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第二十五章その2 最高の気分です!

「佐竹さん、大丈夫?」


 薄暗い舞台袖で、楽器を持ったままそわそわと落ち着かないでいる後輩に俺は声をかけた。


「はい、平気です。遥香ちゃ……松井先輩に言われた通り、困ったときには何食わぬ顔で弾いてるフリでもしておきます」


 暗いので顔はほとんど見えないが、佐竹さんはそう言って笑い返してくれたように見えた。


「おう、その図太さが肝心だ! さすが松子の弟子!」


「ええ、ウチってそんな図太い? 自分ではガラスの少女時代真っ盛りだと思ってるんだけどー」


 すかさず顔を突っ込んでくる松子に、俺は「どこの世界線のどの口から、そんな戯言が飛び出してくるんだ?」とツッコんで返す。それを見た佐竹さんはぷふっと顔を赤くして吹き出していた。


 だが1年生の大半はそんなくだらないやりとりに耳を貸している余裕は無かった。


「いっこ前、すごく上手いですね……」


 古川さんが愛用のユーフォをぐっと抱き寄せ、袖幕の向こうから聞こえる演奏に耳を傾ける。


「ここからだと、なぜだかそう聞こえるんだよな」


 足音を立てないようそっと彼女の傍まで移動した俺も、じっと目を閉じてステージの音に神経を集中させる。


 今演奏されているのは『フラッシング・ウィンズ』だ。壮大なファンファーレとともに始まるこの曲は途中の旋律もとにかくパワフルで、その勢いのまま最後まで突っ走る一曲だ。曲自体は4分ちょっとと短いものの、途中の変拍子や効果的な場面で加わって主旋律を際立たせるマリンバやクラリネットのおかげで一本調子には感じさせない。コンクール自由曲にはちょっと使いづらいかもしれないが、演奏会のオープニングにはこれ以上ふさわしい曲もそうそう無いだろう。


 そして聴き応え十分なカッコ良さの割りに、難度はそれほど高くないというのも特徴のひとつだ。うちと同じように新入生でも吹けて、それでいて吹く者も楽しく感じられる曲を選んだのだろう。


「低音もきれいにまとまってますね」


「だね。でもね、うちの『コヴィントン広場』もね、中低音が支えてやらないと主旋律が情けない感じになっちゃうんだよ」


 古川さんがきっと俺を睨み返す。その反応がなんだかおかしくて、俺はつい悪ノリしてしまった。


「つまりユーフォがちゃんと音出さないと、カサキタがダメになるってことだな」


「先輩、余計なプレッシャーかけないでください!」


 音量は抑えながらも、古川さんは俺を意外と強い力で小突く。


 ちょうどそのタイミングで前の学校が『フラッシング・ウィンズ』の演奏を終え、俺たちは急いで整列して舞台へと進み出たのだった。


 全員が席に着いたところで手島先生が一礼し、観客の拍手を背で受けながら指揮台に立つ。そして振り上げられたタクトに合わせてパーカッションがチャイムとスネアを打ち鳴らすと、その打音の裏で低音パートが小さく音を伸ばしてハーモニーを形成したのだった。


 クレッシェンドで音楽が沸き立つ。そして1小節で一気に音量を上げたところで、トランペットら高音が加わって華やかなメロディーを奏で始めたのだった。


 そこから音楽が展開される中、俺たち低音は常に音量をやや落としてリズムを刻んだり音を伸ばしていた。そうして形作られた目に見えぬ指揮者に導かれ、高音は自信満々に主旋律を吹き上げる。


 この曲で低音がメインに立つ場面はほとんど無い。しかし高音だけでは、この曲は決して完成し得ないのもまた事実だ。


 ユーフォにチューバに弦バス、バリサクにバスクラと裏方の力があってこそ、トランペットやフルートにより強いスポットライトが当たる。奏者はこの曲を演奏する度、そのことをひしひしと感じさせられるだろう。


 そしていつもとは桁違いの環境のせいか、本番というのは一瞬で終わってしまうものだ。自分がどんな演奏をしたのかも今ひとつよくわからないまま、俺たちは『コヴィントン広場』を終えたのだった。


 しかしその出来は悪いものではなかったようだ。演奏終了と同時に鳴り始めた拍手はなかなか止まず、先生が礼を終えても俺たちが楽器を持ち上げて席から立った後もまだ続いていた。


「はぁー、これで心置きなく『下妻物語』見に行けるわ」


 ステージ裏まで引っ込んで、おしゃべりが解禁された途端に徳森さんが背骨をバキバキと鳴らしながら伸びをする。あんな高らかにトランペットを奏でながら、こんなこと考えていたのか。


