7.相亲角
連休最後の日、俺はこのままずっと引きこもっていては駄目だと思い、近くの公園まで散歩しに来た。中山広場に向かう途中の道を左に曲がり、そのまま南山路をずっと真っ直ぐ行く。少し坂になっているところを過ぎ、大型スーパーのTESCOを横目にそのまま真っすぐ行くと、何車線もある大きな道路に着く。道路を渡って、その先の森の入口のような細い道をすぎると、目の前に街のオアシスが広がった。
労働公園はサッカーチームが有名な大連を象徴するような、大きなサッカーボールのオブジェがある。そこを目指して入園すると、様々な種類の花が生けられている庭園や芝生の広がる区域が広がり、コンクリートの広場には移動販売のおじさんが果物を売っていた。さすが連休、園内はおばちゃんの集団や家族連れでごった返している。
日陰になっている屋根付きのベンチの中では、本の朗読なのか、声を出し何かを読んでいる人民帽のおじいさんとその仲間、そして野次馬がぎゅうぎゅう詰めで涼みながら楽しんでいる。その奥にある池の畔では、頭にヌンチャクのような長い紐をつけてブンブン振り回しているおじさんの姿が。近くで集団で広場舞を踊っているおばちゃんたちの安っぽいヒップホップ調のBGMが、やけに頭でそれを振り回しているおじさんに合っている。
様々な人々が行きかい、ぼーっと休んだり激しく動いたりしているこの公園は、まるで中国の一般人の生活を知るための縮図であり、異国人が現地文化に触れるための最高の場所でもあるのだ。
その中にふと、不思議な光景が目に飛び込んできた。所狭しと並べられている白いA4のコピー用紙。そしてそれを取り囲む老若男女。何かのイベントだろうか。と、それを覗き込んでみると、どの紙にもなにやら個人情報がこれでもかとぎっしり書かれていた。
「帅哥,你也是找对象的吗?(お兄さんも相手を探しているのかい?)」
突然背後から話しかけられ、とっさに振り返ってみると、そこには感じが良さそうなおばさんがニコニコしながらこちらに紙を差し出していた。何が何やらさっぱりな俺は、それを一応読んでみる。
征婚。その二文字でなんとなくことの察しはついた。この場にある紙、全部プロフィールだ。そして何のためかというと、お見合い相手を探すものだ。それはまさにアナログな出会い系。いわゆる、公園での婚活だ。
相亲角。この場のことを人々はそう呼んでいた。相亲はお見合い。角はコーナー。つまりは公開のお見合いコーナーだったのだ。不謹慎かもしれないが、オモシロイと思った。もっと知りたいと思った。
「对不起,我不是。不过,我对这个……(すみません、私は違います。でも私はこれについて……)」
最後まで話し終わる前に、おばさんはヤレヤレと言った表情でどこかへ歩いていってしまった。効率を求めているのだろうか、切羽詰まっているのだろうか、ひたすら話しかけて、婚活をしている人間以外とは会話する気がないようだった。
しかしどうも様子がおかしい。婚活の場だというのに、いるのはおじいさんやおばあさんがほとんど。さっきのおばさんも見た目は完全に60代。しかし紙に書いてあるのは30代から40代が多い。まさかサバを読んでいるのかとも考えられるが、そうではない。これは自分の息子や娘の代わりに、親同士が話し合いをしているのだ。
うちの子は有名大卒だ、そっちの学歴は釣り合うのか。
仕事は清掃関係かぁ、うーん。
あら、旅行が趣味って、うちの子と同じね。よかったら今度一緒に雲南でも行きません?
生々しい会話があちこちから聞こえてくる。お互いにそれ目的で来ているから話が早いのだろう。すぐに親同士が仲良くなればトントン拍子に話が進んでいくし、少しでも合いそうになければすぐに他の人と話に行く。親のおせっかいなのか子供から頼まれたのかは知らないが、どの親も必死な表情で、真剣そのもの。見るからに80代か90代のおばあさんが細かく震えながら話しかけている様子には目線を移したくなるほどだ。きっとお子さんはもうすでに50代か60代。年齢が高くなるほど必死度が上がっているのだろう。
随缘という単語もよく聞こえてきた。それが何かわからなかったので手持ちの電子辞書で引いてみた。『仏の縁により、物や現象が現れ起こること』。つまり、自然な出会いということか。とはいえ自分からこうして行動しているのに、それを自然な出会いなのかと言われたら微妙なところである。しかしおばさんたちにとってはこの相亲角も立派な“自然の”出会いの場であり、学校や街中で偶然出会うのと左程変わらないことなのだと認識しているのだろう。
たしかに条件が合致した人がいたら運命だと感じるだろうが……それがなかなか難しいのだろうと思った。
しかしどのおばさんに聞いても、一度も愛情に関する単語は聞くことができなかった。愛とか恋ではなく、生活していく能力はあるのか、家を存続できるのかというように、非常に現実的。もちろん相手に求める条件の理想が高いため、なかなか条件が合わず、結婚はなんて難しいものなのだ、と嘆いているおばさんも少なくない。本人同士の気持ちを考慮しないで良いぶん、親同士の気持ちを合致させなければならないのだ。
このとき俺は生きてきてはじめて、結婚というものを意識した。彼女すらまともに出来たことがないのに何が結婚相手だと言う思いはあるが、俺ももう20代に入っている。10代の甘いピュアな恋愛に憧れはあるが、目の前に広がる現実的な話が耳に入ってくるたびに、恋愛と結婚の違いがどんどん浮き彫りになっていく気がした。
結婚相手か。俺の結婚相手ってどんな人なのだろう。
まさかこの紙の中に“随缘”の人がいたりして。なんて思ったりもしてみるが、やっぱり俺は恋愛至上主義者であり、どうせするなら恋愛結婚したいなと思ってしまうので、条件を見たところでピンとこなかった。
こういうふうに結婚相手を探すのは、家族や家を大事にする中国人ならではなのかもしれない。また新たな異文化体験ができたかな、とその場を後にした。
巨大なサッカーボールは丘の上にあった。階段を登り、たどり着くと、大連の街の一部を望むことが出来た。自分は今、異文化のど真ん中にいる。そう感じて一息つき、また来た道をそのまま戻った。帰りがけに見かけた青空市場で果物や野菜を吟味するおばちゃんがさっきの真剣な表情で自分の子供の結婚相手を吟味するおばちゃんとかぶって、婚活って市場みたいだよな、と思った。俺はその中では箱詰めされた高級りんごなのか、それとも数元で買える安い白菜なのか。どちらにしても相手は自分で決めたいな、と再確認し、家路についた。
帰りがけ、TESCOに寄ると、友達と並んで買い物しているミンジュンと出くわした。韓国からわざわざ遊びに来た友達だと紹介してくれたが、彼は日本語も中国語もわからないらしく、英語で挨拶してきた。それでもなんとなく和やかなムードになり、ついでに一緒に寮に帰ることになった。重たい荷物を持ちながら坂道を登り、やっとのことで寮までたどり着くと、玄関口にイリーナとジャスミンがいた。二人から中華民国時代のチャイナドレスの女性が描かれたお菓子をお土産としてもらい、旅行の思い出を聞かせてもらった。その話に耳を傾けながら、ああ、またいつもの生活が戻ってくるんだなと感じて、ふぅっと息をついた。