第三十章その5 夜空を見上げながら
夜空の花火が湖面に映り込み、上空と地上と光の二重奏が楽しめる。なるほど近くで見ると迫力は満点であろうが、この幻想的な光景は少し離れた対岸でしか楽しめないな。
しかし今の俺には、上空で繰り広げられる光のショーを楽んでいられるほど余裕はなかった。花火の下でふたりきりという狙いすぎなこの状況、そして主に工藤さんの思惑でこんなことになってしまったのに勘付いてか、対面する宮本さんも引きつった笑みをこちらに向けていた。
「ね、ねえ砂岡くん、立っておくのも何だし、座って待ってよっか」
「うん、そうだな」
俺たちは互いにぎこちない動きで、芝の上に腰を下ろした。地面に散らばった缶ジュースも手元に回収しておく。普段の練習中ならこれくらいのやり取りどうってことないのに、やたらとアがってしまうのはこのシチュエーションのせいだろうか?
しかしあいつらめ、気を利かせてくれたにしても急すぎるよ。せめてチラッとでも言っといてくれれば、俺も心の準備くらいできたのに。
「あ、そうだそうだ!」
空に巨大な柳が描かれた時、宮本さんが思い出したように切り出した。
「この前さ、砂岡くんが教えてくれた回路の問題あったじゃん? あれ、昨日の塾の小テストでよく似た問題出てさ、みんななかなか解けなかったのに、珍しく私解けちゃったんだよね」
「そりゃ鼻が高いや! 教えた甲斐があるってもんだよ」
「うん、ありがとう! 先生からもまさか宮本が解いてしまうなんて、真夏なのに雪が降るんじゃないかって褒められたよ」
それ、褒められているんですかねぇ? まあ宮本さんが嬉しそうなので、それで良しとするか。
「あと天満並木中……私が前にいた学校、あっちも大阪府大会突破して関西大会出場決まったんだって」
「すごいじゃん!」
「ホントだよ、まさかアンコンだけじゃなくてコンクールでも競い合うことになるなんてね。中学生活最後の夏でこんな大きなイベントが待ってるなんて、思ってもいなかったよ」
強豪ぞろいの大阪府大会を突破するって、それだけでも関西トップクラスの実力があるって言われているからなぁ。
「中学最後か……そう言われると後悔しないように頑張らなくちゃって思うけど、かと言って勉強のこと気にするなってのは無理だよな」
「そうだね、私も内心焦ってるし。一生この夏休みが終わらなければいいのに、コンクールも受験も、もっともっと先の話なら良かったのにっていつも思ってるよ」
「こりゃ驚いたなぁ、宮本さんが受験で焦るとか」
「失礼だね! きっと徳森ちゃんも松子ちゃんも、3年生は少なからずみんなそう思ってるはずだよ。私なんて定期テストの度に、ああちゃんと勉強してから受ければ良かったって後悔してるし」
ぷくっと頬を膨らませる宮本さん。遠くで爆発した花火の光がわずかに反射し、黒一色の夜闇の中でも白い肌が浮かび上がる。
だが彼女は少しばかり俯くと、声のトーンを落としてぽつぽつと話し始めたのだった。
「ねえ砂岡くん、私、時々思うんだ。勉強でも部活でもいつも後悔してばっかりの自分だけどさ、一度も後悔しないまま一生を終える人なんて、そもそもいないんじゃないかってね。もし上手くいったとしても、あの時ああすれば良かったなって振り返ることは何かしらあるだろうし。後悔の大きさが違うってだけで、誰だって過去に戻って人生やり直したいって思ったことあるんじゃないかなって」
「だろうな、もし俺が人生やり直せるなら、小学校から吹奏楽始めて、もっともっと上手い学校に入学しているよ。毎年全国大会に進めるように強いところ探してさ……いやそれより先に、この前のひどかった模試をもう一度やり直したい」
「ははは、砂岡くんらしい。砂岡くんなら2度目の人生でもユーフォやってそうだね」
軽口を叩く俺に、はははっと明るく笑いかける宮本さん。
