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第八章その1 美人の「お願い」の破壊力

「皆さん、おはようごさいます。再三になりますが、県大会への出場おめでとうございます」


 コンクールから1日の休みをはさんだ翌日、部室で皆の前に立った手島先生は小さな拍手を生徒たちに贈っていた。


 地区予選で優秀賞を獲得した俺たちカサキタ吹奏楽部は、いよいよ県大会へと出場する。


 本番まではほんの1週間ちょっと。ここから先は連日、より密度を高めた練習に打ち込んでいくことになるだろう。


「今日の練習に入る前に、いくつか連絡事項があります。気が早いのですが、実は9月の『笠縫北公民館まつり』への出演依頼がうちにきました」


「ホントに!?」


「やったぁ!」


 先生からのまさかの発言。部員たちは口々に感激の声をあげる。


 つい昨日、コンクールや学校行事以外にも出演の多い守山中央が羨ましいと思ったばかりなのに、まさかいきなりこんな好機が舞い込んでくるなんて。これは予選を突破して、俺たちの演奏が評価されたからに他ならないだろう。


「さらに15年ほど前に途切れたそうなのですが、体育祭でのマーチングを復活させます。皆さん、10月は体育祭と文化祭で大忙しですよ」


「マジですか!?」


 さすがにこれは感激よりも、どよめきの方が上回っていた。


 厳密に言うと吹奏楽とマーチングは異なるものなのだが、学校の部活においては吹奏楽部員が体育祭で楽器を持ってマーチングパレードを披露するのは珍しいことではない。俺の好きな『星条旗よ永遠なれ』も去年の体育祭で行進しながら演奏したため、無理矢理にでも暗譜させられたものだ。


 ちなみに俺は出場したことは無いが、毎年秋にはマーチングコンテストが各地で開催されている。学校によっては夏の吹奏楽コンクール以上に力を入れている場合もあり、大人数が楽器を奏でながら隊列を形成する様は圧巻の一言だ。


「チューバはできるかな?」


 床にベルを向けて置くマイチューバをそっと撫でながら、宮本さんが呟く。


「たしか楽器庫にスーザフォンあったよ。手入れしたら使えると思う」


 すかさず小声で話しかけると、彼女は頬をぱあっと紅潮させた。


「ホント? スーザフォン触るの久しぶりだから楽しみ!」


 チューバは椅子に座って吹くことを想定しているため、行進が前提のマーチングにおいてそのまま使うことはできない。そのため肩に乗せるよう設計されたマーチングチューバや、身体に巻き付けるようにして使うスーザフォンを利用するのが一般的だ。


「例年は体育祭の後の文化祭で終わりでしたが、今年は演奏機会を増やしていきます。皆さん、コンクールが終わっても気を抜くことはできませんよ」


 ふふっといつもと変わらぬ調子で微笑む手島先生。しかしコンクール練習の合間にここまでの出演機会を取り付けてくるなんて、顧問ながら底の知れない人だよ。


 去年と比べて負担はぐっと大きくなるが、地区予選優秀賞というカサキタ始まって以来の快挙を成し遂げた面々はモチベーションも高く、一回でも多く人前で演奏できるならばと前向きに考えている様子だった。


 特に喜んでいたのは3年生だ。筒井先輩に至っては前に座るホルンのぽっちゃり先輩と「やったわ!」とハイタッチを交わしている。


「先輩、なんだか嬉しそうですね」


「そりゃそうよ、ウチら3年はコンクール終わったら10月の文化祭で引退だと思ってたのに、その前にこんなに演奏できる機会がやってくるんだもの。ラッキーってレベルじゃないわ」


 聞いて俺はあっと言葉に詰まってしまった。どこの部活でも同じことだが、もう3カ月も経たない内に3年生の7人はこの吹奏楽部からいなくなってしまう。


 そうなるとこのバンドもわずか18人。部長や筒井先輩といった技術面でもメンタル面でも部を支えてきた顔ぶれがごっそり抜けるのは、バンドにとって大きな痛手だろう。


「あのー」


 部員たちが盛り上がる中、恐る恐る松子が手を挙げる。


「マーチング、弦バスはどうしましょう?」


 いつもの元気はどこへやら、その声は自身なさげだった。


 巨大な弦楽器であるコントラバスは屋内での演奏を前提に作られているため、マーチングには参加できない。室内楽器の宿命だな。


 またこの吹奏楽部にはいないものの、オーボエやファゴットといった全体が木製の楽器も直射日光や温度変化でぱっきり割れてしまうことがあるので、野外での演奏は不可能だ。クラリネットも木製ではなくプラスチック製のものを使用する。


 だがコントラバスについて先生が考えていないはずも無かった。


「それなら松井さん、指揮、やってみますか?」


 にこりと微笑みかけながら尋ねる手島先生。松子はとっさに「指揮?」とタクトを振る素振りを見せる。


「指揮って……ドラムメジャーですか!?」


 ぎょっと目を剥く松子に、手島先生はにこにこ顔のまま「はい」と返す。


 マーチングにおいて指揮者はドラムメジャーと呼ばれる。ホールで使う短いタクトとは異なり、1メートルくらいあるバトンを上下させて先頭を歩くのだ。その姿は、単純にカッコいい。


