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第三十章その1 自分の立場

 コンクール県大会から2日後、練習前のミーティングでのことだった。


「今日は皆さんに、大切なお話しがあります」


 楽器の準備を終えて席に着いていた俺たちに、指揮台の上から先生がいつもの微笑みとともに話しかける。その両手は、B5サイズのプリントの束をばらばらと広げていた。


「これから8月25日の関西大会に向けて、より一層真剣に練習に取り組んでいかなくてはなりません。なので以前お渡しした練習スケジュールは捨ててください、新しく組みなおしたものをお配りします。パートリーダー、取りに来てください」


 先生がそう言ったところで、各パートの代表者が一斉に席を立つ。やがて各自にプリントが配られたところで、俺は新たに更新された予定表に目を落とし、その黒一色ぶりに「うわぁ」と感嘆の声を漏らしたのだった。


 県大会を突破できなかった吹奏楽部というのは、8月下旬まですっぽり練習が無くなって、ゆるゆるな練習スケジュールになるのが全国共通だろう。しかし今しがた配られたスケジュールでは、13日から16日までのお盆休み以外、曜日問わずみっちりと練習で埋め尽くされていたのだった。


「それと急な話ですが、お盆休み明けに再び3泊4日の合宿を行ないます」


 さらっと飛び出てきた先生の発言に、スケジュールを眺めていた部員たちは「え!?」と顔を上げる。


「あの和邇のところですか?」


「ええ、オーナーも是非また来てくれって、とても喜んでいらっしゃいましたよ。もちろん、バーベキューもまた用意してくださるそうです」


「いよっしゃあ、やる気出た!」


 マリンバの裏側に座っていたたくちゃんが雄叫びをあげる。周囲の女子部員が軽く軽蔑の眼差しを向けるものの、まるで気付いていないようだ。


 そんな浅ましい中坊男子を微笑ましく見守りながら、先生は話を続けた。


「カサキタにとっては初めての関西大会出場ですが、それは多くの学校が涙を呑んだ末の結果でもあります。大勢の中から勝ち抜いた滋賀県代表として、恥ずかしくない演奏を完成させましょう」


 俺たちは「はい!」と声をそろえる。関西大会は全国でも有数の激戦区だ。全国大会常連校が鎬を削る場だけに、生半可な練習ではとても通用しない。手島先生も県大会前以上の本気モードを醸し出していることは、部員なら誰しも気付いていた。


 そして同時に、さらなる躍進を目指す先生に異論を唱える者はいなかった。県大会を突破して、実力に裏打ちされた自信を身に着けた今のカサキタ吹奏楽部に、ぐうたらしていたいといった考えが湧いてくるなどあり得なかったのだ。


「ははは、この夏は忙しくなりそうだね」


 ミーティング後、スケジュールを見つめなおした松子が渇いた笑いをこぼす。日程的にきついなぁとは思いながらも、大会のためならと納得はしているようだった。


「だよな。しかも俺、お盆は塾の夏期講習で潰れるし、マジで休みねーよ」


「砂岡くんも大変だねぇ」


 愛用のチューバをよっこいせと持ち上げながら、宮本さんが同情するように吐き出す。


「私はとりあえず、夏の間にちゃんと因数分解できるようになりたい」


「ああ、公立入試じゃ数学の大問1、絶対に計算問題で出てくるもんね」


 松子がぽんと手を叩く。さすがに8月にも入ると、まだ部活の終わらない3年生であっても受験に対して正面から向き合わざるを得なくなるようだ。




 その日の練習後、俺は制服姿のまま塾へと向かった。


 講義室の机で社会科の参考書を読んでいると、授業開始時間のチャイムが鳴ったところで先生が入室する。先生はテキストの他に、大きな茶封筒の束を抱えていた。


「ほらみんな、席に着けー」


 でっぷりボディを響かせた先生の声に、友達同士集まっていた塾生はすぐさま指定された位置に着席する。


「今日は授業に入る前に、この前の模試の結果を返す。呼ばれたら取りに来いー、青木ー、稲田ー、遠藤ー」


 名を呼ばれる度に、ひとりずつ席を立って封筒を受け取る塾生たち。そして席に戻ってすぐさま順位と偏差値、合格判定の書かれた紙を取り出し、その結果に一喜一憂するのだった。


「砂岡ー」


「はーい」


 俺も茶封筒を受け取り、せこせこと席に戻る。


 俺はこの進学校を目指す塾の中でも、特段成績の悪い方ではない。加えて入塾当初とは違い、受験問題の解き方のコツもある程度つかんできたところで受けた模試なので、それなりの点数はあるだろうという自信もあった。


 だが封筒から取り出した紙を眺めた瞬間、俺は自分の目を疑ってしまった。


 い、E判定……です……と?


 にわかには信じられない。ぶんぶんと頭を振って、今一度判定を見つめなおす。しかしその結果は何度読み返しても同じ、「東寺町高校・特別進学コース・専願・E判定」のままだった。


 愕然とするしかなかった。俺の第一志望である東寺町高校は、近畿地方でも有数の進学校だ。出題の難度は県内公立入試のそれをはるかに上回り、受験に向けて特別な対策が必要になるのは当然となる。


 しかしいくら受験勉強モードに切り替えるのが遅かったとはいえ、そんな箸にも棒にも掛からないレベルだなんて……。おまけに数学に至っては、偏差値50さえも切っている。5教科合計で言えば中堅公立校ならなんとか合格できる点数ではあるものの、志望校にははるかに及ばない。


「よっしゃ、A判定!」


 その時、俺のひとつ後ろのヤツがバンザイしながら席から跳びあがった。すぐさま周りの塾生が「いいなー」と羨望の眼差しを向ける。


 おいおい、たしかこいつ、第一志望は俺と同じ東寺町じゃなかったか?


 こんなすぐ後ろのヤツにも及ばないくらい、今の俺ってダメダメなのか?


 俺が絶句する傍らで、後ろのヤツはなおも自慢げにVサインを周りに振りまく。その喜びっぷりに、気難しい先生もほくほく笑顔を向けていた。


「高橋、お前すごいな。特別進学クラスに混じってもいい点数だぞ。だが勝負は今じゃない、試験本番まではまだまだあるから決して油断はするな。そしてみんなも今回の結果をしっかりと受け止めて、本番きちんと合格できるように今からコツコツ積み重ねていこうな!」


 先生としては今の結果が悪くても、まだそこまで気にするなとでも言いたいのだろう。


 だが実際に悲惨な判定を突きつけられた側からすれば、この返却の瞬間というのはこれからの未来が閉ざされてしまったかのようなショック状態にある。いくら慰められたとしても、絶望に打ちひしがれた身には気休めにも感じられないのが実情だ。


 そして同時に思ったのだった。これは本気で受験対策していかないと、マジで合格なんて夢のまた夢だぞ。


 部活も勉強も全力投球、なんて甘い考えでは太刀打ちできない。俺にはまだまだ時間と努力が必要だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] いくら部活に一生懸命で受験勉強をしていなかったとしても、公立の中堅校(偏差値55以下?)ならなんとか受かる程度の学力では、県下どころか近畿でも有数の私立進学校(偏差値75近く)なんて端から無…
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