第二十四章その1 回し回され流れ着きて
気が付けば入学式から2週間。桜の木にも葉が混じり始めたなと思っていたら、いつの間にやら花びらはすべて散って無くなり、代わりに緑の若葉に覆われている。
その様変わりした桜並木を窓の外に眺めながら、校舎4階の部室では手島先生によるミーティングが進められていた。
「それでは皆さん、まずは5月の吹奏楽祭目指して頑張っていきましょう!」
部員たちが「はい!」と声をそろえる。普段から合奏の隊形に椅子を並べている部室は、数日前と比べて格段に窮屈になっていた。
2004年度のカサキタ吹奏楽部には、最終的になんと18人もの1年生が入部していた。これで部員は合計37人。これまで2、3年合わせて19人だったので、ほぼ倍増したと言ってよい。
そして同時に、コンクールもAの部での出場が確定する。より多くの団体がしのぎを削る激戦区ではあるが、これまでと違い2曲が吹けるという興奮の前ではそんな心配など些細なものだった。
「先輩、これからよろしくお願いします」
ミーティング終了と同時に、部室のあちこちで新たにパートに加わった1年生が先輩に軽く挨拶を行う。
吹奏楽部におけるパートの結束は師匠と弟子の関係にも似ている。新入部員は先輩から演奏のコツや音楽の知識を教わり、そしていつか進級して後輩ができた時には今度は自分がかつて教わったことを教え伝えていくのだ。
そのスタイルは場所によって様々、同じ学校でもパートが違えばまったく雰囲気が異なる。金管中低音のユーフォと木管高音のフルートパートだと、まるで別の部活かって思うくらい交流無かったりするからな。
「宮本先輩、よろしくお願いします」
「うん、よろしくね!」
チューバパートの新入生は1年1組の小島大地君だ。第一希望にチューバを選んだのは彼だけだったので、話し合いすら無く速攻で決まってしまった。
それにしても見るからにチューバと思わず言ってしまいそうな立派な体型。小柄で華奢な宮本さんとならぶと、どういうわけか『キングコング』という単語が頭をよぎる。
「はるかちゃ……松井先輩、よろしくお願いします」
「ひなちゃんに先輩って呼ばれると、なんだか寒イボ立ってくるよ」
松子のコントラバスパートに入ったのは、近所の幼馴染だ。
名前は佐竹ひなたさん。耳まで見えるベリーショートヘアに150代後半の細身の服の下から覗く引き締まった四肢は周囲に活発な印象を与える。元々何かのスポーツでもやっていたんじゃないかな?
妹の結月ちゃんとは小学校時代から仲が良く、家によく遊びに来ていたこともあって姉とも気楽に話せる関係らしい。音楽の経験は無いようだが、すでに気心の知れた関係が出来上がっているので安心だ。
「砂岡先輩」
そんな他パートののほほんとした関係を横目に、俺の眼前には新たにユーフォパートに加わった1年生が緊張の面持ちで立ち尽くしていた。
「よろしくお願いします」
そう言いながら、古川穣子さんはポニーテールを揺らしてぺこりと頭を下げる。
トランペットを第一希望にしていた彼女だが、他に希望者が多かったことと編成の都合を考え、第三希望に書いていたユーフォに回されたのだった。
9人それぞれが別のポジションに就かないと野球の試合ができないのと同じく、吹奏楽も楽器ごとのパートに分かれなくては合奏はできない。特に学校所有の楽器も限られている上にメンバーの出入りも激しいスクールバンドにおいては、希望通りにやりたい楽器を担当できるとは限らない。
彼女にとっては不満も残る結果になってしまっただろうが、こればかりは涙を呑んでもらいたい。
さて、18名もの新入部員により、人員不足に喘いでいた吹奏楽部の編成は以下のようにたちまち充実した。
カサキタ現在の編成(1年、2年、3年の人数)
フルート 3(2,1,0)
オーボエ 1(1,0,0)
クラリネット 6(3,2,1)
バスクラリネット 1(0,1,0)
アルトサックス 2(1,0,1)
テナーサックス 2(1,1,0)
バリトンサックス 2(1,0,1)
トランペット 4(1,2,1)
