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6.国慶節


 この肌寒さはきっと勘違いだと思ってずっと過ごしてきたが、どうも確実に寒くなってきているらしいと確信した。緯度が高く海が近い大連は、夏は涼しく冬がとてつもなく寒い地域である。10月1日の国慶節を前に、連休最後の授業が終わった。


「你们日本有国庆节吗?(日本にも国慶節はあるの?)」


 授業中、クラスメイトのイタリア人がそう聞いてきた。国慶節とは中国の建国記念日のようなもので、今日の授業もそれぞれの国の独立記念日や建国記念日について話すということをした。


 この答えに、俺は戸惑ってしまった。普段いちいち何の日か意識せずに平日と休日の二元論的な考え方で生きてきたから、建国記念日というものがあるというのは知っていたものの、それがいつなのかは覚えていなかった。そもそも日本がいつ建国したのかなんて実際にはわからないのだし、授業中こっそり検索して調べてみた日本の建国記念日の概要が“神武天皇が即位した旧暦1月1日”というのが、どうもファンタジックな神話としか認識できなくてもやもやした。


 普段から中国で生活していると、自分が外国人だと感じることは多くても、自分が日本人だというアイデンティティを強く意識するようなことがない。そのため、日本人であるという誇りなんて無いし、日の丸に強い意識があるわけでもない。


 だからこそ、中国の国慶節を目の当たりにしたときは、度肝を抜かれた。メインストリートに数メートル間隔に並ぶ中国の五星紅旗。メインストリートだけでなく、裏路地や個人宅のアパートにも五星紅旗が掲げられている。路上では五星紅旗が売られ、子供用のおもちゃも五星紅旗を持っている。中国が社会主義・共産主義国で、だから国家の強さを国民に印象づけたいだけなのかもしれないが、だとしてもこの光景はまさに日本では見られないような景色で、圧倒された。


 悪く言えばドン引きだが、良く言えばうらやましいとさえ思った。愛国精神なんて日本で言ったら軍靴の足音がどうとか文句を言われるだろうが、中国では愛国精神を持っていることは当たり前で必要なもの。日本で日本バンザイなんて叫んだら絶対に白い目で見られて右翼だ何だと騒がれることになるだろうが、中国ではどんなに自分の国を好きだと言っても嫌われないどころかむしろもてはやされる。


 日本は空気も美味しいし食べ物も美味しいし奥ゆかしくて親切な人が多いと思うから個人的には良い国だと思う。だからこそ日本は良い国だって言いたいけど、小さい頃からなんとなくそういうふうなことを言ってはいけないと思わされているような気がして、結局自分の生まれた国が好きなのかどうかわからないまま生きてきてしまった。


 中国に来て初めて分かった、日本という国の客観的な本質。留学生活で語学以外のことを初めて学べたような気がした瞬間だった。

 

 というのを誰かに話したかったのだが、あいにく今俺は一人ぼっち。イリーナとジャスミンは旅行中で、ミンジュンは韓国から来たお友達の相手をしている最中。クラスメイトは何人か大連に残っているって言ってたけど、そこまで仲良くしているわけでもないから、今日の散歩には誘わなかった。


 たまには一人でブラブラするのも悪くない。しかも今日は珍しくピーカンの良い天気。本当はイヤホンでもつけてこの散歩にBGMを入れたいところだったけど、車や違反なはずだがどこでも走っているバイクがどこから飛び出してくるかわからないため、今日は自然の街の音を聴くということにする。


 名もない公園というか広場というか空き地には老若男女それぞれが中国将棋の象棋をしていたり、バドミントンやグループで踊ったりしている。こっちのひとはとにかく晴れたらまず日向ぼっこしてゆったり過ごしている。自由気ままでうらやましい。


 ところがそんなのんびりで自由気ままな大連市民とは似ても似つかない主張の強い看板や横断幕がこの時期には多く街中に貼られていた。「钓鱼岛是我们的!(魚釣島は私達のものだ)」「要杀光小鬼子(子鬼(=日本人のこと)を殺し尽くさなければならない)」「勿忘国耻,振兴中华(国恥を忘れず中華を復興しよう)」などおどろおどろしい言葉が赤背景に黄色い文字で堂々と飾られている。いずれも2011年の尖閣諸島問題によるもので、比較的日本人を中心として外国人に慣れていて反日感情もそこまで高ぶっていない大連でもこうしたものはあるのだなと現実を突きつけられる。だからできるだけ日本人だと思われないように、服装は一応現地人っぽい服装を心がけてみたりしている。


 とはいえ実際に話してみたらすぐに外国人だとバレてしまうので、危ないところには近づきたくはない。これから昼食をとろうと地元の店っぽいところに入ろうとしたが、ドアに貼ってあった張り紙でくるっとUターンした。


『日本人与他们的狗禁止入内(日本人とその犬(=日本人の手先という意味)お断り)』


 やれやれ、早く収まってもらいたいものだ。仕方がないので国際的なチェーン店に入店し、そこで平和にお腹を満たした後、またブラブラと散歩を再開した。


 自分の国をただ持ち上げてお祝いするのは良いが、他国と比較して他国を卑下してから自国のナショナリズムを高揚するのはどうかと思うが、しかしこれも多民族国家中国の仕方のないところなのかもしれない。こうでもしないと10何億の民を統一することはできないのかな。大変だ。


 午後からも元気よく色々回ろうと思ったが、あまりに多い五星紅旗と真っ赤な横断幕にだんだん目が疲れてきて、思ったほど回れなかった。露店で飲み物を買い、座れるところで座って、ため息をつきながら当てもなくダラダラと歩くだけの一日。空気もきれいじゃないしクラクションもすごいし人も多い。だんだん街に酔ってきて、早めに帰路につくことにした。


 ま、こんな日もあるさ。

 と、自分に言い聞かせてみる。

 寮について、自分の部屋に入ると、そのままベッドに頭から突っ込んで目を閉じた。記憶喪失のひとが一気にこれまでのすべてを思い出したときって、きっとこういう状態になるんだろうな。脳がパンクしているというのを初めて実感した。


 今日は自分の祖国や自分自身のアイデンティティや国民性など、難しい問題について考えさせられる一日だった。もっとゆるく気ままに自由に休日を満喫する予定だったのに。中国の勢いがあるパワフルさに押しつぶされそうになった。


 さて明日はどこへ行こうか。国慶節の連休は始まったばかりだ。いや、やっぱり家でのんびりしていようか。明日はちょっとひと休み。


 気づいたときには窓の外はもう真っ暗。気象台のほうには相変わらずオレンジ色の明かりが灯っている。重たい頭を起こすと、耳が起きたのかだんだん周囲の音が聞こえだしてきた。隣の部屋からは重低音のダンスミュージック。そしておなじみ女性の小刻みな声。そうだった。こっちもこっちでパワフルなのだった。気象台の方もきっと相変わらず盛り上がっているだろうし、どこか心安らげるところはないものだろうか。この広い中国大陸の端っこで、カナル型イヤホンを耳栓代わりに、好きな音楽で周囲の音をかき消すことだけを楽しみに、ネットサーフィンで気を紛らわせることにした。


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