第五章その1 でかい楽器は持って帰るのが大変
「はい、もっと強く! トロンボーン、ピッチそろえて!」
6月下旬、明日から期末テスト対策週間で部活が休みというこの日、俺たちは6月最後の合奏に打ち込んでいた。感覚が勝負の楽器は、1日吹かなければ取り戻すのに3日かかると言われる。せっかく高まってきた力をテスト休みで落とさないため、俺たちの練習の熱量はかつてないほど高まっていた。
「いいですよ、この調子です。では皆さん、この感覚を忘れず、しっかりとテストに備えてくださいね」
下校時刻ギリギリまで合奏を続けた部員たちは、名残惜しいが楽器を片付ける。
「部長、ユーフォのソフトケース借りていいですか?」
楽器の汚れを拭き取りながら尋ねると、藤田部長は「いいよー、楽器庫にあるから持ってってー」とフルートを分解しながら答えた。
俺はひとっ走り楽器庫に向かい、ユーフォの形そっくりの合皮製のバッグを手に取って部室に戻る。普段楽器を保管するときは樹脂製のハードケースが最適だが、持ち運びするならこのようなソフトケースでないとしんどい。
「砂岡君、楽器持って帰るの?」
「うん、毎日ちょっとでも吹いておきたいし。宮本さんは?」
「私も持って帰るよ。後で電話で親呼ぶ」
チューバの管ひとつひとつを丁寧にクロスで拭いていた宮本さんが、ソフトケースのジッパーをジーっと開ける俺に答える。重さ10kgのチューバは車呼ばないと持って帰れないサイズだから、このように親の手を借りないとどうしようもない。
ちなみにうちの学校は携帯電話の持ち込みが認められていない。というかまだ中学生なんだし、加えてこの田舎では持っている子の方が少数派だろう。家に電話をかけるときは、職員室前の公衆電話を使うのが大多数だ。
俺は愛用のユーフォニアムを、いつものハードケースではなくソフトケースにしまう。ここでマウスピースをいつものクセでハードケースの方に入れてしまっては意味が無いので、気をつけないとな。友達の家まで頑張って重いテレビゲーム機持って行ったのに電源コード忘れた、みたいなやるせない気分を味わうことになるぞ。
そして部室を出た時、俺は教科書の入ったリュックを背負い、肩からはユーフォをひっさげてとなかなかの重装備だった。てかこれでチャリンコ漕いで帰るって相当のバランス感覚要求されるぞ。もし転倒でもしたらシャレにならん。
一方、トランペットやクラリネットパートはハードケースごと片手に持ちながらでも、友達と談笑しながら歩いて帰れるくらいに余裕がある。こういう時は小型の楽器が羨ましく感じるよ。
「ただいまー」
自宅玄関のドアを開けた途端、無事に楽器を運び終えた達成感と安心感とで俺は靴箱の前でどすんと腰を下ろしてしまった。もう肩がパンパンだよ……毎日これやってたら腕だけマッチョマンになれるかもしれない。
「あらあんた、楽器持って帰ってくるなら電話すれば良かったのに」
奥のリビングからエプロン姿の母さんがとことこと現れる。夕飯の準備をしていたのだろう。
「別にいいよ、持って帰れるんだし」
「もう、怪我したら危ないでしょ。ああそうそう、あんたに手紙来てたよ、西賀茂中学校から」
「ホントに!?」
肩の疲れはどこへやら、聞くなり俺はばっと立ち上がった。
「はい、これ」
母さんの差し出した封筒を受け取ると、俺は急いで差出人を確認する。そこには西賀茂中学校吹奏楽部一同と書かれていた。
リビングのソファに座り込んだ俺は、ローテーブルに置かれたペン立てからハサミを抜き取り、その封筒を開ける。中から出てきたのは手紙、それから何枚かのスナップ写真だった。
全員集合といった具合に音楽室で、固まってピースを向ける70人近くの生徒たち。4人そろって『命』の人文字を作る同い年の男子生徒。そしてユーフォニアムをかまえる、くりんとしたまぁるい目玉にポニーテールの活発そうな女子生徒。
「羽鳥先輩、全然変わらないな」
写真からまっすぐこちらに笑いかける少女の視線に、俺は思わず頬を緩めた。この羽鳥先輩は1学年上の、俺のユーフォの師匠みたいな人だ。ユーフォ初心者で基本ヘタレな俺をみっちり鍛え上げてくれたという点で、今の俺があるのは先輩の的確な指導あってこそと言ってもよい。
もうお分かりだろう。この西賀茂中学は3月まで俺が通っていた学校だ。
平凡な公立中学なのだが、名物顧問のいる吹奏楽部は県下でも有数の強豪であり、ここ15年は広島県大会で金賞以外取ったことが無い。支部大会にも2年に1度くらいの頻度で出場しており、去年も中国大会で銀賞を受賞している。
俺も同じパートが少なかったこともあって初心者ながらコンクールメンバーに選ばれ、夏の間中地獄のような練習に明け暮れていたのも今となっては良い思い出だ。
「へえ、今年は課題曲2番でいくのか。自由曲はお楽しみって、もったいぶるなぁ」
ほんの数か月前のことなのに、だいぶ昔のことのように遠く感じる。だが同時にまるで昨日の出来事のように、ありありと日々の思い出が明確によみがえってくるぞ。
そんな息子の様子を見てか、カウンターキッチンで鍋を煮込んでいた母さんがため息まじりに言った。
「あんたには申し訳ないことしたわね。やっぱり強いところで吹奏楽続けたかったでしょ?」
途端、俺はぴたりと動きを止めてしまった。そのまま「うん」と肯定したくないという、妙な感情がふと湧き出してきたのだ。
カサキタの演奏技術は、西賀茂とは正直比べ物にならない。部員も少なければ楽器もボロく、上の大会に出場したいと思うなら迷う余地も無い。
だが、どっちが本気で吹奏楽に取り組んでいるのかと問われれば、どちらも同じように本気だ。環境や積み重ねの違いはあれど、少なくとも今のカサキタがモチベーションの面で西賀茂に劣っているとは思えなかった。
「まあそりゃそうだけどさ……でも、カサキタも捨てたもんじゃないよ」
俺は苦笑いを浮かべると手紙を丁寧にたたみ、写真といっしょに封筒にしまう。そして机の上に置かれていたリモコンを手に取り、ソファの正面に鎮座するテレビを点けたのだった。
「お」
ちょうどブラウン管に映り込んだのは、何人ものバイオリン奏者が巧みに弓を引いて弦を鳴らす光景。どこかの交響楽団の演奏会のようだ。曲の途中、しかもオーケストラは専門外なのでよくわからないが、俺はついじっとテレビに見入ってしまう。
「ユーフォは……やっぱりいないのね」
そしてチューバのすぐ隣にトロンボーンが並んでいるのを見て、俺はがっくりと項垂れる。
こういう時に同じ楽器の人間を探してしまうのは、楽器を弾く者としてついやってしまうことだろう。そして基本的にオーケストラに組み込まれないユーフォ吹きが、自分のパートがハブられているのを見て落ち込むまでがデフォルトだ。




