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第三十一章その4 本当に最後の

 暑い暑い夏が終わった。


 少し前までなら青々と一面を埋め尽くしていた水田も、やがて黄金色の稲穂の海へと姿を変える。そしていつの間にやら腰の高さまで伸びた苗はすべて刈り取られ、泥と有機物を多く含んだ黒い土をあちこちで露出させていたのだった。


 だが周囲の風景が変わっても、笠縫北中学校に夏前と変わった様子は何も見られない。今朝も早くからちらほらと生徒が登校したかと思えば、数分後には4階の窓から突き出された楽器の音が周囲の田園に鳴り渡っていた。


 夏の熱気もすでにどこかへと逃げ去ってしまった10月のある日、吹奏楽部員37名は体育館の壁際で楽器を抱えたまま集まっていた。


「うっひゃあ、めっちゃ人来てるな!」


 唖然とした顔で辺りを見回しながら、たくちゃんはマレットを握りしめる手をぶるぶると震わせる。暗く照明の落とされた体育館は、足の踏み入れ場も無いほどの大勢が腰を下ろして床を埋め尽くしていた。特にステージ周りは少しでも良い位置を確保せんと、ただでさえ人が集まりすぎているのにみんな立ち上がって背伸びをするので、ほとんどおしくらまんじゅうの満員電車状態だ。


 全校生徒に加えて全員の両親がやってきても、収容できるだけの広さがあるはずなのに……と、よく見たら私服姿の中高生くらいの子らもいるな。カサキタの生徒は制服のはずだけど、彼らは何者だ?


「やっぱこれもネームバリューのおかげじゃない?」


 そう答える工藤さんは咥えていた木製のリードを口から離し、アルトサックスのマウスピースに装着させていた。


「何たって私らの演奏聴きに、他校や近所からも大勢来てるらしいからね。吹奏楽部の公演は何時からだって電話がバンバンかかってきてるぞって、うちの担任も話してたし」


「一昨日の体育祭もかなり人来てたけど、今日はまた一段と多いなぁ。さすが文化祭」


 俺はユーフォのピストンを指で押して戻してを繰り返しながら、かつて無いほど人の押し掛けた体育館をぼうっと眺める。


 今年はオーボエに弦バスと屋外では演奏できないパートが多数おり、おまけにスーザフォンの数も足りないので、体育祭ではマーチングができなかった。その代わり一部のパートをテントの影の下に置いて、入退場のBGM演奏を担当した。


 そう、今日は文化祭。評価という緊張感から解き放たれ、級友に思う存分自分の腕を見せつけるまたとない機会だ。


「時間です、上がってください」


 生徒会執行部の案内に従い、俺たちは備え付けの階段から、すでに椅子や打楽器のセッティングされたステージへと上がる。


 舞台袖から俺たちが進み出たその瞬間、体育館は盛大な拍手に包まれる。ここまでの大きさ、コンクールでもそうそう無い。まるで数千人が同時に手を叩いているようだ。


 各自が席に着き、楽器をかまえなおす。そんな中、徳森さんは片手にトランペット、もう片手にマイクを取って、舞台の前側にひとり移動したのだった。


「皆さん、こんにちは。吹奏楽部部長の徳森です。本日はお集まりくださり、ありがとうございます」


 再び巻き起こる大きな拍手。どこからか「徳ちゃーん!」と友達が呼びかけている声も聞こえていた。


「私たち吹奏楽部は8月に開かれた関西吹奏楽コンクールで、カサキタ史上初の金賞を受賞することができました。これも皆さんの応援のおかげです、ありがとうございました!」


 金賞。その言葉が飛び出た途端、体育館は割れんばかりの大喝采で沸き立った。


 持てるすべてをぶつけたあの関西大会、俺は中学最後の夏をゴールド金賞で締めくくることができたのだった。


 惜しくも全国には届かなかったものの、冬のアンサンブルコンテストを超える結果、そしてこれまで何百回も繰り返してきた練習を含めてカサキタ史上最高の演奏を本番一発勝負で成功させてしまったという自分自身でも信じられない奇跡を成し遂げてしまったのだから、これ以上は望むまい。


