第二十八章その1 ああ夏休み
「おおーい、賞状もっと目立つように広げなよ」
でっかいレンズの取り付けられたカメラを携え、水上さんがくいくいっと手で合図を送る。
「ほらほら部長、そうそう、その位置その位置。あー小島、もうちょっと佐竹とくっついて」
そして夕方になってもまだまだ暑さの残る守山市民ホールの駐車場の一角で、カサキタ吹奏楽部37名はぐっと小さく身を寄せると、カメラに向かって最高の笑顔を見せつけたのだった。
「県大会出場、おめでとー!!!!」
大歓声と同時に両手を挙げたりガッツポーズを作る部員たち。同時に、水上さんはカシャッとシャッターを切って「これでよし」と満足げな笑みを浮かべたのだった。
夏休みに入ってすぐの7月23日、この日開催されたコンクール滋賀県南部地区予選で金賞を獲得した俺たちカサキタは、県大会本戦への出場を決めたのだった。合宿での追い込みと廿日山に聴いてもらった経験が相当活きたのだろう、1年生たちは本番直前になっても思いのほか落ち着いた様子で、舞台袖でひとつ前の学校の演奏を聴いている時も誰も焦りの表情を見せなかった。
実際の演奏もリラックスしてのびのびと吹けている印象で、演奏が終わった瞬間に「あ、これは行ったな」と手ごたえを奏者自身が感じるほど、きれいに音が重なり合っていた。
「じゃあ次は結月、もっと真ん中寄れって!」
「ええー、まだ撮るのですか?」
人差し指で方向を示す水上さんに、松井家次女こと結月ちゃんが辟易とした声を漏らす。そんな彼女は金賞とはまた違う、別の表彰状を両手で広げていた。
「そうそう、今日はあんたが主役なんだよ」
「いよっ松井結月、日本イチ!」
先輩たちにおだてられて悪い気はしないのか、結月ちゃんは「いやーそんなことーありますよー」と少しだけ口角を上げた。やっぱこの子、松子の妹だけあるな。
なんとも嬉しいことに、このコンクールにおいて結月ちゃんのオーボエは個人賞に当たるきらめき賞に選ばれたのだった。これは3年生までも含め、彼女のオーボエの音色が抜群に良い評価を得たことを意味する。
昨年のフルートの藤田部長に続いて、2年連続でのきらめき賞選出。地区予選でありながら、カサキタの存在感を遺憾なくアピールできたと言えるだろう。
しかし金賞と言っても、地区大会を突破できたのはAの部で出場した17校中8校。言い換えれば全体の上半分と評価されたに過ぎず、ようやく戦いの土俵に這い上がれた段階でしかない。
特に名門守山中央の『組曲「惑星」より「木星」』は、まさに圧巻の一言だった。あんなに複雑な和音を50人でぴたりとそろえ、場面ごとにまったく様相の異なる曲でありながらまるでひとつの絵物語のように連続性を感じさせるほど惹きつけられる演奏はなかなか無い。
誰もがよく知る有名な曲だけにミスがあればとんでもなく目立ってしまうものの、そのリスクをまるで意に介さず、彼らは真っ向から難曲に挑んで見事に吹きこなしてしまったのだ。というかスコアで必要とされていることはわかっていたけど、いざ本当にティンパニー2セットが舞台の上に並べられた時には戦慄したもんだよ。
次、関西大会に出場するためには、俺たちはあの守山中央を超える演奏を目指さなくてはならない。
県大会本番は8月2日。残りはあと10日足らずだ。この短い期間に、より全体の完成度を高めていかなくては県大会突破は叶わないだろう。
本当の勝負はここからだ。明日から早速、より一層ギアを入れて再び練習に取り掛かろう!
