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第三十一章その6 卒業

「続きましては、笠縫北中学校」


 守山市民ホールにアナウンスが響き渡ると同時に、舞台袖から制服姿の部員たちがぞろぞろと現れてステージに進み出る。そのメンバーにはたくちゃんや江口さんら1、2年生だけでなく、松子や宮本さん、そして俺と3年生も含まれていた。


 やはり関西大会金賞という実績は人を呼べるのだろう、今日の合同演奏会に出演する学校の生徒だけでなく、保護者の皆さんやよぼよぼのお爺ちゃんまで、音楽好きなら分け隔てなく1300の座席を埋め尽くしていた。


 県立高校一般入試が行われたのはつい1週間ほど前。そこから合流した3年生の部員たちは、短い間にひたすら練習を重ね、この日の本番を迎えていた。3月、卒業式の直前というこのタイミングで行われる合同演奏会は、受験ウォーズを終えた3年生にとって中学生活最後の思い出になる。


 拍手とともに指揮台に立つ手島先生。ああ、先生の指揮で演奏できるのもこれが最後だと思うと感慨深い。


 お決まりの「ワン、ツー」を小さく口ずさみながらタクトが振り上げられる。それと同時にトランペットの華やかなファンファーレが鳴り響き、スネアドラムが激しくスティックを打ち付けられる。開始早々からまったく遠慮という言葉を知らない様子で、『メリーゴーランド』は始まったのだった。


 この曲の特徴は、場面場面で主旋律を吹く楽器がバトンパスされていくことだろう。トランペットから始まり、アルトからバリトンまでのすべてのサックスパート、ボーンとホルンの金管組とアップテンポなリズムに合わせてそれぞれに脚光が浴びせられる。しかも同じメロディはひとつとして無く、すべてその楽器に合わせて異なった音の運びの見せ場が用意されているのだ。我々チューバとユーフォにも、低音を活かしたひょうきんな旋律が用意されているのはこの上なく嬉しい。


 これぞまさにメリーゴーランド。バンドを構成する楽器それぞれが合わさることで音楽はできている、そこに上下関係など一切無いと声高らかに訴えているようだ。


 しかしこの曲、とにかく速いしおまけに高い。特に後半、クライマックスを迎えたところでユーフォはフルートなど木管組と同じ動きをするのだが、ここの連符はまさに鬼畜の一言。作曲家はユーフォに親を殺されたのではないかと勘繰りたくなるほどだ。


 文化祭でやった『宝島』のホルンを全然笑えん。まったく、最後の最後にこんな悪意のカタマリみたいな曲をぶつけてきやがって。


 だがこの曲の演奏効果はすこぶる高く、お客さんも大満足のようだ。俺たちがこの曲を吹き終えるや否や、観客は一斉に立ち上がって拍手を贈ったのだった。


「いやあ、終わった終わった」


 舞台袖に引っ込んだ俺たちは、やり遂げたぞという達成感に浸る。だが同時に物寂しい虚無感も覚える点は、これまでの演奏会と少し違っていた。


「砂岡くん、上手に吹けましたー!」


 チューバを運びながら先を歩いていた宮本さんが、にっこりと笑顔を向ける。最後の最後まで連符地獄に悪戦苦闘していた姿を見ていてくれたのだろう。


「褒めて褒めて!」


 俺がぬっと頭を突き出すと、宮本さんは呆れたように息を吐きながらも「イイ子イイ子」と頭を撫でてくれた。


「砂岡っち、最後だってのに情けなーい!」


 工藤さんがこちらを指さしながらけらけらと笑う。何だって言うがいい、俺は今の手のぬくもりを一生の宝物として心の中にしまっておくからな!


