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第四章その1 コンクールを見据えて

 吹奏楽祭を終えて数日後、笠縫北中学校の音楽室からは数十本のアルトリコーダーの音色が響いていた。


「うーん、思ったより難しいな、これ」


 またしても指を間違えてしまった俺は、左手薬指を何度も動かして穴を開閉させる。


 この日、2年4組は音楽の授業でブラームスの『交響曲第一番』で最も有名な第四楽章のフレーズをアルトリコーダーで演奏していた。リズム自体は難しくないのだが、口がユーフォを吹くのに特化してしまっている俺にとってリコーダーの演奏はめちゃくちゃ違和感を覚えてしまう。特に左手なんて普段は4番ピストン押すくらいにしか使わないもんな。


 そうやって手間取っている俺に、隣に立つ男子生徒が「何やってんだよ」と呆れた様子で話しかける。


「吹奏楽部だろ、リコーダーくらい吹けよ。いつも吹いてるんだろ?」


「吹奏楽部にリコーダーは無いわ!」


 俺のユーフォで動かすのはほとんど右手だけだ。左手を器用に動かして穴塞ぐとか、3本のピストンだけで音出してるユーフォとは勝手が全然違うんだよ!


 吹奏楽祭の翌週、カサキタは中間テスト対策シーズンに突入した。


 この期間は部活も全校を挙げてお休みだ。今までユーフォにのめり込んでいた分、学習面の不安を一気に取り返さねばならない。


 そして週明けにはテストも終わり、待ちに待った練習が再開される。


「お待たせー」


 正式に入部を果たした宮本さんが部室に運んできたのは、チューバのでっかいハードケースだった。小柄な彼女が持つとまるで楽器に持たされている感もあるが、そんな大物相手でも慣れた手つきで持ち上げる。


 それを床において開くや否や、覗き込んでいた部員たちはおおっと感嘆の声を漏らす。


「すっごい……きれい」


「かっこいい」


 ケースの中で黄金色に輝く真鍮製のチューバ。その造形には高級車や宝飾品にも通じるエレガントな美しさがあった。


 チューバの特徴はなんといってもそのデカさだ。圧倒的な存在感を放ちながら全体を形作る優美な曲線、複雑に入り組んだ管の見事なまでの配置。これはまさしく楽器という名の、ひとつの完成した芸術作品ではなかろうか。


 ちなみにこれ、彼女のマイ楽器らしい。小学校5年の時に一生モノになるからと買ってもらったそうで、前の中学でも愛用していたものだ。


 学校のチューバはボロボロで見るも無残だからな。こういう楽器ならみんな吹きたいと思ってくれただろうに。


 というわけでみんな、楽器は大切に扱えよ!


「ちゃんとグリスもオイルも交換したばっかりだからね。でも家じゃ吹けなかったから、ちゃんと音鳴るか心配」


 宮本さんが少し照れ臭そうに言いながら椅子に腰かけて楽器をかまえる。そして練習曲として、なんとブラームスの『交響曲第一番』を吹き始めたのだった。


 チューバ1本で奏でられる、ゆったりとした主旋律。そのクリアでまっすぐな音からは、ブランクがあったとはとても思えない。低音の力強さとどんなメロディーでも受け止めてやるという度量の広さを併せ持つ、理想的なチューバの響きだった。


「あら、きれいな低音が聞こえてきたかと思ったら、チューバ来てたのね」


 演奏の最中、職員室に寄っていた筒井先輩が戻ってくる。だが部室にいた面々は誰しもが先輩をちらりと一瞥しただけで、じっと口を閉ざしたままチューバの音色に耳を傾け続けていた。


 そして宮本さんが一通り吹き終えると同時に、部員たちはスタンディングオベーションで歓喜の拍手を贈ったのだった。


「ブラボー!」


「チューバってこんなにきれいな響きだってこと、初めて知った!」


 賞賛の言葉を次々と口にする部員たち。あまりの反応に宮本さんは赤らめた顔を楽器で隠しながら「あ、ありがとう」とだけ返した。


 特にチューバの不在を誰よりも嘆いていた俺と松子に至っては、最早女神が降臨したも同然だった。


「おお、我らが女神よ!」


「吹奏楽の神様は我々を見捨ててはいなかった!」


 ふたりそろってしわがれた声をあげ、両手を合わせて何度も何度も頭を下げる。どっかの怪しい宗教団体みたいだ。


 そんな無駄に息ぴったりの俺たちを見て、筒井先輩はそっと宮本さんに忠告する。


「あんた、このふたりにはあまり関わらない方がいいわよ。変人ぞろいの低音パートってひとくくりにされちゃうからね」


 めっちゃ辛辣!


