28.北京
目覚めたときには車掌が巡回してきて切符を拝見しているところだった。もうすぐ北京に到着そうで、また乗車時みたいに騒がしさが戻ってきた。ジャスミンは俺よりも一足先に起きていたらしく、溢れているという表現が適切だろうと思われるほどのボリューミーな髪の毛を後ろで一つに縛って「早安」と微笑んでいる。特にトラブルもなかったようで一安心。トイレに行ってから、降車準備を整えた。
北京駅を出てすぐ、目の前に広がっていたのは上海を思いだすほどの人の波。思わず吐き気をもよおしそうになる。そしてそれを余裕で収納してしまっている北京駅前広場のだだっ広さ。一つ一つのスケールの大きさが桁違いで、やはりこれだけの人口を誇る中国の首都にいるんだという実感が湧き出てくる。
これから数日間北京に滞在したあと、次は天津に移る。天津には中国高速鉄道(高鉄)で移動するため、北京市内にあるまた別の駅から発車となる。そのことを考慮してその駅の近くにホテルをとっているため、荷物を置くためにタクシーに乗ってホテルに向かった。
北京は初乗り料金が大連よりも数元高い。それでも日本に比べるとまだまだ安い方で、それほど痛手ではない。ホテルに到着して荷物をおいてから、今日はどこへ行こうかと計画を立てた。
その時気付いたが、多少高くても宿泊場所は次に行くために便利な場所よりも、その地で行きたい場所の近くにしておいたほうが良かったということだ。せっかく中心部に近い北京駅に到着できたのに、次に乗る天津行きの高鉄に乗るために北京南駅の近くに宿をとったため、一度遠くのホテルに行って荷物をおいて、また北京駅近くの観光地に帰ってきてしまった。だいぶもったいない時間を過ごしてしまったのだ。ジャスミンといられる時間は一秒だって惜しい。
北京南駅近くのホテルからタクシーで20分ほど。往復で40分とホテルでの手続きを含めて1時間のロスをしたあと、まず行ったのは定番の天安門広場。天安門近くは厳重な警備が敷かれており、特にヒジャブやニカブ姿だとすごい目で見られる他、呼び止められる可能性も高いらしく、ジャスミンはできる限り肌が見えないように、普通の洋服を工夫して着ている。
隊列を組む公安や武警とはできるだけ距離を起き、天安門の前で記念撮影。嘘みたいな大きさと広さで、ジャスミンも俺も、どうリアクションをとれば良いのかわからないほどだった。紫禁城はあいにく工事中でよく見えなかったが、それでも隠しきれない壮大さに圧倒された。天安門広場の近く、王府井というメインストリートでは人が賑わい、すれ違いにも一苦労だった。
どこにいっても人間の山。時々座れそうなところで休憩しながら、ゆっくり歩いて回った。本当は色々歩いて、食べて、体験して回りたいという気持ちが強かったが、ラマダン期間ということも有りジャスミンにはできるだけ負担がかからないようにしたかった。本人はアクティブに動き回りたそうにしているが、途中で体調を崩されるのが何より怖かった。
夜になると、北京の街は上海に負けないほどきらびやかになる。2008年の北京五輪のメイン会場に場所を移すと、各スタジアムがイルミネーション・ライトアップされており、いたるところで記念撮影していた。俺もジャスミンと一緒に夜景をバックに自撮り。偽iPhoneで撮ってもそれなりにきれいに映るほど、そのライトアップには力があった。
日没になったということでジャスミンもようやく物を口にできる時間になった。北京で食べるものといえば、やっぱり北京ダック。鴨肉はハラールなので、もちろんジャスミンでも食すことができる。タレに気をつけさえすれば良いので、朝から何も食べていない分、少し良い店を選んで早速注文。暫く待つと、テーブルの横までまるごと一羽丸焼きを持ってきて、シェフがその場で切り分けてくれた。こういうサービスはありがたいが、なんだかゆっくり出来ないので少し苦手ではある。ジャスミンも会話の流れを止めるシェフに気まずそうだった。その分味は申し分なく、北京にいるんだという実感とともに1日目を終了した。
二日目は朝から散歩。昨日人混みの中にずっといたおかげでだいぶ疲れが溜まっているので、今日はゆったり散歩のみ。朝は清華大学構内を散歩。中国の有名大学は良い散歩スポットになっており、勉強ができるように静かで落ち着く。大外で毎日のように本読みしながら散歩していたことを思い出す。近春園、大礼堂、中庭と、大学構内には意外と見どころが多い。老夫婦や中高年グループが多く、この年になってもジャスミンと一緒に旅行ができたらなぁと思う代わりに、ジャスミンとは80歳になったていで一緒に散歩するというゲームを開始した。思うように進まない弱った足腰、「ここで一緒に勉強した頃は良かった」「あんたここじゃなくて大外でしょう、ボケてるの?」など演技をしながら歩いて回るのが滑稽でおかしくて楽しかった。
昼前からは近くにある有名観光スポット、頤和園を散策。さすがに清華大学よりも観光客は多かったが、中が広い分それほど混んでいると思えないほどのスケールの大きさで、ストレスをあまり感じずに済みそうだ。
あるコーナーでは宮殿衣装に身を包んだ演者が舞を披露していたり、カラフルな画材で巻物を制作しているおじさんがいたり、キョンシーみたいな帽子が売っていたりした。城を上へ上へと登っていくと、ボートが無数に浮かんでいる大きな湖が見えたり、仏像があったりと、ここだけで1日過ごせそうなほど、いろいろな要素が詰め込まれていた。
夕方から夜にかけては故宮の近くまで戻り、胡同と呼ばれる区域を散策。中でも有名な南鑼鼓巷には色々な店があり、北京の庶民の暮らしを体験できるような場所になっている。日没を待って一緒に有名なヨーグルトや麺料理を食べ、窓も張り紙もなにもないただのまっすぐな壁や文化大革命をテーマにした雑貨屋さんなどを歩いて回った。
北京滞在最終日、先にホテルをチェックアウトし、大連でそうしたように荷物を北京南駅近くの保管場所で保管してもらい、今日は最先端の北京を味わうため、798芸術区に向かった。
798芸術区は現代美術発信の場として、アートエリアとして開放されている。ギャラリーやポスター、フォトジェニックなものが次から次へと現れる。廃工場跡には落書きができるスペースが有り、わざわざボールペンがそこら中に落ちている。俺はそこで自分の名前を書き、ジャスミンにもヨルダンの言葉で本名を書いてもらった。そしてそれを縦線で分け、上に三角形を書き足す。相合い傘だ。
「这是什么?(これは何?)」
「两个人一起把伞的图。在日本经常恋人一起写这个图。一起把伞代表辛苦中都在一起的意思。可能是这样子的(二人で一緒に傘を指している図だよ。日本ではよく恋人が一緒にこれを書くんだ。一緒に傘を指すというのはしんどいときでも一緒にいましょうっていう意味があるんだよ、たぶんね)」
「这样子啊! 那这个是我和你的秘密标记啊(そうなんだ! じゃあこれは私とあなたの秘密のマークだね)」
相合傘の説明は適当にでっち上げただけだけど、それでもこうして喜んでくれるジャスミンを見られることで十分満足だった。
こうして北京を満喫し、今夜の宿泊場所である天津を目指すため、北京南駅へ向かった。
帰国まで残り、22日。




