第三十章その3 夏の思い出を作ろう!
「みんなものすごく上手くなってるよ! もう私たちからできるアドバイスなんて、何も無いってくらい」
藤田先輩が眼鏡の下の瞳を輝かせながら感激したように言う。午後の合奏を聞いていたところで手島先生からコメントを求められ、開口一番後輩たちの上達を称賛していた。
「ホント、ウチももう1学年下だったら、いっしょに関西行けてたのに……と、それじゃ砂岡と同学年ね。やっぱノーサンキューだわ、今のままでいいわ」
「先輩、ひどいっすよー」
オチに使われて力なく反論すると、部員一同からどっと笑いが起こる。筒井先輩の生々しい話を聞いて少し気が軽くなった俺は、殊更注意されること無くこの日の合奏を終えていた。
部室に夕陽が差し込む中、部員たちは各々楽器を片付ける。
「ねえ、砂岡くん」
ユーフォを楽器ケースにしまって額の汗を拭っていた時だった。手にホチキス止めされたプリントを手にした宮本さんが、後ろから話しかけてきたのだ。
「塾の宿題なんだけど、これ、どうやって解くの?」
「どれどれ?」
俺は宮本さんの細い指先が指し示す問題に目を落とす。理科の問題集、電気回路にかかる電流と電圧を求める問題だ。
「ああ、これはね、この並列つなぎになってる部分をでっかいひとつの抵抗のカタマリって思えばいいよ。で、こっちの直列回路にかかってる電圧はわかっているから……」
「すっご! そうやって解くんだ、知らなかったなぁ」
まるで手品でも見せられたかのような表情の宮本さん。心の底からの驚きっぷりが可愛らしくて、俺はつい調子に乗ってしまう。
「受験問題ってパズルみたいなもんだよ。初めて見た時は何じゃこれって思うけど、解き方知ってると案外簡単に解けたりね。数こなしていけばよく似たパターンも出てくるから、今はできなくても問題の解き方を知っておくと全然違うよ」
とまあ得意げに話しているけど、これ全部塾の先生の受け売りなんだよね。
「できるかなぁ。私、パズルとかクイズとか苦手だからさ」
「みやぽんの場合、パズルどころか基礎的なところがわかってないような気がするよ」
横から割り込んでけらけらと笑う松子に、宮本さんは「松子ちゃん、ひどい!」とハムスターみたいに頬を膨らませる。ナイス松子、宮本さんの珍しい表情見られたぜ!
「はいはいみんな、注目注目!」
そんな時、指揮台の上に立ったアルトサックス3年の工藤さんがパンパンと手を叩く。帰宅しようとカバンを肩にかけていた部員たちは立ち止まり、談笑も中断して一斉に顔を向ける。
「8日の日曜なんだけど、練習の後ってみんな暇? せっかくだから花火見に行かない?」
「花火?」
俺は首を傾げる。だがほぼ同時に、部員たちの大半が「行きたーい!」と歓声とともに賛同したので、俺の疑問の声はかき消されてしまった。
「そういえば、もうそんなシーズンだったねえ」
両腕を組んでうんうんと感慨深げに頷く松子。他の部員たちも「誰か彼氏と行ったりしないのー?」と浮足立った様子だ。
「花火って?」
しかし一向に要領を得ないままの俺に、しびれを切らしたようにユーフォの後輩の古川さんが声をかける。
「毎年、8月になると浜大津でびわ湖大花火大会ってのが開かれるんですよ。道路が全部歩行者天国になって、県外からでもものすごい大勢が来るんですよ」
「あー、そういえば前に花火とかなんとかテレビでやってるの見たなぁ」
受験と大会で頭の中一杯だったから気に留める余裕が無かったけど、思い返してみるとニュースやCMで浜大津の花火云々とか言ってた気がする。去年はその時期、家族で広島に帰省していたからわかんなかったけど。
「ですが花火大会の時間に間に合いますかね? 電車もすっごい混みますよ?」
質問を飛ばすのはホルンの江口さんだ。だが工藤さんはちっちと指を振ると、「だいじょーぶ!」と自信満々に返したのだった。
「私、知ってるんだ、穴場! 人も少ないし、100万ドルの風景を独り占めしてる気分だよ」
「ホントに!?」
部員たちがさらに食いつく。でも滋賀県の風景で100万ドルって表現する場所あったかな?
「先輩、私行きたいです!」
「私も!」
「へっへーん、いっちゃんいい場所教えたげるからね! ほらほら、徳森も行こうよ!」
さらなる賛同者を募る工藤さんは、金管パートにもちょいちょいと手招きを向ける。だが当の徳森部長は、「あー、ごめんけど私はパス」と手と首を振ったのだった。
「え、男!?」
「徳ちゃん、あんたいつの間に!?」
突如浮上したまさかの疑惑に、室内が色めき立つ。
「いやいや、もう家族で見に行くことになってるからさ。弟がべったりくっついてきてもいいってんなら、あんたたちと行けるけど」
一同は「ああー」と納得させられてしまった。見た目は近寄りがたいルーズソックスギャルだが、徳森さんは校内でも屈指のブラコンとして有名だ。
「みやぽんも来るよね?」
「もちろん!」
工藤さんのお誘いに、ノーモーションで乗る宮本さん。2年の時に同じクラスだったからか、彼女は工藤さんと仲が良い。
「砂岡っちもどうよ?」
ついでといった具合に声をかける工藤さん。
「うーん、どうしたものかな」
魅力的な話ではあるのだが、如何せん時期がなぁ。大会前で勉強時間の限られる今、少しでも余裕を見つければ問題集解くのに使いたいんだけど。
「行きなさいよ、せっかくなんだから」
だがそんな俺の心境を見透かしてか、声をかける人物が約一名。トロンボーンパートの子らと混じって話していた筒井先輩が、いつの間にか後ろに立って俺の背中をぽんと押したのだ。
「あんた、お盆休みは夏期講習で全部潰れるんでしょ? ならその前に少しくらい休まないと、気負い過ぎて頭破裂しちゃうわよ」
そんな世紀末の雑魚キャラみたいな事態にはならんと思うけど、たしかにそれもそうだな。先輩たちもオンとオフをしっかり分けろと言っていたし、遊ぶときは遊んで頑張るときは頑張ればそれでいいか。
「ああ、じゃあ行くよ」
「いよっ、さすが砂岡っち、潔いねぇ!」
工藤さんが親指をぐっと立ててこちらに向ける。だがその口元はどういうわけか、不可解な笑いで吊り上がっているように見えた。




