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第二十四章その2 最初から低音を選んだ人間は、低音パートの半分いかない説

「てなことが昨日ありまして」


 朝のホームルームが始まる直前の教室。朝練を終えたばかりの俺は、窓際の手すりにもたれかかりながら松子と宮本さんの3年2組低音仲間にため息交じりで話していた。


「あー、砂岡も面倒な後輩に当たっちゃったねぇ」


 松子が苦笑いを浮かべる。


 話題は古川さんのことだ。部活見学の時にはあんなに嬉しそうに楽器を奏でていたのに、希望が通らずユーフォパートに回されて以降、どうも不満そうで楽しく見えない。


「でもその気持ち、わからなくもないな。私も吹奏楽団入ってチューバって決まったとき、泣きたくなったもん」


「え、宮本さんも?」


 小学校よりチューバ一筋の彼女の口から飛び出したトンデモ発言に、俺はぐいっと顔を突き出す。


「うん、実は最初トロンボーンやりたかったんだけど、空きがなくってさ。だからとりあえずボーンに空きが出るまでって思ってチューバやり始めたら、半年経たず楽器買うくらいまではまり込んじゃってた」


 聞いて松子も「そうそうそうそう」と乗っかる。


「中低音ってどうしても目立たないからさー、周りから見ると地味に思えるんだよねぇ。サッカーでもシュート打つフォワードに注目しちゃうけど、本当は相手のボール奪って攻撃の起点になるボランチのおかげでチームが持ってる、みたいなぁ?」


「お前、意外とサッカー詳しいんだな」


「うん、だから小島君みたいに最初からチューバ選んでくれる子ってすごいなって思うよ。低音で周りを支えることの大切さが、無意識の内にわかってるんだよね」


 窓の外にそっと目を向けて宮本さんがそう言い終えたところで、キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴り渡る。


「ほらー、さっさと席に着けー」


 同時に数学のおじいちゃん先生がガララと扉を開け、俺たちは急いで各自の席に戻った。まったく、今年も担任が同じとか、3年生になったって気分が全然しねえよ。




 放課後、吹奏楽部の面々はそれぞれの練習場所に分かれて個人練習に打ち込んでいた。まだ狙った音を出すのも不慣れな新入生といっしょになって、2、3年生が基礎練習のメニューや簡単な練習曲を実演したり音を合わせたりして教え込む光景があちこちで繰り広げられていた。


 今年も5月下旬の中体連に合わせて、県吹奏楽連盟主催の吹奏楽祭が開催される。そこまでの間に一通り楽器を使いこなせるようになって、夏のコンクールに挑むというのが1年生に課せられた当面の課題だ。


 幸いにもうちの低音パートには致命的に不器用という子はおらず、教えれば教えるほど各々がぐんぐんと力量を高めていた。


「そうそう、小島君呑み込み早いね!」


 スムーズにリップスラーをこなす後輩に、宮本さんが小さく拍手を贈って褒める。おい小島君、そこ代わってくれんかね?


「ハッタヤ、やるじゃん」


 ちょうど音階スケール練習を一段落させた古川さんが驚きの眼を向け、ポニーテールを揺らしながら口を開く。


「さすがハッタヤ、チューバに惚れ込んだだけあるね」


 当初は弓と弦の扱いに四苦八苦していた佐竹さんもしっかりと運指を覚えたようで、慎重にロングトーンを進めていた。


「うん、吹けるようになると楽しい」


 そんな同学年の女子ふたりからの称賛を浴びて、丸っこい体格の大柄な後輩は照れ臭そうに笑っていた。


「あのさ」


 そんな1年生の会話を断ち切る覚悟で、少し離れてタンギングを刻んでいた俺は恐る恐る手を挙げた。


「さっきから気になってたんだけど……ハッタヤって、何?」


 問いかけるや否や、3年生の面々もそういえばと顔を見合わせる。今までなんとなく流していたが、思えばなぜハッタヤなのだろう?


 そんな先輩の疑問に答えるべく、小島君が即座に答えた。


「僕のあだ名です。みんな小学校同じだから、ずっとこのあだ名使ってるんですよ」


「どういう由来なの?」


「小4の時の国語の教科書に、スリランカで黒鉛を採掘しているポディマハッタヤさんていう人が出てきまして。そこでクラスのお調子者が僕のこと小島ハッタヤて呼んでいたら、いつの間にかハッタヤで定着してしまいました」


