第三十一章その2 激戦区、関西
「ここって、砂岡先輩が目指してる学校ですよね?」
後ろに座っていたハッタヤがぐっと身を乗り出して俺に訊いた。
「ああ、高校だけじゃなくて中学も強いんだな」
予期せぬ不意打ちに、俺はへへっと乾いた笑いを漏らす。というか俺が東寺町受けたがってること、もう吹奏楽部の中じゃ知れ渡っているんかい。
そういえば気にしていなかったが、東寺町高校には附属中学があったのだった。いわゆるエスカレーター式の内部進学ってやつだ。
それにしてもさすが男子校、舞台袖からぞろぞろと現れる部員も見事に男子ばかり。そこらの公立中学ではクラリネットやフルートパートの男子なんて1人いるだけでも珍しいのに、ここでは全員男子だもんな。当たり前っちゃ当たり前だけど。
人数も40人に満たず、編成で言えばカサキタと大差ない。だが高校で培ったノウハウを持ち込むなり、高校生と合同で練習を積めると思えば、彼らは常に全国常連レベルの環境で鍛え抜かれていると言えよう。
現に他校とはこなしてきた数が違うとでも言いたげに、ステージに出てからの振る舞いは終始堂々としている。入場から着席まで、その動きには一切の無駄が無いように見えた。
「課題曲3番、自由曲、ハイムズ作曲『CAUSE FOR CELEBRATION』」
「こーずふぉー……せれぶれーしょん?」
読み上げられた自由曲のタイトルに、俺は首を傾げる。初めて聞く曲だ。和訳すると「祝祭の要因」って感じか?
それに課題曲3番というのも、ちょっと少数派だな。
大人気の『吹奏楽のための「風之舞」』や『エアーズ』では、オーボエやファゴットがオプション扱いなので、少人数の編成でも演奏可能なように配慮がなされている。
しかし3番『祈りの旅』に関してはそれらも必須のパートであり、バンドの人員が充実していることを前提として作曲されている。この曲を選んでいるというのはある意味で、既に相当の自信があるとことを表していた。
拍手の中、楽器をかまえる東寺町中学の男子生徒たち。指揮台に立った顧問がタクトを振り上げ、木管を主体とした穏やかな旋律から曲が始まる。
この曲は大半の部分が、かなりゆるやかに進行される。ふと変拍子が現れたり印象的なユーフォソロが挟まれるものの、後半になるにつれて音量とテンポが徐々に上がり、クライマックスには割れんばかりの金管のパワフルなメロディーラインが待ち構えているのだ。他の課題曲とは違って分かりやすい劇的な展開は無いが、聞けば聞くほど癖になる旋律だろう。
だが全体を通してしっとりとした雰囲気のせいか、下手なバンドが演奏すればたちまち聴くのも苦痛な雑音になり下がってしまう。こういった曲は旋律それ自体が持つ陽気さ、ポップさで技術の粗を覆い隠すことができないのだ。
しかし東寺町附属中の演奏は、そうやって誤魔化す必要など一切無いほど、完璧と呼べるものだった。わずか1ヘルツ、コンマゼロゼロ秒まで合わせているのではないかと思えるほど正確な音と調和されたハーモニー、それでいて無機質ではなく温かみさえ感じる緩やかなサウンド。ケチつける要素を探すことすらアホらしくなってくる。
やがて奏者も聴く者もテンションも最高潮に達したまま、『祈りの旅』はフィニッシュを迎えたのだった。個人的にだけどこの最後に向かってどんどん盛り上がっていくという構成、ストラヴィンスキーの『火の鳥』を思い起こされる。
ブラボー!
もしこれが定期演奏会であれば、会場はスタンディングオベーションに熱狂していただろう。
だが彼らの演奏はまだ課題曲が終わったばかりだ、拍手を贈るのはまだ早い。ステージ上の生徒たちは楽器をかまえ直し、指揮の動きに合わせて続く自由曲『CAUSE FOR CELEBRATION』を奏で始めたのだった。
出だしからトランペットとティンパニーの華やかな旋律。ハイテンポなファンファーレにも似たその響きを追いかけるように、他の金管楽器が大音量で旋律を引き継ぐ。
なんとも豪華な旋律、まさに祝祭。おとなしめな課題曲とはまるで正反対な、冒頭からフルスロットルで畳みかけるタイプの楽曲だ。
だからと言って終始キンキンと高音を鳴らしているわけではない。まるで舞台が暗転するかのように突如低音がわずかに聞こえるほどまで音量が下がれば再び金管が合流しておどろおどろしい旋律に一変し、かと思えばゆったり穏やかな木管主体の旋律が現れたりと、場面場面で予想もつかない展開を常に速いテンポで見せ続ける。何度か現れる似たような旋律も、楽器やリズム、雰囲気を変えて繰り返されるのでそれぞれのシーンで全く違った印象を受けてしまうのが面白い。
そして最後は大団円。すべてのパートがこれでもかと大音量を響かせ、勢いを保ったまままるで打ち上げ花火のようにぱっと終わってしまうのだった。