「私たちの日々の練習の成果、どうか最後までお聴きください!」


 礼儀正しくも、元気たっぷりに言い切る徳森さん。そんな彼女はぺこりと一礼すると、木管パートの間を縫って自分の席まで戻る。


 そして部長が腰を下ろしたそのタイミングで、入れ替わりにマイクのスイッチを入れる部員が2名。立ち上がったのは俺、そして松子だった。


「どうもー、ユーフォニアムの砂岡と」


「コントラバスの松井でーす」


 気の抜けた男女の声がスピーカーを通して体育館に反響する。やや堅苦しい部長の挨拶が終わったばかりだけに、緊張感のギャップで体育館からはどっと笑い声が起こっていた。


「ここからは部長に代わりまして、僕たちふたりが司会を進めて参ります」


「みなさーん、よろしくお願いしますねー」


 ノリの良い観客が「よろしくー!」と返すのが聞こえ、俺も松子も密かに安堵の息を吐き出していた。良かった、シラけなくて。


 この文化祭、司会進行を兼ねた曲紹介を担当するのは俺と松子の低音コンビだ。他の部員は「あんたたちしかいない、何たってふたりはカサキタの大助花子、3年2組の林家ペーパーなんだから!」と褒めているのかバカにしているのかまったくわからない説得を繰り返され、結局根負けしてしまったのだった。


「ねえねえ砂岡ぁ、どうしようこんなにたくさんのお客さんが入ってるよ」


「そうだな、こんなにたくさんいると、どの曲から演奏したらいいか悩むなぁ」


「だよね。だからこういう時は、人気のある曲をやればいいと思うんだ」


「お、それはナイスアイデアだな、さすが我が部のコントラバス!」


「でしょ? だからこれから会場の皆様に好きな曲は何ですかってアンケートを取って、そこで1位になった曲をやればいいと思うんだ」


「んな暇あるか! 集計だけで日が暮れてまうわい!」


 ステージの上で行われる寒い寸劇。しかしみんな優しい、こんなくっだらねぇやり取りでも、しっかりと声を出して笑ってくれている。


「というわけでいってみましょう一曲目、大塚愛の『さくらんぼ』」


 タイトルを言い終えた瞬間、またしても観客から拍手が起こる。すぐにマイクを切った俺と松子は楽器をかまえると、指揮台に立る先生のタクトに合わせて演奏を始めたのだった。


 去年発売されて大ヒットした、人気のポップスだ。中学生ならみんな知っている上にメロディーもひたすら明るく爽やかなので、一発目に置くには持ってこいの曲だろう。


 最初から最後まで突っ走るようなハイテンポ。トランペットを中心に高音が担当する主旋律は実に華やかで、演奏している方もついついノリノリで息を吹き込んでしまう。


 誰が言ったわけでもないのに、観客は自然と手拍子を合わせ始める。特にサビの部分になると観客もテンションが上がってしまったのか、俺たちの音がかき消されているのではないかと不安になるほどの手拍子がひたすらなり続いていた。


 そして最高に盛り上がったまま、俺たちは一曲目の演奏を終えたのだった。


「いやー一発目盛り上がったなー」


 すぐさまマイクの電源を入れ、立ち上がる俺と松子。やってみて初めて分かったよ、吹き終わったすぐ後にコントするの、結構しんどいな。


「そうだねぇ、けどこのまま2曲目もこんな調子だと、お客さん手拍子のし過ぎで手に血豆作っちゃうよ」


「だな、お客様の手が心配だ。だから2曲目はちょっと趣向を変えて、つい静かに聞いてみたくなる曲を選ぼうか」


「それいいね、じゃあいってみましょう『「情熱大陸」メインテーマ』」


 松子が言い終えたところで再び俺は席に着いた。やがて先生の指揮とともに、たくちゃんが力強くコンガを打ち始める。


 そこにフルートとクラリネットの不安を煽る主旋律が加わり、ドラムの激しい連打とともに曲は一気にボルテージを高めて一度聴けば絶対に忘れない特徴的なメロディーラインが現れるのだった。


 元は葉加瀬太郎のバイオリン曲だが、このアレンジではフルートやサックスら木管軍団が激しく音符の入り乱れる例の主旋律を吹き上げる。単に激しいだけでなく、時にボリュームを落としてサックスのソロが挟まれたり、金管のハーモニーを響かせたりと様々な表情を見せるのも特徴である。


 やがてこの曲も終わった頃には、手拍子を封じられていた観客はその思いを爆発させるかのようにこれまでにない大喝采を贈ったのだった。すでに観客のハートは、俺たちにがっちりつかまれていた。


