23.海边烧烤
留学期間に終りが近づいてきた。この時期になると一斉に思い出したようにクラスのみんなで食事に行ったり写真を撮ったり先生を誘って遊びに行ったりと、一気に卒業ムードが流れはじめた。今日は午前中の授業の後、学校近くのビーチでバーベキュー。あの第二気象台(と勝手に呼んでいる)お店にも協力してもらい、材料や器具を揃えた。俺とジャスミンは一緒にお店にそれらを取りに行く係の一員。両手いっぱいに肉と野菜を吊り下げて、浜辺に向かった。
クラス全員はもちろん、先生、そしてそれぞれのルームメイトやその友だちなど、もはや知らない人も多い。クラスメイトの中でもまだそれほど話したことがないウクライナの女の子やオーストリアの女の子もいて、一緒に材料を切って準備したりするうちに自然と話して、もっと早くこうして仲良くなっておけば良かったと後悔したりも。
浜風が強くなかなか火がつかなかったが、その間の時間を利用して、ジャスミンと波打ち際を歩きながらあの作戦を提案してみた。お互いに別れたくない。それは明白な事実。だから、すぐに受け入れられるだろうと思った。本国に帰らなければ、この恋愛は続けられる。帰れば終わる。だったら運命を変えるしかない。
「Jasmin,上次我们去旅游去得很开心了吧?(ジャスミン、この前の旅行、楽しかったよね?)」
「恩,谢谢你啊。如果你不提,我们可能没有去旅游的机会了(うん、ありがとうね。もしあなたが言ってくれなかったら、私達は多分旅行に行く機会がなかったでしょう)」
「所以,我们再去旅游吧(だから、また旅行に行こう)」
「又去吗?我们马上要回国啊(また行くの? 私達もうすぐ帰国しなきゃいけないよ)」
どこか寂しげなジャスミンに、ニヤッとした。まあそう焦らず。
「我们现在有学习签证嘛,过期之前,我们申请旅游签证怎么样? 如果可以的话,再几个月可以在一起啊!(俺ら今留学ビザがあるでしょ、切れる前に、旅行ビザを申請するのはどう? もしできるなら、もう何ヶ月か一緒にいられるよ!)」
どや、ええ案やろ!
という心の中のドヤ顔虚しく、ヒジャブに隠されたジャスミンに満面の笑みはない。
「我们外国人不能直接换签证种类啊,要回国才能申请(私達外国人は直接ビザの種類を変えられない。帰国してからじゃないと申請できないの)」
「是吗? 那我们一旦回国,再来大连一起开始旅游期间,这样是可以吧?(そうなの? じゃあ俺ら一旦帰国して、また大連で旅行を開始しよう。それなら良い?)」
「不可以,我一旦回国,可能再也不能踏中国的土。直接要结婚,出嫁(だめ、私は一旦帰国したら、多分もう二度と中国の土は踏めない。直接結婚して、嫁ぐしか無い)」
「这样子啊」
「我也一直在想这件事。也想过在中国找工作。但还是一样,申请工作签证,必须要回国。一个都没有好办法吧(私もずっとその事を考えていた。それに中国で仕事を探すことも。でも同じこと。労働ビザを取るためには、帰国しないと。ひとつも良い方法はないね)」
「这样子啊……(そっか……)」
ジャスミンはジャスミンでやっぱり継続させようとしてくれていたのだと知り、それは嬉しかった。だが、肝心のどう継続させるかについてはなかなか答えが出そうで出ないことに焦りを覚える。帰国したら最後ということか。ならば、帰国しなければ良い。やはりここは中国でそのまま帰らずに駆け落ちか……。いや、無謀すぎる。不法滞在で捕まって強制帰還させられたらまだマシな方なのかもしれない。じゃあどうすれば良いんだ。
何も答えが出ないまま、今日も時間が過ぎていく。ジャスミンを強い浜風にそのまま消されてしまいそうで怖くなる。色の濃い海がだんだん化け物の大きな手に見えてきて、引きずり込んでしまうような気がする。守らないと。なんとしてでもジャスミンを守らないと。
と、そこへ館山さんがやってきた。館山さんもジャスミンのルームメイトだから居てもおかしくないのだが、このタイミングで楽しく会話できる気がしない。
「あの、少し良いですか?」
「ああ、何?」
ジャスミンもそばにいるし、いつもなら頑張って中国語を使って話そうとするはずなのに。日本語でまっすぐに話してくる様子に、嫌な予感がする。
「ちょっと二人でお話したくて」
「え、でも……」
ジャスミンは何かを察したのか、優しく微笑んでから他のクラスメイトのもとへ行ってしまった。それを最後まで確認してから、口を開く館山さん。
「あの、私、進さんのことが好きです」
やっぱり。この微妙な距離感と雰囲気は、そうじゃないかと思った。卒業前に思いをぶつけたいっていう、そういう類のものだろう。
「でも俺にはジャスミンが……」
「ジャスミンから聞きました。留学が終わるのと同時にお二人は別れるんですよね。じゃあ別に、今から付き合ってもそう変わらないですよね! 進さん、どのみちフリーになるんだし、予約しても良いですよね!」
グイグイ来る館山さん。まるで付き合えることが決定しているかのように、ガンガン攻めてくる。確かに館山さんも可愛くないわけではないし、悪い人ではないことは知っている。でも、そうじゃないんだ。
「ああ、気持ちは嬉しいよ、ありがとう。でもね」
「ジャスミンは、応援してくれてるんです。私達二人のこと」
「えっ?」
まさか。信じられない。なんでそんなことになってしまっているのだろう。それがジャスミンの本音なのだとしても、信じられない。裏切られた気分だ。
「私、こっそり相談してたんです。叶わない恋の相手がいるって。ジャスミンに。ジャスミンは親身になって相談に乗ってくれたんです。最初はその相手を隠してたけど、だんだん言いたくなっちゃって、それで、つい進さんだって言っちゃったんです。怒られると思いました。嫌われると思いました。でも、ジャスミンはこう言ってくれたんです。『応援するよ』と」
「そんな」
ジャスミンが、もう俺とは付き合えないからって俺と館山さんが一緒になるように望むなんて、信じられない。何かの間違いであってほしい。でも、さっきのジャスミンの様子からも、館山さんの真剣なその表情からも、信憑性が感じられた。
「進さんがジャスミンのことを『今は』愛していること、十分わかっています。でも、先がないのなら、それで苦しむのなら、私はその苦しみから開放してあげたい。ジャスミンだってきっと同じ気持ちのはずです。一番好きな相手が苦しむところは絶対に見たくないっていうのが普通ですもの。進さんは、もっと楽になって良いと思います。もう十分だと思います」
「もっと楽……もう十分……」
「そうです。同じ言葉も、同じ文化も、共有できます。私は進さんの行くところに、どこでもついていけます。何の制限もありません。一緒に未来を考えていけます。今は好きじゃなくても良いです。ゆっくり、私のことを好きになってもらえれば、それで良いです」
確かに楽な恋愛ではない。終りが見えているし、気持ちの整理だって間に合わない。ここから先は、前みたいに素直に喜べないだろう。まさに茨の道。その点、もし俺が館山さんと付き合うとしたら、上海で見たあのカップルみたいに、なんとなく一緒に未来を歩いていける。ハードルが低くて、楽な恋愛。それもあり、なのか?
向こうの方でようやく火が着いたと盛り上がる中、俺は館山さんの思いを、そして自分自身の迷いの炎を、どうにか消火できないかもがき苦しんでいた。