「でも安心した、人生やり直すなんてドラマの中だけの話だからね。もしそうなったら私、砂岡くんといっしょに部活できないじゃん」
ちょうどその時、一際大きな花火がドーンと夜空を埋め尽くす。その絢爛豪華な色彩に宮本さんは目を輝かせて空を見上げているが、俺はと言うと今しがた彼女の口から飛び出てきた言葉に衝撃を受けすぎて、呆然と固まっていたのだった。
やがて超特大の虹色の炎も、夜空に掻き消える。
「ああ消えちゃった。今のすっごい好きだったのに」
そう名残惜しそうに呟きながら、宮本さんは俺に視線を向ける。
「一期一会ってよく言うけど、私と砂岡くん、松子ちゃんや徳森ちゃんたちと同じ部活で吹奏楽できるのって、すっごい奇跡的な確率なんだよね。中3の夏も私たちがそろって出られる関西大会も、こうやって2004年の8月8日の夜に花火を見られることだって、全部が全部一生に一度のことなんだよね」
「一期一会か……」
ぼそっと返す俺に、こくんと頷く宮本さん。その瞳はまるで何かを強く訴えているようだった。
「受験失敗したらそりゃ一生の後悔に残るとは思う。でも関西大会で本気出せなかったら、それもそれで一生後悔することになると思う。だからせめて、今やりたいと思ったことはできる間に全部やっておこうって思うくらいの贅沢、許されてもいいんじゃないかな?」
「……そうかもな、ありがとう宮本さん」
俺がそう言うと、宮本さんは「どういたしまして」とこの日一番の笑顔をこちらに向けてくれた。
いつの間にやら湖の上では小さな花火が連発で打ち上がり、絶え間ない爆音をあたりに響かせている。およそ1時間に渡る天空のショーにも、いよいよ終わりが近付いているようだ。
やがて花火が打ち止むと、湖岸にいた人々も次々と帰路に就く。結局最初から最後まで他の部員は姿を現さず、俺は宮本さんとふたりっきりで過ごしてしまった。
「終わっちゃったね、花火」
「だな、この大量の飲み物、どうしよっか」
俺は手に抱え込んでいた缶ジュースに目を落とす。花火を見ている間に何本か開けてしまったが、大部分は未開封だ。
「砂岡ー、みやぽーん!」
その時、駐車場の方から俺たちを呼ぶ声が聞こえた。これは松子だな。
「もう夜遅いから、帰るよー!」
「お前らぁあああ!」
俺はむっくと立ち上がり、どすどすと地面を鳴らして声のした方向へと駆け寄る。とりあえず立て替えておいた飲み物代くらい、請求しておかないとな!
湖岸から帰る途中、吹奏楽部一同は互いにはぐれないようにと一列になって自転車で走行していた。
そんな隊列を維持し続けて夜の田んぼ道を突っ切っていた最中、後ろから強くペダルを踏み込んでスピードを上げた工藤さんが、俺のこぐ自転車の隣に横付けし、並走してきたのだ。
「んで砂岡っち、結局どうなのよ?」
いっひっひと笑いながら顔を近づける工藤さんに、俺は「何がだよ?」とぶっきらぼうに尋ね返した。
「とぼけちゃって、エミとはどこまで行ったのかって話に決まってるっしょ」
「やっぱりお前ら、わかっててやりやがったな!?」
「当ったり前じゃん、せっかくあんなにお膳立てしてやったんだから。で、実際どうなの? チューのひとつくらい決めてやったんでしょうね?」
「……すんません、そこまでいけませんでした」
俺はしゅんと項垂れる。
「このヘタレ! 甲斐性無し!」
その直後、工藤さんはペダルから足を離し、器用にもピンク色のコンバースのスニーカーで俺の自転車を側面からげしげしと蹴りつけてきたのだった。
「あ、あぶね! コンクール前に怪我したらどうすんだよ!?」
俺は慌てて車体を立て直す。まあでも確かに、もうちょっと踏み込んでいればって今さらながら思う。
生きていれば後悔だらけ。宮本さんが今日言ったこと、早速実感させられたよ。




