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第三十章その4 HANABI

 部活と勉強に打ち込んでいると、8月8日はあっという間にやってきた。


 真夏なのにそんなに暑くはなく、おまけに雲も多めで実に過ごしやすい一日。そんな日の練習後、工藤さん率いる吹奏楽部員の15名ほどは各自チャリンコにまたがり、うっすらと宵闇のかかった田んぼ道をひた走っていたのだった。


「もう疲れたー、どこまで走るのさ?」


「もっと湖岸の方! まだまだ走るよ!」


「ひええ、もうかんべーん」


 練習終わりでへとへとな部員のひとりが、悲鳴にも似た声をあげる。


 学校を出て30分近く走っただろうか。工藤さんが「ここだよ!」と自転車を止めたのは、琵琶湖岸の公園だった。周りは湖岸沿いを走る幹線道路以外、見事に田んぼとメロンのビニールハウスくらいしかなく、ずっと向こうに人家の明かりがぽつぽつと見えるくらいだ。


 草津市周辺の琵琶湖の湖岸は、その多くが緑地公園として整備されている。芝生や東屋はもちろん、場所によってはトイレや駐車場も設置され、バス釣りやキャンプ、バーベキューを楽しめる。ここは併設の駐車場が小さいという事情があるのだろう、車で来ている人はいるが、思ったほど人は多くない。徒歩で来るにしても結構な距離があるので、結果として穴場になっているようだ。


「ホントにここから花火なんか見えるのか?」


 俺は自転車のスタンドを立てながら、きょろきょろと周囲を見回した。いくら人が少なくてもろくに見えないんじゃ、穴場とは言えないぞ。


「そこは心配ご無用、打ち上るのは対岸だけど、琵琶湖がずっと広がってるからここからでもよく見えるんだよね!」


「浜大津だとマジで窒息するレベルで人多いからねぇ。前に行ったことあるけど、あの時は本気で身動き取れなかったよ」


 長らくこの地に住んでいる部員たちがこう言うのだから、たぶんここからでもよく見えるのだろう。しかしどこであろうと我が国で花火大会となれば、礼拝時のカーバ神殿にも劣らぬ賑わいをもたらすようだ。


「打ち上げられるのはあの辺りだから、この位置が絶好のポイントだよ」


「ハッタヤ、よく知ってるね」


「うん、去年姉さんに連れられて浜大津まで見に行ったから」


 湖の方を向いていたハッタヤと佐竹さんの1年低音コンビが、肩を寄せ合って楽しげに話している。そんなふたりの仲睦まじい様子を、他の部員たちはさも当然のようにふふっと微笑みながら見守っていた。


「ねえねえ、砂岡っちー」


 ハッタヤの言葉をヒントに、絶好ポイントはどこかと芝の上をうろうろと歩き回っていた時のことだった。工藤さんが後ろからつんつんと指で突っついてきたのだ。


「向こうに自販機あるからさ、ちょっとみんなのジュース買ってきてよ!」


「は、何でだよ?」


「は、じゃないよ。あんた男子のくせに、か弱い女の子に重い缶運ばせるわけ?」


「どこがか弱いか、どこが!?」


 お前らの普段の生態知ってる身からすれば、そんなワード口が裂けても飛び出してくるもんか。


「ウチ、メロンソーダ」


「私、オレンジジュース」


 だが周りの部員たちも工藤さんに乗っかるように、俺を下僕も同然に次々とオーダーを入れる。結局10名近くの要求を押し付けられた俺は、渋々駐車場に設置された自販機へと向うことになったのだった。


「まったくもう……」


「砂岡くん、手伝うよ」


 その場を発つ俺を見て、宮本さんがてこてこと後に続く。やっぱこの子だけだよ!


「ええっと、コーラが2本でオレンジが3本だったかな?」


「それとメロンソーダね。松子ちゃん、メロンソーダ好きだから」


 ボタンを押してはキンキンに冷えたアルミ缶を取り出し口から拾い上げるを繰り返していた、まさにその最中だった。どこからかドーン、パラパラと何かが低く弾け飛ぶ音が聞こえ、俺と宮本さんはふたりそろって反射的に空を見上げた。


 目に映ったのは、夜空に煌めく赤、白、青、様々な色彩の閃光。それが遮る物の一切無い琵琶湖の向こうから次々と打ち上げられ、対岸の比良山系やビルをバックに華々しくまき散らして消える。


 高く打ち上っているおかげで大きく見えてはいるが、実際は相当な距離があるのだろう、空の上で花火が開いてももすぐには何も聞こえず、しばらく経ってからようやく脳の奥をビンビンと揺らすような爆発音が耳に届いていた。


「うわーお、始まっちまった」


「早くみんなのところ、戻らないとね!」


 俺と宮本さんはそれぞれジュースの缶を抱え込みながら、すたこらと元の場所に戻る。いつの間にか増えていた見物客も全員が空を見上げて「きれーい」とか言っているが、俺たちはちらちらと空を盗み見ながら走るしかなかった。


 だが急いで戻ってきた俺と宮本さんは、やがて「あれ?」と首を振り回すことになるのだった。


「おっかしーな、誰もいないぞ?」


「本当だね、どこ行ったんだろ?」


 ついさっきまでここら辺に10人くらいで固まっていたのに。少なくとも俺の視界の範囲では、よく知る吹奏楽部員の顔はどこにも見当たらなかった。


「モエちゃーん、松子ちゃーん、どこー? ジュース買ってきたよー!」


 宮本さんが手をメガホンにして声を響かせる。しかし返ってくる声は何も無く、ただ花火が炸裂する音だけが湖岸の公園を包んでいた。


「ウソ、はぐれちゃった?」


 夜闇の下でもわかるほどに、さっと顔を青ざめさせる宮本さん。


「いや、いくらあいつらでも10人一斉に迷子になるなんてことは無いと――」


 俺は苦笑いを浮かべながら答えていたものの、極彩色の光を反射してゆらめく宮本さんの不安げな瞳を向けられ、呼吸の方法を忘れるほど驚いたのだった。


 気が付いたら俺と宮本さん、ふたりっきりじゃねえか! しかもこんな夜の花火大会で!!!


 抱え込んでいた缶ジュースが、ボロボロと手から芝の上へとこぼれ落ちる。あまりの事態に無意識を司る神経がいかれてしまっていた。


「ど、どうしたの砂岡くん!?」


 平常心を失った俺を見て、慌てて声をかける宮本さん。こんな反応を示すあたり、この子も今の状況に陥ってしまったのは想定外だったようだ。


 今思い返してみれば、アンコン前夜もそうだった。俺の勘が正しければ……いや、十中八九当たっているだろう。


 何がジュース買ってこい、だよ。あいつら、俺と宮本さんをわざとふたりっきりにさせやがったな!?

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