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第七章その2 カサキタの夏は……

「中学校小編成の部、審査結果を発表します」


 いよいよだ。客席に座った俺はぐっと手に力を入れながらも、ふと周囲に目を移す。


 大ホールのあちこちでは演奏を終えた各校の生徒たちがそれぞれ一か所に集まるようにして座っており、胸を押さえたり祈るように掌を合わせたりして各々が緊張に耐えていた。


 吹奏楽連盟の役員がマイクの前に立つ。舞台の上まで運び出された机の上には賞状とトロフィーが準備され、さらに奥の壇上では各校を代表する2名がずらりと並ばされていた。


 カサキタからは藤田部長と筒井副部長のふたりが舞台に上がっている。男女ペアということもあるが、身長差は全団体でも一番なので客席から見ても妙に目立っていた。


「守山市立小津中学校、優秀賞」


 アナウンスが鳴り渡ると同時に「やったー!」という大歓声がホールを包み込んだ。舞台のすぐ前に座っていた小津中学の生徒たちは椅子から立ち上がり、飛び跳ねて喜んでいた。


 代表の生徒ひとりが表彰状を、もうひとりが盾をそれぞれ役員から受け取った。優秀賞を獲得した彼らは8月3日の滋賀県大会に進出する。まだまだ吹奏楽の練習は続くものの、上の大会に出場できるならばそんなのは大した問題ではない。


 賞状と盾を手に持って、再び壇上に戻る小津中学のふたり。それと入れ替わるように、次の中学の代表2名が役員の前に立った。


「草津市立南山田中学校、奨励賞」


 先ほどとは異なり、ぱちぱちという拍手だけが会場に響く。その手を打ち付ける音にもまるで力はこもっておらず、隠しきれていない落胆が漏れ出ているかのようだった。


 舞台上で表彰状を受け取る生徒の顔もしゅんと悲しげだ。言い方は悪いが、奨励賞とは小編成の部における参加賞のようなもの。彼らが次の県大会に進むことはできず、夏のコンクールはここで終了となる。


 前の団体がとぼとぼと元の位置に戻る中、ついに藤田部長と筒井先輩が前に出る。


「笠縫北中学校」


 運命の瞬間だ。


 気が付くと、俺は両手の指と指を絡ませて強く握りしめていた。隣ではたくちゃんも瞳孔を大きく開いたままじっとステージを見つめており、その向こうでは宮本さんが合わせた手に顔をうずめ、さらにその向こうでは意外にも冷静な顔の松子が腕を組んだまま部長の背中を眺めている。


 神様、どうかお願いします。俺はたまらず、瞼を閉じて念じた。


「優秀賞」


 聞こえた途端、俺はぱあっと目を開く。そしてずっと溜め込んでいたかのように、力ませていた全身を解放して「いやったあああああ!」と両手を挙げて跳びあがったのだった。


「やりぃいいいいい!」


 同じように跳びあがるたくちゃん。俺たちは合図を出すまでもなく、ふたりでハイタッチを交わす。


「やったよ、私たち、やったよ!」


 宮本さんと松子も隣同士身を寄せ合って軽くハグを交わす。


「本当に……やったんだ」


 こうなることが予想外だったのだろう、一瞬松子はぽかんと現状を理解できていないような表情を浮かべていたものの、やがてその顔もふるふると震えるように満面の笑みをこぼし始め、ついには「いよっしゃあああ!」と少し遅れて大歓声とガッツポーズを披露したのだった。


「やったよ、徳森ちゃん!」


「あはははは、どうよ、これが私たちのホントの実力よ!」


 後ろの席から徳森さんの高笑いが聞こえる。ちらっと見てみると、彼女は自身の胸を手で押さえながら、はあはあと疲れ切ったような顔で座席に深くもたれかかっていた。


 この結果に驚いているのは俺たちだけではない。他の観客からも、どよめきに近い歓声が起こっていた。


 去年まで万年ビリケツだったカサキタが、県大会に進出だと!?


 出番が朝早かったために演奏を聞いていなかった人も多かったのだろう、あちこちから「マジで?」「あのカサキタが!?」と戸惑いの声がちらほらとあがる。


「ほらみんな、そろそろ座って。藤田ちゃんが賞状受け取るわよー」


 3年生の先輩がぱんぱんと手を叩き、興奮冷めやまぬ俺たちもいそいそと席に座りなおす。ステージでは表彰状と盾を受け取った部長と筒井先輩がふたりちょこんと並び、観客席に向かってそろって頭を下げていた。


