第三章その4 大ホールに響かせろ!
とうとう吹奏楽祭が始まる。
俺たち笠縫北中の吹奏楽部員たちは出番になるとすぐ引っ込めるよう、大ホールの出入口から近い座席に固まって腰掛けていた。
一発目はこの地区で一番上手いという守山中央中学校だ。楽器を抱えてきりっとした面立ちのメンバーが、舞台袖から次々とステージの上に現れる。
なんという大所帯だ、ざっと見ただけでも80人くらいいるぞ。羨ましいことにチューバだけで4人もいるし……この中からひとり、人助けだと思ってうちに転校してきてくれねえかな?
やがて準備が整い、演奏が始まる。
開幕ピッコロのソロが静寂を破り、聴衆の耳を引き寄せたところで他の楽器が一斉に加わる。この出だし数小節で、会場はすっかりと虜にされてしまった。
アップテンポな曲にも関わらず、80人の演奏に狂いはまるで無い。みんな機械のように正確で、それでいて情緒豊かにノリノリで吹きこなしている。
そして3人のユーフォニアム奏者の、なんと卓越したことか。中低音の通常の音域を外れた高音をよくもまあこんなにスムーズに出せるもんだよ。下手に真似して吹いたら酸欠起こしてぶっ倒れてしまいそうだ。
「うますぎる……」
本当に楽器に触れて1か月の部員だろうか。まるで夏のコンクールかと思うほどの完成度。こんな強豪校が近場にいたとは知らず、桁違いの演奏に俺は戦慄させられていた。
そして気が付けば、音楽に合わせて足がトントンと床を鳴らしている。俺は演奏を聴きながら、まるで自分もユーフォパートのひとりとしてあの中に混じり、音楽に加わっているような気分に浸っていた。
この人たちといっしょに演奏したい。上手いバンドを前にするとそういう欲求が生まれてくるのは、音楽経験のある者ならば決して珍しくはない衝動だろう。
「あのドラム、僕もやりたいです」
隣に座る1年生男子のたくちゃんも、曲の間一切途切れることなく正確に、力強くスティックを振るい続けるドラム奏者をじっと見つめている。うん、わかるよ、この曲は特にシンバルがめちゃくちゃかっこいいんだ。
「たくちゃんにできるかぁ?」
俺は小声で、おちょくるように言う。
「出来ますよ。だって僕、『太鼓の達人』でめっちゃ鍛えてますから」
「そりゃ頼もしいな」
俺とたくちゃんは顔を向かい合わせてにやっと笑う。
よし、本番前に良い感じでテンション上がってきたぞ!
「そろそろだから、みんな出てー!」
演奏終了後、チューニングの時間が近付いてきた俺たちは、部長に誘導されてホールから退出する。
その際、俺はちらりと振り返って観客席をぐるっと見渡した。可能性は低いだろうが、もしかしたらあのテニス部の宮本さんが来てるかもしれないと。
だがホールが広すぎて誰が誰だかわからず、俺は彼女の姿をとらえることができなかった。
まあ、そもそも彼女が俺たちの演奏を聞きに来なければならない義理は無い。なんとなく来てくれたら嬉しいな、という程度だからそもそも期待すること自体間違っているのだ。
俺たちはロビーの一か所にまとめられたケースから楽器を取り出すと、すぐにチューニング室へと移動する。ここはステージに立つ前にチューニングを合わせる場となっているが、一方で本番前、自由に音を出せる最後のチャンスでもある。
この部屋は複数の団体が入れ替わり立ち代わりで次々と利用するので、俺たちがここにいられるのはわずか20分間のみ。電子チューナーで楽器のピッチを整えると、各自曲の気になるところをおさらいしたり、学校によっては最後の合奏を行なったりと過ごし方は様々だ。
そして舞台袖へ。
暗く静かな舞台袖から見ると、舞台の上は光り輝く別世界のようにも見える。そんな異質な空間演出のおかげか、幕一枚を隔てて聞こえるひとつ前の学校の演奏も実に幻想的なものに思えた。
