらない? 今休憩中だから声出しても平気よ」


 全員に聞こえるように言いながら、ちらりと藤田部長に爽やかなウインクを送る。信頼できる副部長に元気づけられたのか、部長はふふっと笑顔をこぼして「そうだね」と返したのだった。


「じゃあみんな、おっきな円になって!」


 手招きする部長に集められ、部員25人プラス手島先生の26人はひとつの円陣を作る。運動部なら肩を組むところだが、楽器を持っているのでそれはできない。


 部長は部員全員の顔をぐるりと見回す。そしてすうっと息を吸い込むと、声に出したのだった。


「カサキタ、取るぞ優秀賞……いやいや」


 部長は大きく首を横に振る。改めて顔を上げ、にやりと笑いかけたのだった。


「行くぞ、関西大会!」


「おぅ!」


 まるで運動部のように、部員たちが呼応する。違いは楽器を持っているかいないかだけだ。


 そんな風に声に出したからか、幾分か気も楽になった。それはみんなも同じなようで、本番前だというのに随分とリラックスしたような表情を浮かべている。


「それでは時間です。皆さん、準備してください」


 ちょうど時間になったのだろう、ボランティアスタッフの中学生が声をかける。俺たちは「はい!」と小さくも威勢良く答えると、すかさず入場の隊列を整えたのだった。

※「3年連続全国大会出場で~」の制度は2012年度大会を最後に廃止されました

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