「まさかてっしーが来て1年目で県大会だなんてね……『踊る大捜査線』見に行くの、もうちょっと後になりそう」


 後ろで徳森さんがぼそっと呟くと、別の子がぷっと吹き出すのが聞こえた。


 そう、カサキタ吹奏楽部の夏はまだ終わらない。俺たちの吹奏楽漬けの日々は、もうしばらく続きそうだ。




「続きましては、守山市立守山中央中学校」


 アナウンスとともに舞台袖から出てくるのは、制限人数ギリギリの50人の大編成。ユーフォ2本、チューバ2本、弦バスも2本と低音も充実しており、さらにはオーボエやファゴットとうちにはいないダブルリードのパートもきっちり埋めている。


 それほどの大人数であるにもかかわらず、ステージ上での足取りは機敏で無駄がなく、余計な足音さえも聞こえなかった。ステージ慣れしているのか日々の積み重ねなのか、大勢の目の前に立たされていてもなお彼らの姿からは余裕が感じられる。


「楽しみだね」


 宮本さんがぐいっと身を乗り出す。関西大会常連という県内屈指の名門校の演奏には、彼女も興味津々のようだ。


 既に楽器を片付けて業者のトラックに積み込んだ俺たちは、夕方のこの時間までホールに残っていた。


 他校の演奏を聞けるのもコンクールの醍醐味だ。特に強豪と呼ばれる団体の本気の演奏を生で聞ける機会はなかなか無いので、勉強にもなるし単純に曲を楽しむこともできる。


 そんな守山中央の今年の選曲は、課題曲2番『イギリス民謡による行進曲』、自由曲『歌劇「トゥーランドット」より』となかなかに渋いチョイスである。


 特に自由曲はイタリアオペラの最高峰、ジャコモ・プッチーニの歌劇『トゥーランドット』、その名曲の数々を12分足らずにぎゅっと圧縮した作品であり、この曲を選んだ時点で一般的な中学生のレベルをはるかに超えている。よほど腕に自信がなければ、これを演奏しようとは思わないだろう。


 ちなみにコンクールでは課題曲と合わせて2曲を12分以内に演奏しなくてはならないので、この曲を楽譜そのまま演奏していては軽くタイムオーバーしてしまう。そのためこのように長い曲をコンクールで演奏する際には、途中を大幅にカットするなどの工夫が必要とされる。


 やがて静寂の中、指揮者の先生が指揮台の上に立つ。舞台上の50人がそのタクトをじっと見つめながら楽器をかまえると、先生はおもむろに拍を取り始めたのだった。


 そして始まる守山中央の『イギリス民謡による行進曲』。彼らの演奏を一言でまとめるなら、「とにかくうまい」に帰結する。


 何十本もの楽器がまっすぐ音を出し、見事なハーモニーを形成する。当然、音を出すのも切るのもタイミングをきっちりとそろえ、全員がひとつの連動する機械のように楽器を奏でていた。この差異を指摘するのは、人間の可聴域では到底不可能だろう。


「これもう金賞確実だろ……」


 課題曲が終わった時点で、俺はふと漏らしてしまった。だが周りの生徒たちも思っていることは同じようで、それを耳にした宮本さんや松子は「だよね」と返したのだった。


 そして全員が楽譜をめくり、続けて演奏される『歌劇「トゥーランドット」より』。


 元がオペラなこともあって一般的な吹奏楽曲のようにわかりやすい主旋律とは大きく異なるものの、重厚的な響きは圧巻の一言。


 出だしの一音、そして序盤の展開部だけで既に観客の心は鷲掴みにされてしまっていた。特に『誰も寝てはならぬ』の部分でオーボエのソロが奏でられると、その無機的ながらも艶めかしい音色に観客はすっかりと聞き入り、冷徹な姫君に愛を告げる男に思いをはせていたのだった。


 気が付けば彼らの演奏は最高潮のまま終了を迎えていた。


「ブラボー!」


 観客の一部が立ち上がり、スタンディングオベーションでそのパフォーマンスを称賛する。守山中央のような大人数の学校では、コンクールに出場できず会場で見守る部員も少なくない。そういった部員はもちろん、他校の生徒や吹奏楽マニアの大人たちも目の前で奏でられた名演には惜しみない拍手を贈っていた。


「すごいね……大阪でもここまですごい演奏する学校はなかなか無いよ」


 うっとりとした表情の宮本さんが、退出する守山中央の部員たちの背中を目で追う。大阪府は全国でも有数の激戦区だ。そこで金賞を取った宮本さんが言うのだから彼らの今の演奏は、すでに関西大会クラスであることを示唆していた。


「だね……来年は俺たちも、ああいう演奏しようか」


 俺は彼女ににっと白い歯を見せながら言う。宮本さんは2秒ほどきょとんとした丸い目をこちらに向けていたものの、やがてまっすぐこちらを見て「うん!」と頷いて返した。


参考音源

『歌劇「トゥーランドット」より』

https://www.youtube.com/watch?v=_yj0qjEn9Fw

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