ホルン 4(2,2,0)
トロンボーン 2(1,1,0)
ユーフォニアム 2(1,0,1)
チューバ 2(1,0,1)
コントラバス 2(1,0,1)
パーカッション 4(2,1,1)
とりあえず3年生しかいないパートに1年生をつけることを優先し、全体のサウンドを厚くしていこうという趣旨で振り分けられている。ゆえにここから状況に応じてコンバートされる部員も出てくる可能性も大いに残されており、曲によってはバリサクからソプラノサックスに持ち替え、なんてこともあるかもしれない。
そしてこんなに部員が増えたために、部室と音楽室だけでは練習スペースが足りなくなってしまった。だが手島先生が職員会議で働きかけてくれたおかげで、空き教室のいくつかを練習場所として使っても良いという許可を正式にもらったのだった。部活にとって大所帯ということは、それだけでも校内における発言権が増すというものだ。
ミーティングの後、チューバ、ユーフォ、弦バスの低音パートは部室からほど近い『1年学年室』に移動する。この部屋は習熟度別授業や選択科目などで通常のクラスを細かく分ける際に利用される教室であり、また俺たちが新たに獲得した練習場所でもある。
「古川さんは楽器習ってたりした?」
譜面台を立てながら、俺は直属の後輩に尋ねた。
「小4でやめましたけど、ピアノやってました。なので楽譜は読めます」
「そっか、そりゃ心強い!」
俺は心底ほっとした。中学ではろくに楽譜読めない状態から入部する新人も少なくない。場合によってはト音記号やら四分音符から教えなくてはならないレベルもいたりするからなぁ。
部屋の四隅に分かれてチューバと弦バスが後輩に基礎練習を教える中、やがて古川さんも楽器をかまえ、ロングトーンを始める。途端、長らく楽器庫で眠っていた3本ピストンのユーフォから、まっすぐにB♭の音が鳴り響いた。
ずっと部活見学に来てくれていた彼女はこの2週間トランペットやホルン、時々ユーフォと金管楽器に触れ続けたおかげで、マウスピースの扱いはすでにお手の物だった。楽器のサイズは違えど基本的な動作もすんなり身に着けているようで、スタートダッシュは良好だ。
「いい感じだね。じゃあ次、タンギングの練習やってみよっか」
教本を開く俺に、表情一つ変えずこくんとだけ頷く古川さん。
そんな時だった。優しく耳を撫でるような美しい『きらきら星』の旋律が、部屋の外から聞こえてきたのだ。
「オーボエだ」
その独特の柔らかさを持つ高音に、俺はつい手を止めて聞き入ってしまった。それは部屋にいた他の部員も同じようで、松子や宮本さんはもちろん、小島君に佐竹さんもじっと目を閉じて耳を澄ませていた。
奏者は松子の妹の結月ちゃんだ。他の1年生よりも一足早く担当楽器を確定させていた彼女は、簡単な曲はらもうすでに詰まるところなくダブルリードを吹きこなしている。
「松井さん、私と同じ1年生とは思えないくらいうまいですね」
ぼそりと呟く古川さんに、俺は「まああの子はちょっと特別だからね」とそっと返す。音楽に関しては間違いなく天才の領域に踏み込んでいる子だ、真正面から相手にしたところで勝ち目は無い。
直後、終始緊張感を漂わせていた古川さんの表情がへへっと崩れた。
「羨ましいですね、ああいう華やかな楽器って」
「まあねえ、でもユーフォだって美味しいところたくさんあるんだよー。吹けば吹くほどおもしろくなるスルメみたいな楽器で、特に裏メロのソロなんかはユーフォのお家芸だぞ」
俺は愛器ピエールを高く掲げて見せつける。
「ええ、ユーフォの音自体は柔らかいし、嫌いではありません。ですが音楽って……主旋律ができてなんぼじゃないですか」
そう吐き捨てる古川さんに俺は絶句し、そのまま唖然と固まってしまった。
彼女自身もさすがに今のはまずいと思ったのだろう。しまったといった表情を浮かべると、俺から顔を背けるように俯いていた。
参考音源
『きらきら星変奏曲』(オーボエ、クラリネット、ファゴット)
https://www.youtube.com/watch?v=Ej0_JB5bgqs