と、決意新たに意気込んだは良いものの、人間そう簡単にスイッチが入るものではない。
「あっつー」
翌日、俺は蒸し風呂のような熱気に包まれた学年室の窓を全開にすると、椅子の背もたれにぐでっともたれかかり、下敷きをうちわにしてパタパタと風を送っていた。いつもなら肌身離さず抱きかかえているユーフォも、今日は鉛のカタマリみたいに重く感じるので机の上で寝かせている。
「あ、砂岡だらけてるー」
部室から戻ってきた松子が、干物みたいになった俺を見るなり指を差して言い放つ。
「あー、今日一日くらいまあいいかなーって」
俺は脱力した身体を起こすことも無く、下敷きで自分の身体をあおぎ続けながら答えた。
県大会まで時間が無いことは分かっている。しかし残念ながら何でもすぐに行動に移せるほど、俺はエネルギッシュな性格ではないのだ。
「あ、いたいた。ねえ砂岡!」
その時、徳森さんが部屋に入ってきたので、俺はようやく顔を向けた。トランペットの練習場はこことは別なんだけど、何があったのだろう?
「数学の宿題なんだけど、ここ、どうやって解くの?」
そう言って部長は、夏休みの課題のテキストをばっと広げる。ご丁寧に空白の問題には、ハテナマークの記された付箋が貼り付けられていた。
「んなもん自分で考えろって。俺も塾の宿題あるんだし」
「そんなケチ臭いこと言わないでよ、宮本もわからないって困ってたし」
「よし、そこは共通因数2で式全体をくくり出せるだろ? あとは公式通り因数分解してやって……」
宮本さんが困っているならば手伝わない理由がない。俺は下敷きを投げ捨て、件の問題の解き方を説明した。
「ゲンキンな人間だねぇ」
隣から松子が軽蔑の眼差しを向けて吐き捨てる。うるせえ、ゲンキンだろうがクレジットだろうが宮本さんのためなら何だってするのが砂岡敏樹って人間なんだよ。
ひとつハードルを乗り越えて気持ちが緩んでしまっている点については、他の部員も似たようなものだった。一昨日までは一分一秒とて無駄にするまいと徹底的に吹き込んでいる練習の音が校舎のあちこちから鳴り渡っていたものだが、今日は聞こえてくる他パートの音にも力が無く、どこか寂しく感じる。
先生も昨日の今日だけに、やれもっと本気で練習しなさいと言ってくる様子も無い。しかも今日の練習は久しぶりに午前中だけでおしまいだ。合宿前からずっと緊張状態が続いていただけに、ここらで一旦緩ませてやろうという温情だろう。
だがそれでも、合奏だけは本気だった。
「はい、ユーフォもっとアクセント利かせて!」
普段より短時間のはずなのに、その密度は反比例して増している。すっかり気の抜けた演奏をしてしまった俺は、いつもの笑顔をまったく崩さぬ先生に、けちょんけちょんに吊るし上げられましたよ……。
「砂岡くん、随分叩きのめされてたね」
心をずたずたにされて楽器を抱え込んだまま椅子にもたれかかる俺に、宮本さんが苦笑いで話しかける。彼女はチューバの表面にへばりついた指紋を、ピカピカになるまで丁寧に拭き取っていた。
「明日からは真面目にいかないと、マジで先生ブチ切れさせてしまうかもしれね」
「だね、私も気を付けないと。ところで砂岡くん、みんなといっしょにお昼食べるの?」
午前で練習が終わった後、吹奏楽部は駅前のショッピングセンターまで移動し、お疲れ様&もういっちょ頑張るぜ会を開くことになっている。
「ああ、今日はまだ塾あるから。夕方までみんなと遊んだら自習室に直行して、夜の講義まで時間を潰すつもりだよ。イヤになるよ、県大会終わったらすぐ模試だぜ」
「砂岡くん、ホントによく頑張るねぇ」
「俺から言わしたら、宮本さんこそもうちょっと受験見据えて頑張れよって感じだよ」
ちょっと意地悪っぽく返してやると、たちまち小柄なチューバ吹きはむっと頬を膨らませる。かわいい。
「私だって個別指導の塾通ってるよ、数学なんて2年の単元から復習してもらってるんだから。夏休み終わったらきっと驚くよ!」
そしていささか乱暴な手つきでチューバをケースにしまうと、わざとバタンと大きな音を立てて蓋を閉めたのだった。
参考音源
『組曲「惑星」より「木星」』
https://www.youtube.com/watch?v=8qFIrIkUPRk




