第三十一章その5 さらば?
軽快なアゴゴベルの響きから始まるパーカッション。そこに乗っかる観客の手拍子に、楽器をかまえて出番を待つ俺たちも自然と踵を動かしてしまう。
やがて始まる金管、木管すべてを総動員した底抜けに明るいハーモニー。吹奏楽に携わる者なら、必ず一度はどこかで聞いたことであろう大ヒット曲だ。
最初から最後までハイテンションな、陽気なサンバのリズム。時折挟まれるアルトサックスのソロのおかげで、単に賑やかというだけでなく哀愁も感じられる旋律は、この曲が持つ無限大の広がりを感じさせる。途中、ホルンが超高音の咆哮で死にそうになっているけれども、それもまたご愛嬌ということで。
体育館はまるでひとつの大きな生き物のように、優に1000人以上が俺たちの『宝島』のリズムに乗って手を打ち身体を揺らしていた。
曲が最高潮に達したところでトランペットのハイトーンを合図に、すべての楽器がぱっと演奏を切り上げる。下手に余韻を残さず、終わらせるときはカッコ良いままだ。
「うわーん、せんぱーい!」
ステージから降りた俺たちが倉庫を兼ねた小部屋の扉から体育館の裏側へと抜け出た途端、徳森さんにトランペットの後輩が泣きながら抱き着いた。
「別に会えなくなるわけじゃないんだから、そんな泣きなさんな」
そう言って後輩の頭をぽんぽんと撫でるように叩く徳森さんだが、言いながら彼女の眼の端っこにはきらりと光る涙が浮かび出ていた。
「宮本先輩、最高でした!」
「ありがとねハッタヤ君!」
「遥香ちゃん、高校行っても私たちのこと見に来てねー!」
「当たり前だよひなたちゃん。こっちこそ結月のことこれからもよろしくね。あの子ああ見えてドジだから」
そこからは堰を切ったように、あちこちのパートで後輩が3年生に泣きつき始める。3年生にとって、この文化祭のステージは引退公演でもあったのだ。
「砂岡先輩、今までユーフォのこと教えてくださり、ありがとうございました」
普段はツンツンとした調子の古川さんも、この時ばかりはぶるぶると肩を震わせている。最後にこの子のらしくもない一面が見れて、俺ちょっと嬉しいぞ。
「ありがとうって言いたいのは俺の方だよ。古川さんがいるから、カサキタのユーフォも今後安泰だよ」
「まあ先輩、心置きなくとっとと出て行ってくださいよ。あとは僕たちだけで全国行ってますから」
そこに茶々を入れてきたのはパーカッション2年のたくちゃんだ。明日から新たに部長の座を任されるというのに、相変わらず先輩に対してリスペクトの無いヤツだ。
「言いやがったな? 早速来年から全国行って、あらあらお宅は関西とかどんな低次元な争いを繰り広げているザマスかって散々バカにしてやるよ」
「砂岡先輩、いきなり性格の悪さがにじみ出てますね」
古川さんがぷっと吹き出す。この子も最後まで毒舌だったな。
「筒井君、こんな時なんだからそういうこと言わないの!」
しかしホルンパートの江口新副部長に叱りつけられ、生意気なたくちゃんも「へいへーい」と撤退する。
俺の跡を継いで副部長への就任が内定しているのは、彼女ホルンの江口さんだった。誰よりも上達に時間がかかったものの、今では部内でも有数の実力者になっている。その努力と鍛錬とで這い上がった経験、そして穏やかかつ真面目な人柄から、リーダーシップがありながらやや調子乗りの嫌いがあるたくちゃんを補佐する役割を任せたのだ。
「これで本当に、引退か……」
老兵は死なず、ただ去り行くのみ。俺は楽器を抱えたまま、なぜか鱗雲浮かぶ秋の空を見上げてしまったのだった。
やがて秋も過ぎ去り、季節は冷たい風が肌を突き刺す冬を迎える。
そして2005年2月。1年の内で最も寒さが極まる、ある平日の放課後のことだった。
