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第三十章その2 遊びにきましたー!

「砂岡、なんか音がザツー」


 翌日の午前、低音パートで課題曲『エアーズ』の音合わせをしていると、弦バスを弾いていた松子が口を尖らせる。


「そうか?」


「そうだよー、もっとまるーく吹かないと、曲のイメージと合わないよ」


「すまん」


 1年生も見ている前だけに情けない。


「砂岡くん、体調悪くない?」


 そう軽くへこむ俺に、宮本さんは本気で心配してくれているように声をかけてくれるのだった。


「うん、元気元気!」


 俺はすぐさま答える。やっぱ俺にとって一番の健康法は、宮本さん見てることだよ!




 昼休み前、午後からの合奏に備えて部室の椅子を部員たちで並べなおしている時のことだった。


「みんなー、関西大会出場、おめでとー!」


「あんたたち、ホントよくやったわねー!」


 前触も無く部室に現れた懐かしの顔に、部員一同からきゃーっと歓声があがる。


 まさかの筒井先輩と藤田部長のふたりが、そろってやって来たのだ。ふたりとも気楽な私服で、いかにも休日の高校生といった印象だ。


「先輩、どうされたんですか!?」


「ウチらふたりとも県大会で終わったから、もう部活も休みに入ったのよ。で、カサキタが関西行くって聞いたから、せめて差し入れでもって覗きに来たのよ」


 そう話す筒井先輩は、廊下に置いていたクーラーボックスをひきずりながら部室の中に運び込んできたのだった。釣りでも使えそうな、かなりでかいサイズだ。


「せめてものお祝いよ。アイス持ってきたから、好きなの取りなさい」


「ひとり1本ね」


「いやったああああ!」


 OBからの思し召しに、暑さに参っていた部員たちは狂喜乱舞して群がる。


「あ、スイカバー狙ってたんだから、取らないでよ!」


「ガリガリ君は私がもらう!」


 そして繰り広げられるアイスの奪い合い。動物園の猿山かよ、ここは。


 そんな争奪戦の成り行きを、俺は遠目に眺めていた。どうもあの中に加わろうという気力が湧いてこなかったのだ。


「どうしたのよ砂岡、オランウータンみたいな顔して」


 だがこちらに気付いた筒井先輩は、眉をひそめながら不意に尋ねてきたのだった。


「そんな顔してたんすか、俺?」


 訊き返す俺に、藤田先輩もこくりと頷く。


「うん、なんか心ここにあらずって感じ」


「そうよ、せっかく関西行けるってのに、そんな辛気臭い顔してたら見てる部員のやる気もだだ下がりよ。ほら、余りモンだけど、これでいい?」


「どもっす」


 そう言って先輩は俺にアイスを一本よこしてくれた。


 オランウータンの顔をじっくり見たことが無いので、具体的にどんな表情だったのかはわからない。だが俺自身がそんな顔になってしまっている理由は明白、受験勉強のことが気になって仕方ないからだった。


 これまでは吹奏楽も受験勉強も両立させようと頑張ってきたものの、いざE判定という結果を目の当たりにするととても順調とは口にできない。


 しかもすでに部活を引退した他の中学3年生は、今俺がこうしている間にも勉強に時間を割いている。


 そう考えると自分だけがひどく取り残されているように思えて、このままで良いものかと焦燥感に駆られてしまう。


 関西大会に向けて、もっとがむしゃらに練習に打ち込みたい。それは間違いなく本心だ。


 しかしその一度の大会のために、高校受験で大きく出遅れてもよいものか。それにめでたく東寺町高校に合格できれば、全国有数の強豪という絶好の環境で練習できるんだぞ。


 今ここで部活やってて、本当にいいのだろうか?


「砂岡、あんたトイレ我慢でもしてんの?」


 筒井先輩がまたも声をかける。先輩がここまで心配してくれるほど、俺の表情は深刻だったのだろう。


「あの、先輩」


「うん?」


「実は……」


 俺は筒井先輩と藤田先輩を廊下に連れ出し、そして打ち明けたのだった。


 ついこの間、熾烈な受験ウォーズをくぐり抜けてきた先輩たちならば、こういう時の振る舞いについて的確なアドバイスをくれるかもしれない。


「なるほど、砂岡も大変ねぇ」


 聞きながら筒井先輩は手で顎をさする。


「私たち砂岡くんくらい成績良くなかったから同じレベルで話していいのかはわからないけど、文化祭前とかは不安だったよ」


 藤田先輩も同情するような、それでいて昔を思い出すような目を浮かべていた。


「でも答えから先に言うとね、まだ8月なんだから大丈夫だと思うよ。これが10月ならお願いだから勉強してって感じだけど」


「そうですかね?」


「そういうもんだよ。私の2つ上の先輩にも、10月まで部活やって石鹿せきろく受かった人もいるから。きっと砂岡くんも平気だよ!」


 石鹿というのは県内で最も偏差値の高い公立高校だ。公立志向の強い滋賀県では、勉強のできる子はとりあえずここを目指すのがデフォルトになっている。


「そう、ならいいんですけど……」


「ああもう、辛気臭いわね!」


 しかし今一歯切れの悪い俺にイラついてか、筒井先輩がぐいっと割り込んだ。


「勉強時間確保してもダラダラしてたら身に付くものも身に付かないわよ! それより部活の時は部活、勉強の時は勉強って切り替えてる方が、よっぽど効率良いもんだわ。高校でもね、一番勉強できるのは部活入ってない子じゃなくて、むしろ勉強も部活もそれ以外の趣味にも全力で打ち込んでいるようなタイプなのよ」


 まくし立てる先輩に気圧された俺は、つい「そ、そうなんですか?」とたじろいでしまう。久々におネエ語聞くと、やっぱインパクト強いよな。


「それにね砂岡、高校入ったらイヤでもそうならざるをならなくなるわよ。高校の数学と比べたら、中学なんてただのお遊びに思えてくるくらいだから」


 話す内に、筒井先輩の目からどんどん光が失われていった。やがて「ひひひ」と不気味な笑い声を漏らし始めると、俺はぞぞぞっと肌寒いものを感じて「先輩?」と尋ねる。


「筒井くん、一発目の数学のテストでいきなり赤点取っちゃったからね。トラウマになってんだよ」


 藤田先輩が呆れたようにため息を吐く。途端、筒井先輩は顔を蒼白にさせながら悲鳴に近い声をあげたのだった。


「ホント冗談じゃないわよ、最初に答案用紙が返ってきたときとか、教室の空気が完全に凍りついてたわよ。これが高校の勉強かって、みんな頭ハンマーで殴られた気分だったわ」


 何それ、高校って怖い。俺はひそかにまだ中学生で良かったと安心していた。

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