第二十七章その3 合同練習
翌朝、ご飯に味噌汁に焼き魚とオーナー夫婦手作りの健康的な朝食を済ませた俺たちは、早速楽器を取り出してパートごとに分かれて練習に打ち込んでいた。
日光に弱い木管楽器は屋内で半円形になってそれぞれ音を合わせる一方、金管組は持ち運びの大変なチューバ以外は裏庭に出て、湖に向かって音を響かせていた。やっぱりこういう開けた場所に向かって吹くのって気持ち良いよね。
そして午後、合奏の隊形になってチューニングを整えていると、「失礼します」と大広間に誰かが入ってきたのだった。
「本日はよろしくお願いします」
入室したのは30人ばかりの、俺たちと同年代の男子女子。その中には本当に中学生かと疑ってしまう、見るからに金髪のヤンキー少年も混じっていた。
そう、今日は他校に演奏を聴かせる合同練習、その相手は手島先生が2年前まで赴任していた、彦根の廿日山中学だった。
一列になってお辞儀する相手に合わせ、俺たちも「よろしくお願いします」とぺこりと頭を下げて返す。
「手島先生、久しぶり!」
そんな緊張した面持ちの一行の中、いかつい金髪という見た目の割に実はフルート奏者という金子君がかつての恩師に向かって陽気に声を挙げた。
「ええ、お久しぶりです。皆さん、お元気でしたか?」
指揮台を離れた手島先生は天使の微笑みを廿日山の生徒たちに投げかける。そのすっと胸の中に入り込んでしまうようなスマイルには、直接指導を受けたことの無い1、2年生たちも表情を崩されていた。
大広間の壁にぴたりと背を貼り付ける廿日山の生徒たち。向けられる視線に戸惑いを感じながらも、気にするな気にするなと自分自身に言い聞かせて俺たちは楽器をかまえる。
今日の練習は、人前で吹くことの緊張感に慣れることが最大の目的だ。特にまだコンクール経験の無い1年生にとっては、たった30人とはいえ他校の人間に聴かせるというだけでも心臓バクバクもののようで、楽器を持つ手を震わせている。
「それではまず、カサキタの演奏をお聴きください」
そして手島先生の「ワン、ツー」を合図に課題曲『エアーズ』の演奏を始めたのだった。
たくちゃんのマレットがグロッケンの鍵盤を叩き、澄んだ金属音が大広間に響く。そこから木管を中心に包み込むような優しさの主旋律が奏でられる。
さすが泣く子も黙る水上さんの指導を受けただけはある、クラリネットは一音一音がきれいに重なり合っており、一糸乱れぬハーモニーを形成していた。他のパートも合宿前より手島軍団からそれぞれの楽器に即したレッスンを何度も受けていたおかげで、これといったミスも無く演奏をこなしている。特に工藤さんのアルトサックスソロの音色は、実にしっとりと感情豊かなものだった。
課題曲に関しては、総じて他人に聴かせても恥ずかしくないレベルまで仕上がっていた。自分たちで言うのもあれだが、コンクール地区大会なら大崩れしない限り十分通過できるだろう。
無事に『エアーズ』を吹き上げたところで、それまで弦バスを演奏していた松子は楽器を椅子に立てかけてその場から移動する。そしてバスクラリネットの隣の空席に置かれたファゴットを持ち上げてかまえると、カサキタの37人はすぐに自由曲『伝説のアイルランド』の演奏に移ったのだった。
課題曲とは真逆の重苦しい旋律の序盤。空間そのものを揺らしてしまうようなティンパニーの打音に合わせて、金管を主とした壮大な響きが鳴り渡る。
やがて悲壮感漂う冒頭部を終えて、曲はオーボエソロを迎えた。
途端、ずっと立っていたおかげで少し疲れ気味の顔を浮かべていた廿日山の生徒たちが、一斉に目を開いてぐっと身を乗り出す。その理由は明白、結月ちゃんの中学生離れした色っぽいオーボエの旋律を聴いて驚嘆しているからだった。
課題曲の時点ですでにカサキタのオーボエは上手いなと感じている空気が漂っていたが、改めて打楽器以外に邪魔する音の無いソロで聴いたことで、その演奏技術がずば抜けていることをまざまざと見せつけられたのだろう。30人の聴衆は全員が口を半開きにして、ただただ結月ちゃんの奏でるオーボエに圧倒されていた。
あまりにも見事なオーボエが奏でられるその最中、俺はファゴットをかまえる松子にふと目を向けていた。目に映った彼女は妹の演奏などまるで耳に入っていない様子で、まっすぐに先生の指揮を見つめている。
ついにファゴットが結月ちゃんのオーボエと重なり合う。そこで奏でられたのは、昨日よりもどこか堂々としたファゴットの低音だった。その音色を聴いたオーボエは勢いを落とさず、これまでと同様歌うような調子でさらりと吹き上げる。
一瞬、先生がはっと口を開いて驚きの表情を見せた。だが次の瞬間にはにこりと優しく微笑み、タクトを振ってリズムを刻み続けたのだった。
自分のパートを吹きながら、俺は内心ほっとしていた。水上さんの言う通り、松井姉妹の強さは本物だった。これだと必要以上に気にしていた自分が、アホみたいに思えてくるじゃないか。
通しで課題曲と自由曲の演奏を終えた俺たちは、廿日山の先生と生徒からどうだったか感想をもらう。そこで「ユーフォは音はきれいなのに、なんだか雑念が混じっているようで音がぶれていました」と聞かされて軽くショックを受けた後、俺たちは各自持っていた楽器をその場に置き、大広間を後にして玄関から外に出たのだった。
今度は俺たちが聴く番だ。すぐ近くにある別の合宿所に向かい、その中の広間で合奏隊形を整えた廿日山中の演奏に耳を傾ける。
廿日山も部員が増えたおかげで、俺たちと同様に小編成の部からAの部へと移行したそうだ。
廿日山の課題曲は『吹奏楽のための「風之舞」』。課題曲はカサキタでも『エアーズ』とどちらにするか最後まで悩んだあの曲であり、ここまで日本的な情緒と激しさの伴う曲調を吹奏楽で見事に表現しているスコアはそう多くない。
そして自由曲は『大仏と鹿』。タイトルの通り、古都奈良をイメージして作曲された吹奏楽オリジナル曲だ。
この曲の聴きどころは8分の3拍子で軽快に飛び跳ねる鹿の躍動感と、4分の4拍子でゆったりなだらかに奏でられる大仏という旋律の対比だろう。クラリネットを中心とした細やかな動きが目立つかと思えば、いつの間にか変拍子で曲の雰囲気ががらりと変わっている。しかし厳かに思えるタイトルとは裏腹に曲調自体は終始楽しげで、まるでアニメ映画に登場するミュージカルシーンを彷彿とさせる。
「上手いなぁ……」
中盤のユーフォソロを聴きながら、俺は小さく漏らしてしまった。
曲の旋律自体は比較的親しみやすいものだが、この複雑な変拍子をバンド全体で違和感なく合わせるにはひとりひとりが曲に対する理解を深めていなくてはならない。そういう点において、廿日山の演奏は完成度ではカサキタを上回っていると言えよう。当然、地区大会突破のレベルをはるかに超えている。
関西大会、行ってやろうじゃないか。彼らのそんな気概が、ベルから放たれる音のひとつひとつにこもっているようだった。
参考音源
『大仏と鹿』
https://www.youtube.com/watch?v=BwROEtd4-8M