「小島君、初めての舞台どうだった?」


「緊張しました……けど、最高の気分です!」


 後輩を気遣う宮本さんと、その優しさに応えて明朗に返すハッタヤ。うちのチューバは吹奏楽部全パートの中でも特に理想的な先輩後輩関係を築いているのがよくわかる。


「ははは、途中で本当に弾いてるフリしちゃった……」


「いいんだよ、ナイスファイトぉ!」


 悔しさを隠すように苦笑いを浮かべる佐竹さんに、松子はいつもの明るく気の抜けてしまいそうな声をかける。


「砂岡先輩」


 そんな他の面々の様子を窺っている最中、俺は背後からかけられた声に振り向く。そこには楽器を抱え込んだ古川さんが、俺の数歩後ろをとことことついてきていた。


 そのはるか後方で鳴り渡る拍手も、今となってはわずかにしか聞こえない。その喝采が鳴り終わったのを聞き届け、彼女はようやく終わったという安心感に頬を緩みながらも、同時にやり遂げてやったぜという達成感も混じった実に満足げな表情を浮かべて笑っていたのだった。


「ありがとうございます! 私、ユーフォになれて本当に良かったです!」




 待機していたトラックに楽器を積み込み終えて身軽になったカサキタ一同は、そのまま大ホールまで移動する。


 とりあえず出番を終えた今、やるべきことは残っていない。あとは他校の演奏を聴いて楽しむだけだ。


「守山市立守山中央中学校、曲は『元禄』」


 すっかりリラックスして座席にもたれかかりながら演奏を聴いていた俺は、真打の登場にがたりと身を起こす。


「『元禄』……聴いたこと無いな」


 彼ら守山中央は昨年のコンクールで関西大会にも進出した県下の強豪。去年は80人の『ディスコキッド』で、当時滋賀に来たばかりの俺は度肝を抜かれたのを今でも覚えている。


 今年も彼らの部には大勢が入部したようだ。舞台袖からぞろぞろと現れた80……いや、90近くの学生が、大ホールの広大なステージをぎっしりと埋め尽くしていた。チューバなんて隣の楽器とぶつかってしまいそうで、見ているこっちが不安になってしまうくらいだ。


 そんな窮屈そうな生徒たちに向かって、指揮の先生がタクトを掲げる。同時に90人全員が音も無く楽器をかまえ、いつでもOKですと行動で答えた。


 そして奏でられたのは、雅楽を思い起こさせる旋律だった。


 意図的に音を割った金管楽器。それに乗っかるフルートやアルトサックスの響きは、まるで日本古来の伝統楽器のように思えるほど表情豊かに鳴らされていた。さらに力強いティンパニの響きが裏から加わることで、音楽としての厚みがぐっと増大する。


 そんなゆったりとした序盤とは打って変わって、途中からは凄まじい疾走感を帯びて音楽が進行する。忙しなく木管奏者の指が動き、音が上に下にと激しく行き来するその様は時代劇で侍と忍者がチャンバラを交わしているシーンそのものだ。それでいてテンポもピッチも90人がぴたりとそろっているのだから、ここの演奏技術の高さはとんでもない。


 そこから曲はさらに表情を変え、夜を連想させる静かなシーンや合戦と思しき激しい曲調へと二転三転を繰り返しながら実に壮大なスケールで展開される。


 日本らしい、明るさの中にどこか陰りのある音運び。先ほど舞台裏で聴いた『フラッシング・ウィンズ』とは良い意味で好対照な曲だ。


 やがてクラリネットやトランペット、ティンパニの繰り返しで最高潮まで盛り上がった末に、演奏が終了する。


 一瞬、時が止まったかのようにしんと静まり返る大ホール。だがその後、観客はほぼ一斉に激しく手を打ち鳴らし、本日一番の大喝采を今しがた曲を終えた守山中央中学一同に贈ったのだった。


「す、すげえ!」


 俺も唖然と口を開けたまま、何度も何度も両手をぱちぱちと叩き合わせる。既に舞台からは大半の部員が撤収しているというのに、この拍手の手はいつまでも緩めることができなかった。


 間違いない、守山中央は去年よりもさらにレベルアップしている。1年生の多い今の段階であれほどの完成度まで高めてくるなんて、想像をはるかに上回る所業だ。


 特に強いのはクラリネットだろう。以前から守山中央のクラリネットは注目されており、先のアンコンでも関西大会で金賞を獲得している。今日の『元禄』でもクラリネットの見せ場は多く、裏メロでも16分音符の細かい刻みが常に存在感を放っていた。


 最後のひとりが舞台袖に姿を消したのを見届けた観客が、ようやく拍手の手を止める。何もかもが規格外の強豪校に対して、ホールにいる者ができる最大の称賛だった。


 この夏のコンクール、関西大会を目指すにはここと代表枠を争わなくてはならないのか。そのことに気付いた途端、俺は喉がさっと渇き、胃がキリキリと鳴っているのを感じた。




参考音源

『フラッシング・ウィンズ』

https://www.youtube.com/watch?v=_xvgXTaDcWE


『元禄』

https://www.youtube.com/watch?v=P6u_ok8wYco

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