 またしても俺と松子が立ち上がる。しかしこの時のは松子は、「えー」と声を上げるのをためらっているようだった。


「実は皆さんに悲しいお知らせがあります。なんとあっという間に、プログラムで最後の曲になってしまいました」


 たちまち「ええー」と落胆の声が上がる。そんな気落ちした皆さんを見て、俺は額に手を当てながら話した。


「寂しいなぁ、皆さんに聴いてもらえるせっかくの機会なのに」


「じゃあ最後なんだから、とびきりかっこいいのやろうよ。砂岡、最後にぴったりなかっこいい曲、無い?」


「……それならこれでどうだ、今年のコンクール課題曲にして、ウチの部でもやりたいと言った部員が続出した『吹奏楽のための「風之舞」』!」


 タイトルをコールするや否や、「いよっしゃあああ!」といった歓声があちこちで上がる。最後にまさかこれを持ってくるなんて、よくわかっているなと賛同してくれているようだった。


 そりゃそうだろう、今年の課題曲だけに他校の生徒や吹奏楽フリークなら、絶対に押さえている曲だからな。実際にコンクールでは『エアーズ』を選んだ俺たちも、本番当日に他校が『吹奏楽のための「風之舞」』を演奏するのを何回も聴かされるうちに、この曲を一度でいいからやってみたいという欲求に駆られてしまっていたのだ。


 体育館に狂い咲く、和風の力強い旋律。それは吹き荒んで破壊を呼び込むのか、それとも雨雲を運び恵みをもたらすのか、どちらとも受け取れる日本ならではの音階を取り入れつつも、ジャズのように聞こえる場面もあって、単に日本らしさだけをアピールしているわけではない。


 そんな独特な旋律を俺たちはぴたりとそろえ、壮大なサウンドで吹き上げる。吹奏楽部でない生徒はほとんどが初めて聞く曲にもかかわらず、演奏中に退屈したような顔を浮かべている観客は誰一人としていなかった。


 そしてとうとう、終わってしまった。


 フィーネを迎えたその瞬間、タクトを振り上げたまましばし静止する手島先生。その後ろで、体育館に詰めかけた観客は座っていた者も全員がわっと跳びあがり、手を頭の上まで持ってきて全身全霊の拍手と歓声で俺たちをねぎらったのだった。


 先生が観客の方に身体を向けると同時に、部員たちも無言のまま立ち上がる。そして先生に合わせてお辞儀をすると、喝采はさらに大きさを増したのだった。


 止まるところを知らぬ大拍手。それはやがて一定のリズムを刻んだ手拍子になり、しばらくの間体育館を揺らし続けた。


「アンコール! アンコール!」


 男子生徒の誰かが叫ぶ。一人から始まったその波はたちまち周囲に波及し、気が付けば体育館が手拍子と「アンコール!」の大合唱に包まれている。


 ついに先生がくるりと俺たちに振り向いた。そして満面の笑みを浮かべたまま手で「座って」の指示を出してきたので、部員たちは再び椅子に腰を下ろしたのだった。


「皆さん、盛大な拍手ありがとうございます」


 俺はひとりマイクのスイッチを入れ、改めて観客に呼びかける。続いていた手拍子もようやく収まり、代わりにぱちぱちと拍手が鳴っていた。


「ところでさっきのが最後だと言いましたが、すいません、あれは嘘です!」


「ええ、嘘だったの!?」


 わざとらしく驚いてみせる松子。だが彼女はすでにコントラバスを床に置き、木管パートが並ぶ中へと移動していた。そしてあらかじめ準備しておいた椅子に座ると、水上さんから借りたファゴットをよっこいせと持ち上げたのだった。


 実は次に演奏する曲には、弦バスパート自体が無い。そのためコントラバス1年の佐竹さんも、楽器を置いてパーカッションの応援に加わっている。


 よし、全員移動完了したな。今度こそ本当に、本当に最後だ。


 俺はふうっと息を吸い込む。そしてとくんと心臓が大きく拍動したのを感じ取ると、ようやくマイクに向かって声をぶつけたのだった。


「では最後くらいパーッと盛り上がっていきましょうか。吹奏楽と言えばこれ、ノリノリでいきましょう『宝島』!」

参考音源


『さくらんぼ』

https://www.youtube.com/watch?v=4vdBWdnrER4


『「情熱大陸」メインテーマ』

https://www.youtube.com/watch?v=8HqB52qfTa4

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