 俺と松子は部内でどういう扱いされているんだ、これ?


「それにしてもうちに入ってくれてありがとう。宮本さんのチューバがあれば、曲の選択肢も増えてうちのバンドも選択肢増えるわ……あ、そうそう。コンクールの曲が決まったから、楽譜渡しておくわ」


 筒井先輩は思い出したように、手にしていた紙束を部員たちに見せつけた。


「え、どんな曲ですか?」


 俺は筒井先輩の手から楽譜を受け取る。


「『アセンティウム』……初めて聞くな」


「ちょっと待ってて、今かけるわ」


 部員たちに楽譜を配り終えた筒井先輩は、部室に置かれていたCDラジカセの電源を入れ、手にしていたCDを再生される。


 出だしから金管楽器とチャイムによるテンションMAXな導入。そこから始まる重厚感と勇ましさにあふれる曲調は、まるで剣闘士の登場を思わせる。


 曲自体は伴奏に徹する低音パートに、トランペットやフルートが主旋律を100%の力で吹き上げるというシンプルなものだが、そのメロディーライン自体の勇壮さと儚さは一発聞いただけで耳が覚えてしまう。


「課題曲やらないだけ、コンクールではこの曲に全部注ぎ込まないとね」


 すでに宮本さんは耳はCDの音に集中しながら、目では配られた楽譜を追ってチューバの運指とリズムを確認していた。


 中学世代の場合、コンクールには大別してAの部と小編成の部が存在する。


 Aの部は出場人数が50名までで、毎年4~5曲設定される課題曲と自由曲の2曲を12分以内に演奏しなくてはならない。一般的に強豪校と呼ばれる学校は、よほどの事情がない限りほぼすべてこのAの部で出場している。


 一方の小編成の部は自由曲のみで、バンドの人数も30名までだ。時間も7分と短く、カサキタは例年こちらで出場している。


 そんな吹奏楽部最大のイベント、コンクールが行われるのは夏休み期間中だ。


 滋賀県では夏休みに入ってすぐの7月下旬に県内を北部、中部、南部の3か所に分けて地区予選を行い、そこで金賞(小編成の部の場合は優秀賞)を受賞した約半数のバンドが8月上旬の県大会に出場する。ここで優秀な演奏を決めた3校のみが、8月下旬の関西大会への切符を獲得するのだ。


 この『アセンティウム』に関しては、しばらくの間ガチンコで取り組んでいかねばならない。下手すりゃ吹きすぎて「もうこの曲聞きたくない!」となるくらいに。


 そして5分半ほどの演奏を終え、部員たちははぁーとため息を吐く。いかにも吹奏楽らしい楽曲だが、なかなかに一筋縄ではいかない迫力があった。


「いやぁ、いい曲だねぇ。みんなでこんな曲が吹けると思うと、私もコントラバス本気でやらなくちゃって思うよ」


 そんな中で真っ先に口を開いたのは松子だった。思った以上の難しさに部員たちの空気が沈んでいるのを、彼女なりに察知したのだろう。


 陽気な彼女の声に部員たちも「だよね、私らも頑張ろう」と明るさを取り戻す。


「宮本さんも入ってカサキタも強くなったからね! 目指すは全国だよ!」


 そして元気いっぱいの松子の号令に、ノリの良い部員たちが「おおっ!」と拳を突き上げる。


「あのー、盛り上がってるところ悪いんだけど」


 だが俺は空気を読まず、彼女らに割り込んだ。


「小編成の部に全国大会は無いぞ。あるのは関西大会まで」


 この一言により、部室の気温はがくっと下がってしまったのは言うまでもない。そして一日経たず、俺の新しいあだ名「バカ岡」がついでといった具合に定着してしまったのだった。


参考音源

『交響曲第一番』第四楽章(ブラームス)

https://www.youtube.com/watch?v=nqijlK5ZD-4


『アセンティウム』

https://www.youtube.com/watch?v=Tk-pibbbSX4

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