 吹奏楽部の3年生は全員、無事に高校への進学が決まっていた。大半は第一志望の県立高校で、ちらほらと滑り止めの私立がいる程度だ。


 勉強が苦手なことで有名な宮本さんも年末からみせた猛追の末、県立阿星高校への合格を果たしていた。この結果にはうちのクラスメイトだけでなく、担任教師も目を点にさせて驚いていた。またこの学校は滋賀県内でも有数の吹奏楽強豪校であり、関西大会の常連でもある。彼女の吹奏楽にかける情熱は、学力の障壁を乗り越えてしまったのだ。


「ほらほら、急いでトラックに楽器積み込まないと。砂岡もみやぽんもダッシュダッシュ!」


 弦バスを担ぎ上げながら早足で進む松子を、俺たちは追いかける。


 進学先に関して一番意外だったのは松子だろう。彼女はチャレンジ校だと思っていた京都市内の女子高校に合格すると、県立高校は受験せず、そこに進学することに決めたのだった。そこは伝統と格式のあるいわゆるお嬢様校であり、吹奏楽部は無いもののオーケストラ部を擁している。そこでコントラバスかファゴットをやってみたいというのが、松子の希望だった。


「ホント、一瞬だったね。中学生活って」


 ぼそっと宮本さんが呟く。その隣を小走りで並んでいた俺は、「だな」と相槌を打った。


「けどそれだけ、いろんなことあったもんだよ。嬉しいことも大変なことも、そういうの全部ひっくるめて楽しい思い出だったって言えるんだろうさ」




 数日後、俺たちの卒業式はカサキタの体育館にて粛々と開かれていた。


 館内に並べられたパイプ椅子に他の在校生が腰を下ろす中、吹奏楽部員は入り口近くで楽器とともに待機する。そして卒業生、つまり俺たちが入場するのに合わせて、かまえた楽器を奏で始めたのだった。


 流れたのは、ゆずの『栄光の架橋』。2004年に開催されたアテネ五輪においてNHKのテーマソングにも採用された楽曲、その吹奏楽アレンジだ。


 冒頭、しっとりとした木管の旋律から始まり、サックスのソロから徐々に盛り上がっていく物悲しいメロディがこのアレンジのおもしろいところだろう。特にサビはトランペットも音が割れるかと思うほど前に出てくるので、ただ単に涙腺を刺激する以上に前向きな気分になれる。


 抜群の知名度を誇る楽曲だけに、歌詞を知っている生徒も多いだろう。旋律を聴いて、既に卒業生だけでなく在校生も何人かが目に手を当てて、涙をこらえているようだ。


 その後、卒業証書の授与に新旧生徒会長の送辞および答辞と、式は滞りなく進められる。


「卒業生、退場」


 そしてついに、俺がこの学校を去る時が訪れた。司会進行の先生の声がスピーカーから聞こえた頃には、多くの卒業生が顔を赤くして目に涙をためていた。


 同時に、吹奏楽部が演奏を始める。彼らは入場だけでなく、退場でもBGMを担当しているのだ。


 だがその旋律を耳にした瞬間、俺はまだ着席したままにも関わらずえっと後ろを振り向いてしまった。俺だけではない、少なくとも吹奏楽部員だった卒業生は全員同じように驚いただろう。


 聞き間違えるはずがあるわけない。今、演奏されている曲は『エアーズ』だ!


 去年の夏、死ぬほど練習したあのコンクール課題曲。グロッケンの優しい音色からフルート、サックスと引き継がれる落ち着いたメロディーが特徴の、歌うように奏でられる一曲。そんな因縁の曲が今、中学生活とおさらばするまさにこの瞬間に流れている。


 元々は中学の先生の手によって卒業式のために作られた曲であるだけに、まさにピッタリではあるのだが……あいつらめ、憎い演出しやがって。


「3年2組、起立」


 号令に従い、ばっと立ち上がる俺とクラスメイト達。在校生と保護者の拍手に見送られながら、俺たちは花道を歩いて抜けたのだった。


 やがてBGM担当の吹奏楽部員が演奏しているのとすれ違うその瞬間、後輩たちが一斉に、にやついたような顔をこちらに向けているのが見えた。連中の表情に妙な胸騒ぎを覚えた俺は、思わず自分の顔に手を当てる。


 そして手を離して、ようやくその意味がわかってしまった。いつの間に流れ出ていたのだろう、俺の手の指先は涙でたっぷり湿っていたのだ。

参考音源

『メリーゴーランド』

https://www.youtube.com/watch?v=QUQI612QkRI


『栄光の架橋』

https://www.youtube.com/watch?v=W9LfdMH-k5s

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