本当に曲が終わったのか実感が持てず、ほんの一瞬会場を静寂が包み込む。だがすぐさま観客が一斉に立ち上がり、天井が崩れ落ちんばかりの大喝采と称賛を舞台上の男子生徒たちに贈ったのだった。
「凄いね、今の演奏!」
隣に座っていた宮本さんが、手を打ち鳴らしながら興奮したように話す。
「だろ? あれ聞いたら自分もあの学校入りたいって思うっしょ?」
「なるなる! 私、男子に生まれてたら絶対目指してた!」
こくこくと頷いて返す宮本さん。その顔は少しばかり紅潮しているようだ。
「いやいや、だからみやぽんの場合は脳みそ的な問題で無理だって、あいた!」
横からいらんことを言う松子に、宮本さんが軽くチョップを入れた。だが20cm近い身長差のせいで、頭の上ではなくテンプルに打ち込まれたようにしか見えない。
「あ、みんな聞いて聞いて」
拍手が一段落した頃、観客席のライトが灯される。そして席を離れる人々の話し声に混じって、我らが徳森部長はバラバラに座った部員たち全員に聞こえるよう声を張り上げたのだった。
「午前はこれで終わりだけど、もうちょっとしたら結果発表だからね。せっかくだし、このままホールで待っていようよ」
「これより中学校A編成、午前の部の審査結果を発表します」
ステージに並ぶ各団体の代表者。その前に立つ役員の傍らには、ずらりと盾の並べられた机が置かれていた。
「うわあ、始まっちゃった」
「緊張するなぁ、俺たちまだ出番すら来てないのに」
俺と宮本さんはぼそぼそと声を交わす。俺たちの結果がここで発表されるはずも無いとわかってはいるのだが、妙な緊張感に駆られてしまうせいで背筋をしゃんと伸ばさざるを得ない。やっぱ他人事とは思えないよな。
「和歌山県代表、和歌市立太田中学校、銅賞」
最初の団体の結果が告げられると、乾いた拍手と同時に落胆のため息が漏れる。やはりここまでくるような団体は、どこも金賞を狙っているものだ。
「滋賀県代表、守山市立守山中央中学校、銀賞」
発表の瞬間、カサキタの面々は互いに顔を見合わせた。まさか滋賀県最有力校の守山中央でも銀賞だなんて。
ホールのずっと前の方の席で、見知った制服の後ろ姿ががくりと肩を落とす。すべてを音楽に注ぎ込んできた夏が彼らにとってまさに今、終わった瞬間だった。
あの守山中央のことだ、県大会で聴いた時よりもさらに完成度を高めているのは間違いない。それでも金賞にならないのだとしたら、やはり関西の壁は厚いとしか言いようがない。
その後も結果の発表は続く。俺は拍手の傍ら、手元のプログラムに各校の結果をボールペンで書き込んでいた。
「兵庫県代表、天竺女子学院中学校、ゴールド金賞」
発表と同時に、きゃーっとものすごい黄色い歓声が大ホールを包み込む。そしてちょうど真ん中あたりに固まって座っていた鮮やかな水色の制服をまとった少女たちが立ち上がると、それぞれ互いに抱擁を交わしたり泣きついたりして全身で喜びを表しているのだった。
天竺と言えば、ロビーで見かけたあのお嬢様軍団のことか。つまりゴールド金賞という言葉には、お嬢様だろうとカサキタの狂犬だろうと我を忘れて喜ばせるだけの魔力があるらしい。
しかし金賞だなんて凄いなぁ。くそ、バスの到着がもうちょっと早かったら、ここの演奏聴けたかもしれないのに。
そしてついに最後の団体。俺はぎゅっと口を噤み、耳を研ぎ澄ませる。
「京都府代表、東寺町高等学校附属中学校」
無意識の内に、俺の拳には力が入っていた。
「ゴールド金賞!」
「いやったあああああああ!」
「うおっしゃああああああ!」
さっきの天竺女学院とはまったく違う、テノール&バリトンボイス。少々場違いに思える咆哮がホールに轟き、他の出場者らは呆然とさせられていた。
「やっぱすごかったんだね、東寺町って」
拍手を鳴らしながら宮本さんがぼそっと呟く。さすが全国トップ高校の附属中学、きっとここで鍛え抜かれた大勢が、高校でさらなる高みを目指していくのだろう。
しかしこの結果発表を聞いて、俺は他校のパフォーマンスに感心しつつ、今一度気合を入れなおしていた。
ここで金賞を撮るためには、あのレベルの演奏が期待されているということだ。正直に言えば、今の俺たちには少々ハードルが高すぎるだろう。
だがそれでも、ここまで来たからには舞台に立つしかない。むしろこんな人たちと同じステージで演奏できるだけでも素晴らしいことだ。元々失う物も何も無い初出場校、自分たちの持てる力のすべて、やれるだけのことをやって終えられればそれでいいじゃないか。
このホール内の空気にさらされたおかげで、俺はある種吹っ切れたそんな覚悟を決めることができたのだった。
参考音源
『祈りの旅』
https://www.youtube.com/watch?v=JD9Lzb3MZyY
『CAUSE FOR CELEBRATION』(英国式ブラスバンド版)
https://www.youtube.com/watch?v=hqMl01ajBss