 マジかよ、小学生あるあるだな。まあかつて全国の肥満児のあだ名がハート様に統一された時代があるのと比べれば、幾分かかわいいものだろうか。


 俺、つくづくヘンなあだ名付けられなくて良かったと思うよ。


 その時、コンコンと扉がノックされ、俺たちは一斉に振り返る。見るとパーカッション2年のたくちゃんが、ガラス窓の向こうから顔を覗かせていた。


「練習中にすみません」


 俺たちが振り返ったのを見て、ガラッと扉を開けるたくちゃん。


「どうしたの?」


「紹介したい人がいるから部室に集まれって先生が。楽器は置いといていいそうです」


「紹介したい人?」


 その言い方だとまるで婚約者を紹介するみたいだけど……まあそんなこたぁ100%無いな。


 とはいえ集まれと言われれば集まるしかない。頭の上にハテナマークを浮かべながらも、俺たちは伝令に従って部室に戻ったのだった。


 合奏の隊形になってしばらく待っていると、やがて手島先生が部室に現れる。その後ろにはもう一人、若い女性が鮮やかな金髪をはためかせて続いていた。


「皆さん、練習中にすみません。実は新しく練習を見てもらうことになった先生が来られましたので、急遽集まってもらいました」


 なるほどそういうことか。でも……なあ。


 俺は先生の隣に立つ金髪の女性をちらっと一瞥し、「うわあ」と吐き出してしまいそうなのを堪えた。


「こちらはオーボエ指導員の水上みずかみ瑠奈るなさんです。私とは高校の同級生で、今は湖南ウインドオーケストラに所属していらっしゃるのですよ」


「よろしくー」


 紹介された水上さんは、ほんの少しだけ首を傾ける。


 しかしこの人、本当にオーボエなんて吹けるのだろうか?


 オーボエ奏者の女性と聞けば、おしとやかでいて芯が強い大和撫子というイメージがなんとなく連想される。けれども今目の前に立っているこの人は、ぼさぼさの金髪を無造作に束ね、赤のジャージに緑のゴムサンダルと女らしさのカケラも備えていない。今さっきパチンコ屋で5万負けて出てきたばっかりなのかとすら疑うような、アウトローな雰囲気さえ放っていた。


「それでは練習に戻ってください。水上さん、オーボエの練習場所までご案内します」


「うぃ、手島よろしくー」


 おまけにこんな投げやりな話し方。この二人、同じ高校に通っていたってのも疑わしいぞ。


 教室から去る先生と水上さん、そして唯一のオーボエパートである松井結月ちゃんの背中を見送った後も、部員たちはしばしの間誰も口を開かずその場でぽかんと固まっていた。


「なんか……強烈な人が来たね」


「やっぱ砂岡もそう思う?」


 俺がぼそりと呟くなり、徳森さんが席を離れて低音パートまでそろそろと近寄る。そしてようやく平静を取り戻した他の部員らが続々と練習場所に戻っていくのを尻目に、小声で話し始めたのだった。


「てっしー、専門がクラだからオーボエの指導できるか不安だったんだって。で、知り合いの水上さんに頼んで来てもらったみたいだよ」


「へえ、同じ木管でもだいぶ違うんだな」


 まあそりゃそうか。シングルリードとダブルリードは使い勝手が全然違うし、オーボエはクラほど大きな音も出ないもんな。


「それにしてもあれは……」


「うん、後輩もだけど他の部活の子らもビビらせちゃうね。吹奏楽部のイメージが悪くなりそう」


「いやいや、あんたがそれ言うか!?」


 反射的に、俺は全力でツッコミを入れる。自覚無いのかわざとなのか、当の徳森さんは「はえ?」と呆気にとられた様子で、きょとんと丸めた目をこちらに向けていた。




 その後、低音パートも練習場所である1年学年室に戻り、個人練習を再開していた時のことだった。


「手島ぁ! どこだー!?」


 突如、廊下から女性のパワフルな怒鳴り声が聞こえ、あまりの剣幕に俺たちは演奏中にもかかわらずびくっと跳ね上がってしまった。


 見ると窓ガラスの向こうで、指導員の水上さんがカツカツと荒々しい足音を立てて、きょろきょろと周囲を見回しながら歩いていた。そんな彼女も部屋の中で唖然と固まる俺たちに気が付いたようで、おっとこちらに顔を向けると、すぐさま勢いよく扉を引き開けたのだった。


「おう低音、手島のヤツどこいるか知らねえか?」


 そう尋ねる口ぶりはまるでヤンキー……いや、完全にヤンキーだよ。


「先生なら多分職員室かと……どうされたのですか?」


「ああ、驚かせてすまねえな。まったく手島のヤツ、何が未経験の新人にオーボエを教えてあげて、だよ。あんなの音大どころかプロも一直線の逸材じゃねえか」


 ぱっと見では怒っているように思えたが、よくよく見てみると少し違う。水上さんの顔はニタニタと笑っており、組んだ腕は落ち着かない様子でそわそわとうずついていた。


「こりゃ久しぶりに血が騒ぐってもんだよ。普門館目指して血反吐吐くような練習繰り返してたあの時みたいにな!」

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― 新着の感想 ―
[一言] 2018年に耐震強度不足で解体が始まった奴、2020年現在は現存しない。 時代を感じるなぁ。
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