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第二十五章その1 緊張感

 練習に打ち込んだゴールデンウィークはあっという間に過ぎ去り、ついに吹奏楽祭当日が訪れる。


「うわあ、落ち着かない」


 守山市民ホールのロビーで、身を屈めた弦バス1年の佐竹さんがぶるると身体を震わせる。まだ楽器を始めて2カ月も経っていないというのに、初めて外部の皆さんに演奏を披露するプレッシャーは並大抵のものではない。


「だいじょーぶだいじょーぶ、もし困ったら弾いているフリしとけばいいから」


「お前、ろくなこと教えないな」


 後輩にそう気の抜けたアドバイスを送る松子に、俺は口を挟んだ。だがたしかに、どうしようもないときには良いアイデアかもしれない。


 本番と言ってもコンクールではないし、この時期なら他校も初心者が多いので、多少ぐだぐだになっても気にする必要は無い。2、3年生はそのことが十分にわかっているのか、この場でも比較的平静を保てていた。


 しかし何もかもが未経験の1年生からしてみれば、ここが人生最大の山場のように思えても仕方のないことだろう。まあ、何年も吹奏楽やってると人前で演奏する機会なんていらんほど訪れるものだ。まだウブで緊張バクバクなこの時の感性をよく覚えておいて、後になってから「あの時は私も若かったよ」としみじみ思い出せるようになればそれでいい。


 ……いや、まだ俺もそこまでは達観できてない青二才だけどさ。


 それにしても人間、緊張した時の変貌っぷりは人それぞれだな。佐竹さんなんかはまだおとなしい方で、ユーフォの古川さんは暇さえあれば手のひらに「人」の字を書いては呑み込んでいるし、チューバのハッタヤこと小島君も普段なら穏やかな笑顔でみんなを和ませているはずが、今日に限ってはずっと口を閉ざしたまま楽譜を何度も何度も読み返している。


 一方の松井家次女の結月ちゃんはと言うと、ぽけーっと何を考えているのかわからない半分口を開けたアホ面を浮かべ、姉や他の先輩たちと普段と変わらない様子で気楽に声を交わしていた。


 オーボエを人前で吹くのは初めてだというのに、なんという肝の据わりよう。しかしああ見えてピアノのコンクールで常に全国大会に進んできたような子だ、俺たちと比べてもこなしてきた数が桁違いなのだから当たり前と言えば当たり前か。


「おおい!」


 そんな時、一塊になって待機するカサキタの集団に向かって、ひとりの女性が手を振りながら近付いてきたのだった。


 白のブラウスにタイトなスカート。そしてさらさらとたなびく金髪が人目を引く、淑女然とした女性だった。


 はて、誰だあの人?


 俺は首を傾げながら、記憶の引き出しをあちこち引っ張り出す。


「あ、来てくださったんですね!」


 だが疑問に頭を抱える俺とは対照的に、女子部員たちは彼女の姿をみるなりぱあっと表情を明るくさせ、次の瞬間にはわっと取り囲むように駆け寄っていた。


「ああ、みんな今日のために頑張ってきたんだからな! 一音漏らさずしっかり聴いといてやるよ」


 荒っぽい口調とともに大きく口を開けて笑う女性。ますますわからなくなった俺は困惑に耐えきれず、「誰?」と小さく漏らしてしまった。


「え、砂岡くん気付かない?」


 ぱちくりと目を丸める宮本さんに、俺は「へ?」と瞬きして返す。


「水上さんだよ、オーボエの」


 しばしの思考停止。それから数秒後、俺は「え、えええええ!?」と声に出し、袖で目をごしごしとこすっては、何度も何度もその女性の姿を見返したのだった。後から思うとめちゃくちゃ失礼だな。


 たしかに、顔も声もオーボエ奏者の水上さんその人だ。普段のジャージスタイルがあまりにも印象強く残っているせいで、全然気付かなかったよ。俺の場合、どっかの不条理小説みたいに朝起きたら自分がでっかい甲虫になっていたパターンの方がまだ現状を受け入れられるかもしれない。


「か、変わりすぎでしょ!?」


「砂岡くん、大人の女の人ってオンとオフとでだいぶ雰囲気変わるもんだよ」


 それっぽいことを言いながらも、宮本さんは口元を押さえてくくっと笑い出すのを堪えていた。


「結月、頑張れよ!」


 そんな俺のことなどまるで気にも留めず、水上さんは同じオーボエ奏者である結月ちゃんの前に立つと、いきなりばっと腕を広げ、そしてぎゅっと強く抱きしめたのだった。


「はーい!」


 なんだか鼻から力が抜けていきそうな返事だが、ハグされた結月ちゃんも躊躇なく水上さんの背中に腕を回す。この二人はいつの間にやら、師弟関係のような絆で結ばれていた。


「では笠縫北中学の皆さん、チューニング室に入室してください」


 ちょうどそこで高校生のボランティアスタッフに声をかけられ、俺たちは急いで楽器を手に取る。


「みんなー、楽しんでこいよー!」


 そして水上さんに手を振りながらチューニング室に入るとそこで最後の音合わせを終え、あれよあれよと楽屋口を小走りで移動するまで経過していたのだった。


 その最中、今到着したばかりだろうか、他校の生徒4人組のグループとすれ違った時だった。せこせこと歩く俺たちを見て、ぼそぼそと話すのを耳にしたのだ。


「カサキタ、人数めちゃ増えたね。いつも20人ちょっとだと思ってたのに」


「あんた知らないの? 去年、小編成で金賞だったし、アンコンで関西行ったんだよ」


「マジ!? こりゃ演奏ちゃんと聴いとかないと!」


 驚く女子生徒の声に、ちょっと優越感を覚えた俺はへへっと表情を崩した。直後、すぐ前を歩いていたトランペットの徳森さんに「砂岡、きもい」と言われて元の顔に戻したけれども。

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