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第七章その3 朝のコーヒーは砂糖だけ入れる派

「敏樹、いい加減に起きなさい!」


 母さんの怒鳴り散らす声ががんがんと頭に響く。俺は「ふぁーい」と気の抜けた返事をしながらも、再びタオルケットに潜りこんだのだった。


「ふぁーい、じゃない! あんたのパジャマとシーツ洗濯できないでしょうが!」


 しかし母さんは無情だった。うとうととまどろむ俺からタオルケットを強引に引きはがすと、さらにテーブルクロス引きの要領で俺のベッドからシーツを抜き取ってしまったのだ。


「うお!?」


 俺は敷布団の上を転がり、そのまま板張りの床へと転落する。まったく、息子を何だと思ってるんだ!?


「さっさと着替えなさい!」


 そうガミガミと叱りつけながらシーツを丸め、部屋を出る母さん。俺は「いってー」と頭をさすり、もそもそと起き上がる。時計を見るともう10時半。いつもなら6時過ぎには起きていた俺としては、桁違いの遅起きだ。


 コンクール地区予選の翌日、俺は久しぶりの何もない休日を満喫していた。


 ここから県大会まで、毎日学校に通い続けてまる一日練習漬けの日々が待っている。そんな中、今日という日はゆっくり身体を休められる貴重な時間だ。せっかくの羽休めの機会なのだから、一日中ごろごろと無意味に過ごしてもバチは当たらないだろう。


 Tシャツと短パンという超絶ラフな格好に着替えて台所に向かうと、電動のコーヒーメーカーにペーパーフィルターとコーヒー豆をセットし、スイッチを入れる。やがてコポコポと音を立てながら淹れたてのコーヒーが滴り落ち、はめ込まれていたポットを満たしたのだった。


 俺は美濃焼のマグカップに温かいコーヒーを注ぐ。ミルクは必要ない。砂糖はスプーン2杯が適量だ。


 砂岡家では家族全員、朝のコーヒーを飲むのが一種の儀式として成り立っている。俺も小学校高学年までは苦くてとても飲む気も起きなかったのだが、中学に入学してからは毎朝飲まないと落ち着かないようになっていた。


 オーブントースターに食パンを放り込み、コーヒーに口を付けながら焼き上がるのを待つ。ちょうど洗濯機が回り始める音も聞こえてきた。俺のシーツとパジャマがそろったので、母さんが洗濯機のスイッチを入れたのだろう。


「はあ、平和だなぁ」


 俺は、テレビのスイッチを入れる。画面に映し出されたのは、高校野球京都府大会の映像だった。


 滋賀県南部では地理的な関係から、京都の放送局の電波もバンバンに入ってくる。そのため滋賀県民は高校野球の都道府県大会を滋賀、京都と二重で楽しむことができるのだ。


 準決勝という大事な試合、スタンドでは応援団だけでなく吹奏楽部が試合を盛り上げる。職業病だろうか、俺は投手の配球よりも彼らの演奏に注意を向けてしまっていた。


 そして同時に、昨日のコンクールでの他校の演奏する姿がつい重なって思い出されてしまうのは仕方のないことだろう。


 昨日、帰宅した俺はすぐに父親のパソコンをネットにつなぎ、県の吹奏楽連盟のホームページを確認した。そしてちょうど更新されていた他会場含めコンクール地区予選の結果一覧を、ちゃっちゃと印刷しておいたのだった。


 強豪守山中央中学は、予想に違わぬ金賞だった。あれほどの演奏だ、8月の県大会でも同じ演奏をできれば間違いなく関西大会に進める。


 そして合宿で出会った廿日山中学もまた、中部地区大会小編成の部で優秀賞を受賞していた。彼らも当然県大会に進むことになり、そしてその時はカサキタと同じ部門を争うことになる。


 県大会は他校ももっと完成度を高めてくるはずだ。カサキタも上り調子であることに慢心せず、毎日練習を積んでいかないと。


 でもその前に……予約していた学習塾の夏期講習、取りなおさなくっちゃな。


 そんなことを考えながらテレビを眺めていると、ちょうど打者がレフトの頭上を越える大きなヒットを放つ。一塁にいたランナーが二塁、三塁とダイヤモンドをぐるりと回り、相手外野手が拾い上げたボールをキャッチャーまで一直線、弾丸のようなバックホームを送球したまさにその時だった。


 プルルル、プルルルとリビングの電話が突如鳴り出す。すぐさまキッチンで皿洗いをしていた母さんが手を止め、電話に向かった。


「はい砂岡です。あら、はいはい」


 俺はリモコンでテレビの音量を小さくする。あ、いきなり電話かかってきたもんだから、結局アウトだったのかセーフだったのか見逃しちゃった……リプレイやるかな?


「敏樹」


 野球を見ていたい俺のことなどまるでどうでもよいかのように、母さんが俺を呼んだ。


「吹奏楽部の松井さんて子から」


「……うん?」


 松子が? 何で?


 わけもわからないままに、俺は受話器を受け取る。


「彼女?」


 その際に母さんがにやっと尋ねてる。


「そんなんじゃねーよ」


 吐き捨てながら受話器を耳に当てると、俺は「もしもーし」とわざとめんどくさそうな声を相手に送った。


「おっはー!」


 スピーカーから聞こえてくるのは松子の陽気な声。このギャグ流行ったの、今から3年くらい前じゃなかった?


「どしたー?」


「ほら今日せっかくの休みじゃん? 昨日忙しくてなかなか言い出せなかったんだけど、みんなでボウリング行こうよ!」


 元気なヤツだなぁ。


「おいおい、せっかくの休みなんだぞ、疲れた身体を労わってやれよ。俺も今日一日は何もせず、ボケーっと過ごしてやろうって決心したんだからさ」


 怪訝な口ぶりで俺は返す。しかし自分で言っておきながら、なんと情けない決心だろうか。


「そんなこと言わずにさぁ、みやぽんも来るよー」


「みやぽん?」


「宮本ちゃんのこと」


「はい、行かせていただきます」


 俺はキリッと声を張り、朝日のごとく爽やかに応える。朝の眠気を吹き飛ばすのに、カフェインなぞ不要だった。

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