「やります!!!」


 ふんっと鼻息を荒げながら松子は目を輝かせた。背の高い彼女なら、きっと見栄えも良いだろう。


「ではマーチングの話はここで切り上げて。県大会ですが、正直時間はほとんど残されていません。予選でも課題はまだまだ残っていましたし、あれでは満足できなかった方もいらっしゃると思います。ですがそれは、皆さんにまだまだ伸びしろがあるという意味でもあります」


 部員たちはじっと聞き入る。やはり今一番の関心ごとは、目の前のコンクール県大会だった。


「そこでここから先は餅は餅屋と思い、外部から指導員の方をお招きしました。では皆さん、どうぞ」


「え?」


 思考の追いつかない俺たちを置いてけぼりにして、先生は廊下に向かって呼びかける。直後、部室の扉ががらりと開けられ、ずんずんと男たちが入ってきたのだった。


 フルート、テナーサックス、トランペット、そしてユーフォ。見た目20代から30歳くらいの4人の男たちが、部員たちの前にずらりと並ぶ。


「ここにいるのは全員、それぞれの楽器のスペシャリストばかりです。皆さん、バンバン指導を受けて腕を上達させてください」




 トロンボーン、ユーフォ、チューバら金管中低音の担当になったのは、ユーフォ奏者の男性だった。やや小太りながらがっしり筋肉の付いた体格で、昔ラグビーやってましたと言われても納得してしまいそうだ。


「大久保だ。手島先生とは音大の吹奏楽部でいっしょだったんだ」


 空き教室に集まった俺たちに向かって、男性は自己紹介を済ませる。


「音大でユーフォ!? 大久保さんって、もしかしてプロの奏者ですか?」


 わくわくと目を輝かせる俺。プロからのレッスンなんてそう簡単に受けられるものではない。


 しかし大久保さんは苦笑しながら「ちゃうちゃう」と手を横に振り返すのだった。


「いいや、普段はゲーム会社でサウンド作ってるよ。大学ではユーフォ専攻だったけど、今じゃ趣味のひとつになってるね」


 話しながら携帯電話を取り出し、「ほら、これこれ」とこちらに画面を見せる。


 映っていたのは携帯で撮った写真だった。スタジオの中だろうか、ユーフォ2本にチューバ2本、それぞれの楽器を持ち上げた男たちがこちらに向かって笑いかけていた。


「こんな感じで低音だけのバンドも組んでるんだよ。自分たちでCD作って売ったりとかさ」


 俺は「すげえ」と心の底から漏らしてしまった。もう趣味ってレベルをはるかに超えているよ。


 そこから始まった大久保さんの指導は、非常に熱のこもったものだった。


「ボーンもっと強く! よっしゃいいよいいよー!」


 演奏中の楽器にも負けない大声、そして身振り手振りで全身を使って指示を出す。


「はいまっすぐー、いいねこの響き! 星がきらきらしてるみたいだ!」


 指導の最中も終始賑やかだ。そんなテンション高めの指導は俺たちにとってもわかりやすく、自然と次はもっと頑張ろうと思えた。


「じゃあもう12時だし、休憩にしよう。午後からの合奏、僕も楽しみにしてるからね!」


 いつの間にかもうこんな時間になっていたようだ。時計を見た途端、俺の腹がぐうっと鳴る。


 楽器を片付けた部員たちは机を動かし、仲の良い者同士集まって各自持ってきた弁当箱を広げる。練習中でもゆっくりと羽を休められる、貴重なランチタイムだ。


「そういえば今日来た先生、男の人ばっかりだったね」


 俺、松子、宮本さんと3人で向かい合う形でもぐもぐとご飯を食べていた時のことだった。箸でおにぎりをつかんでいた宮本さんが、ふと口にしたのだ。


「そう言えばフルートも男の人だったな」


 ぶっちゃけ吹奏楽部においてフルートを選ぶ男子は超少数派だ。音大やプロの世界まで行くと別だろうが、やはり男のフルート奏者というのは田舎の公立中学生にとってかなり珍しい。


「やっぱそう思う?」


 突如、大久保さんが俺の背後からぬっと首を突っ込んだ。朝コンビニで買ってきたのだろう、手には焼きそばパンとバナナが握られている。


「ここだけの話だけど、今日来てる連中みんな真琴ちゃ……手島先生を狙ってる野郎ばっかだよ。僕ら全員、先生にお願いって頼まれたら病気にかかっていようが親の葬儀だろうが駆け付けるからな」


「さすが手島先生、魔性の女ですね」


 俺たち3人はなるほどねとそろって納得する。もし同じ学生同士で出会っていたとしたら、俺もあのメンバーの中に混じっていたかもしれない。

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