「前の学校もうまいね」
「うん、ここは去年県大会で金だったかな? 関西には行けなかったけど」
「何でうまいトコの後にウチら置くかなー」
大きな音は立てられないので、部員たちはひそひそ声で普段通りに話して緊張を和らげる。
拍手が聞こえた。曲が終わったようだ。
いよいよ俺たちの出番だ。
「さあ、行こう!」
静かに、だが力強く部長が言う。俺たちは無言で頷き、袖幕の間を通り抜けて
ステージの上に立つと客の視線が気になると思うが、実際はそれほどでもない。というのも舞台の上はすごく明るいのに、客席は暗いので客の顔なんてほとんど見えないからだ。演奏する側から見れば、暗闇の中に指揮者の姿だけが浮かび上がっているように見える。
手島先生がタクトを上げる。同時に俺たちは楽器を構え、いつでも演奏できますよと無言で答えた。
そして2、3秒の後、先生の手がワン、ツーとタクトを振り始める。その動きに合わせ、俺たちはすうっと息を吸い込み、そしてマウスピースに口を触れさせた。
さあ、この1300人収容の大ホールに、俺たちの演奏を思う存分響かせるんだ!
出だし、木管とパーカッションはきっちりと細かな刻みをそろえた。そこからのっかる中低音の主旋律も、まっすぐときれいに音をつなぐ。
流れるような一体感。今朝の合奏……いや、それ以上のハーモニーが出来上がっている。
中盤で曲調ががらりと変わっても、カサキタ中の安定感は変わらなかった。トランペットやフルートの高音がメロディーを引っ張り、その演奏を低音が支える。実に理想的なバランスで、ひとりひとりの音が調和している。
そして終盤のクライマックス。躍動感に溢れながらやや音量を抑えめにしていたこれまで違い、連続するアクセントに惜しげもなく自分の全力をぶつける。その一音一音もまた寸分違わず揃っており、ついに7分弱の曲を部員全員ミス無く吹き終えたのだった。
最後のフェルマータを終えた瞬間、盛大な拍手が観客席から沸き起こる。そして同時に自分たちでも、いや、楽器を持つ自分たちだからこそ実感できたのだった。俺たちの今できる、最高の演奏をこのステージで成したことを。
なおも拍手を贈る観客に、先生がぺこりと頭を下げて指揮台から降りる。続いて俺たちも立ち上がり、楽器と楽譜を持ってさっさと舞台から撤収した。
舞台袖に引っ込んで観客から見えなくなったところで、どっと安心感が押し寄せてきた俺たちは「いよっしゃああああ!」と各々喜びを爆発させる。もちろん迷惑になるので音量は抑えているが、ここが屋外のステージだったならサッカーでゴールを決めた後くらいの勢いで走り回っていただろう。
「え、あれ本当にウチらの演奏!? 夢見てるみたい!」
「夢な訳ないっしょ、ここ本番よ本番!」
「あれ、部長、泣いてる?」
「ごめん……みんながここまで吹けるようになるなんて思ったこと無くて」
「うわぁ、しっつれー!」
徳森さんが茶々を入れるが、そう言う彼女も目頭を押さえていた。
そんな部員たちのやりとりを眺めていた俺に、「先輩」とたくちゃんが声をかける。
「人前で楽器弾くのって、こんなに楽しいものなんですね」
彼の声は未だに興奮冷め止まぬようすだった。この曲ではスネアドラムやタンバリンといった小道具を担当していたが、皆で音を合わせる喜びは十二分に感じ取れているようだ。
「ああ、この感覚が病みつきになって、みんな楽器から離れられないんだよ」
俺はちょっと得意気に笑う。どんなしんどい練習を経ても、本番を吹き終えたこの一瞬ですべてチャラになってしまうのが音楽のおもしろいところだ。




