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第三章その3 本番までの、この時間

「ねみぃ……」


 土曜日、まだわずかながらに朝もやのかかる田んぼ道を、俺は欠伸をかきながら自転車で走っていた。


 こんな朝早くに起きたのも久しぶりだ。いつもなら通勤の自動車が幹線道路を隙間なく埋めているのに、今日は休日と言えどがらがらだった。


 しかし学校に近付くと、先に登校していた吹奏楽部員たちがすでに練習を始めている音が聞こえる。一番乗りで部室に乗り込むつもりだったのに、なんだか悔しいな。


 今日はいよいよ吹奏楽祭本番だ。朝早くから一旦学校に集まった俺たちは、最後の練習時間を過ごしていた。


「自由に楽器が弾けるのはトラックが来るまでですよ。皆さん、気になるところをしっかりおさらいして本番に臨んでくださいね!」


 すでに来ていた手島先生に発破をかけられて、部員たちはいつもとは比べ物にならないほど真剣な表情で音を出す。ステージの上に立つことを意識してか全員カッターシャツはしっかりとアイロンがかけられ、髪の長い女子生徒も後ろで結んだりお団子にしたりとフォーマルな装いに改めている。


 あと1時間ちょっとでトラックが1台来るそうだ。練習の後はそこに楽器を積み込み、そしてトラックを追いかける形で俺たちも会場に移動するというのがこれからの予定だ。


 要するに時間はほとんど無い。ウォームアップを済ませた俺たちはすぐに合奏の隊形になった。


「さあ、部室で吹く最後の『序曲「祝典」』ですよ。皆さん、準備はできてますか?」


 そして1秒とて無駄にしまいと、部員たちは手島先生の指揮にあわせて合奏を始めたのだった。


 いつもなら最初は今ひとつだというのに、今日は一発目から音がよくそろっている。本番という日は意識しておらずとも、心身ともに不思議と調子を合わせてくるようになっているのだろう。


 部員たちは一心不乱に一音一音に神経のすべてを注ぎ込む。だが先生はあくまでも冷静で、いつもと同じ調子で指導に当たっていた。


 やがて1曲を通しで吹いた後、タクトを振り上げたまま固まっていた先生は「皆さん」と話しかけながらふふっと例の天使の微笑みを見せた。


「最高です。今の演奏を、もう一度ホールで聴かせてあげましょう」


 そう先生が言い終え、俺たちもほっと安堵の息を吐いたちょうどそのタイミングだった。勢いの良いメロディーを刻みながら、電子音が部室内に鳴り響いたのだ。


「え、『アルヴァマー序曲』?」


 耳に覚えのある旋律。まさかの超有名な吹奏楽曲に、俺はつい反応してしまう。


「あら、失礼」


 先生はばつが悪そうに顔を赤らめ、バッグから携帯電話を取り出す。どうやら着信メロディーに設定していたらしい。


「はい、もしもし。あ、もう着きました?」


 アンテナを立てて応答する先生。電話の主はトラックの運転手で、今さっき玄関前のロータリーに到着したようだ。


 俺たちが楽器運搬に利用するのは4トントラック1台。これで打楽器や弦バス、ユーフォにバリトンサックスといった手で運ぶのが不便な楽器類を運んでもらう。


 実は運送会社によっては、こういう吹奏楽団やオーケストラの楽器を運搬するのに特化した部署もあるらしい。デリケートな楽器を安全に運ぶためには、相応のノウハウが必要となるそうだ。


 特に打楽器はとんでもなく面積を取る。ティンパニーだけで4台もある上、バスドラムやシロフォンといった数人がかりで運搬する前提の楽器だらけだ。今日は使用しないものの、ドラムセットやマリンバ、ビブラフォンも加わると、もっと大きなトラックが必要なこともある。


「ちょっと男子、バスドラム運んでー!」


 重ーいティンパニーをしんどい思いしてトラックに運び込んだ直後、女子部員から追加注文が入る。基本的に吹奏楽部における男子の立ち位置は、部内最底辺と考えてよい。


 ぞんざいな扱いに辟易してか、トラックの荷台から飛び降りた筒井先輩は「やーねえ」と愚痴をこぼす。


「あんたたち気をつけなさいよ。女ってこういう時だけ上手に尻尾振るんだから」


 筒井先輩が言うと妙に説得力があるな。


「よく覚えとくよ、兄ちゃん」


 そこにスネアドラムを運びながら苦笑いで答えたのは、新入部員11人中唯一の男子、筒井拓也くんだ。名前からしてお気付きの方もいるだろうが、彼は筒井先輩の弟であり、パーカッションを担当している。


 長身ですらっとした兄とは違い、背はやや低めだががっしりとした体格で、野球部や柔道部にいても違和感がない。素の体力なら俺よりも上だろう。


「俺たちみんな、悪い女には騙されないようにな!」


 そしてトラックの後ろで、なぜか円陣を組んで盛り上がる野郎ども。マイノリティのためか、吹奏楽部では往々にして男子の結束がやたらと強い。


 


 楽器を積み込み終えてトラックを見送った俺たちは、各自荷物を持って会場に移動する。だがその手段は、なんと自転車だ。


 今年の吹奏楽祭は、守山もりやま市民ホールで催される。湖南地区では有数の1300席の大ホールを擁するため、吹奏楽コンクールや市民サークルの演奏会などに頻繫に使われるらしい。


 草津と守山は隣の市同士だが、実はここ笠縫北中学校は草津市でもかなり端っこの方に位置しており、守山市民ホールに行くのも自転車で十分という距離なのだ。


 徒歩で通学している生徒は先生の車に乗って会場に向かう。残る20人近くは、集団でだだっ広い田舎道を走り続けてホールへと向かった。


「俺、大人になったら絶対にでっかい車買うー!」


「応援してるよー、ウチらもタクシーに使えるからー」


「料金はきっちり支払ってもらうぞー!」


 そんな馬鹿話をしていると移動もあっという間で、全員無事に守山市民ホールまで到着した。


 俺たちよりも出番が先の学校もすでに到着しているようだ。紺やグレーや焦げ茶色と、様々なカラーの制服があちこちで集まっている。


「うちがチューニング室を使えるのは1時間後。それまでは楽器を吹けないから、他校の演奏をしっかり聞いて勉強しようね!」


 そう言って藤田部長は俺たちにプログラムを配った。


「あ、一発目いきなり守山中央中学だ!」


 受け取った紙を開くなり松子が声をあげた。


「有名なの?」


「うん、ここらへんじゃ一番強いよ。去年の関西大会にも出てる」


「へえ、そんなに。えっと曲は……『ディスコ・キッド』!?」


 まさかいきなりこれでくるのか。


 吹奏楽に携わった者ならば1度は聞いたことがあるであろう、『ディスコ・キッド』は1977年の全日本吹奏楽コンクール課題曲であり、ポップス調の楽曲は当時から吹奏楽部員の心をくすぐり、定期演奏会やコンクールの自由曲で今でも広く演奏されている。


 そして同時に、コンクールの課題曲だったとは思えないほどの高難度でもある。初心者の多い5月のこの時期に吹くなど、相当の自信がなければ不可能だ。


 この湖南地区にはそんな強豪がいるのか、恐ろしい。


 だが同時に、俺はひそかに胸を踊らせていた。


 こりゃ楽しみだ、久しぶりに生で上手い演奏を聞けるぞ、と。


参考音源

『アルヴァマー序曲』

https://www.youtube.com/watch?v=tCkXDWClADU


『ディスコ・キッド』

https://www.youtube.com/watch?v=G9VMOyrbS2U

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