「わっはっはっはっは! お久しぶりだな、者どもー!」
久しぶりに校舎の4階まで上がった俺は、勢いよくガララと部室の扉を引き開ける。
目に飛び込んだのは3年生が抜けて1、2年生だけの29人で合奏をしている吹奏楽部員たち。彼らはいきなり現れた俺の姿をポカーンと口を開けて眺めていた。
「どうしたんすか先輩、いきなりやってきて。僕たち3月の合同演奏会のために練習中なんですけど」
4基のティンパニを並べた向こうから、部長ことたくちゃんが冷ややかに言ってのける。
「受験勉強やりすぎて、ついに頭いっちゃったんですか?」
そこに乗っかる古川さんの一言に、部員たちからどっと爆笑が起こる。
まだ3月の県立高校入試まで時間があるため、学校には今が勝負所の3年生のことを考えてあげてねといった空気が漂っていた。部員たちも同じように、この時期の3年生は必死こいて勉強していて当然であるととらえているようだ。
「ひっでえなお前ら。けどまあ、もうその心配はないよ」
「頭いかれて受験する必要なくなったとか?」
「お前らどれだけ俺の頭をパーにさせたいんだよ! でもちょっとだけ惜しい!」
「え、もしかして?」
ハッタヤがチューバを持ったままぱあっと頬を紅潮させた。どうやら彼は気付いてくれたようだ。ハッタヤ、良い奴はお前だけだよ!
「そう、そのもしかして!」
俺はカバンから一枚の紙を取り出し、広げて見せつけた。そこには『合格通知』と書かれていた。
「受かったぞ、東寺町高校!」
歓声が部室にこだまする。すぐさまトランペットの2年生が「おめでとうございます!」と言って『ファイナルファンタジー』のファンファーレを吹いてくれた。
文化祭で部活を離れた俺は、そこから毎日必死こいて勉強に励み続けていた。その甲斐あって受験問題に即応した解き方を一通り身に着けられたのか、最終的には模試でB判定を叩き出したうえで東寺町高校特別進学コース合格を果たしたのだ。
私立入試は公立よりもちょっと早く行われる。そのため俺は他大勢の3年生よりも、一足早く受験地獄から脱出できたのだった。
「今日はこのまま塾に行って報告しないといけないから、明日から練習に合流するよ」
「良かったー、先輩戻ってくると中低音の厚みが一気に増しますから」
佐竹さんがほっと胸に手を当てる。
「ところで合同演奏会、曲は何するの? もらえるなら先に楽譜だけもらっておきたいんだけど」
「あ、そこにあります。先輩たちの分も確保しているんで、持って行ってください」
最前列のクラリネットパートの女子が、壁際の机をすっと指さす。その上にはパートごとの楽譜が収められているのであろう大きな茶封筒が置かれていた。
「どれどれ?」
早速、封筒を手に取って、中からユーフォの譜面を抜き取る。
ぺらりと広げて一目見た瞬間、俺は絶句した。
前半はまあよくあるハーモニーや長い休符で何の変哲もないのだが、問題は後半だ。ユーフォパートとしては異常な細かさで、これでもかと16分音符が何十小節も続いているのだ。
それだけならまだよい。一番の問題は音の高さだ。ヘ音記号の描かれた五線譜のさらに1オクターブ近く上、つまりはユーフォの出せる最高音の辺りと並外れたハイトーンで音符が行ったり来たりを繰り返している。
「この曲、ユーフォ本当に死にますからねー。先輩、覚悟しといてくださーい」
低音パートに混じって、古川さんが呼びかける。俺は「マジだよ……」とひきつった笑いを漏らすしかなかった。
曲のタイトルは『メリーゴーランド』。作曲家はいつも金管を殺してくることで有名な、フィリップ・スパークだった。
参考音源
『宝島』
https://www.youtube.com/watch?v=odwK_ts9_BQ




