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22.夜上海

 6月は日本では梅雨の季節だが、旅順にはあまり雨が降る気配がない。元々海の近くだから湿気が強いのかと思いきや、意外とそうでもなくて、どんよりした雨雲が漂うことはあまりない。日本では6月を過ぎるといよいよ夏休みになるので、ここを乗り越えれば後は楽しい時間が待っている、と思えるものだが、俺はそうは思えなかった。留学生活は残りひと月。ということは、ジャスミンといられる時間もあとひと月ということだ。


 あのサボりの次の日、館山さんが授業に言ったのを見計らって、朝、ジャスミンの部屋に行き、一晩で考えたアイディアを話した。ジャスミンはそこまでするのかとびっくりして頭を抱えながら笑っていた。


 またその次の日、俺とジャスミンは寮でも校内でもなく、空港にいた。授業を受けずに遊びに行くどころか、授業を受けずに旅行に行こうというわけだ。


 行き先は上海。結局、この1年ほとんど大連にいたわけで、飛行機に対しての苦手意識はあったものの、ジャスミンが「乗らないと慣れないから」と無理やり飛行機のチケットを購入したのだ。それも計画を話した次の日のチケットだ。


 イリーナと行った上海旅行の話を思い出して、俺はあの一晩で色々調べていた。中国の有名な観光地やグルメ、もちろんジャスミンにとっても楽しんでもらいやすい場所はどこかと、とにかく情報を漁った。そのアイディアを全く参考にせず、ジャスミンは即決で上海行きを決定したのだ。


「因为我去过上海,所以上海的话我可以当你的导游(私は上海に行ったことがあるから、上海ならあなたのツアーガイドになれる)」


 そう言って瞬時に二人分のチケットを購入し、昨日は罪滅ぼしのために授業に出て、今日に備えたのだった。


 大連周水子空港から上海浦東空港まで飛び、お互いにバッグ1つでいろいろな場所を回ることに。この前の恐龍園みたいに苦笑いすること無く、俺にとっては新鮮な景色を堪能することが出来た。


 空港から地下鉄に乗り換え、南京路に出ると、大連でも多いと感じていた人が、さらに数倍多くなって縦横無尽に入り乱れている。ここで俺は初めて人に酔うという体験をした。道のど真ん中で気持ち悪くなった俺を心配しつつも面白がって笑うジャスミン。「この先すぐ景色が開けるからもう少し頑張って」と鼓舞してきたので、そこは男の意地で進んでいくと、けん玉みたいなタワーが見えてきた。更に増える人、人、人。蜂の巣を至近距離で見ているような、もぞもぞする感覚。集合体恐怖症患者の気分を味わうにはうってつけの場所。身体が重たくなってきた。


 やっとの思いで歩行者の波をかき分け、車が走る道路まで出ると、その先は一段高くなっていて、そこまで登ると有名な上海の景色が広がった。「あれが东方明珠で、ここが外滩で」と色々嬉しそうに説明するジャスミン。夜になると更に人は増えて綺麗なんだとニコニコしながら話すものだから、愛おしい気持ちとおぞましい気持ちが同時に来て、ウッてなった。


 遊覧船に乗ってさっきのけん玉みたいな東方明珠塔に向かう。川を渡るときの風でやっと正気に戻ってきた俺だが、東方明珠塔の中に入るとさっきの集合体恐怖症体験が再来した。


 中は博物館になっていて、上海の歴史を知る資料や模型がたくさん並んでいた。そのまま地上350m地点の展望台まで登ると、上海の街を一望でき、ガラス張りの床を恐る恐るジャスミンと歩いたりした。飛行機もそうだがそもそも高いところが駄目な俺を面白がってこかそうとしてくるジャスミン。意地悪な笑みを浮かべているが、その笑顔でさえも愛くるしい。惚れたほうが負けなのだと実感した瞬間だった。


 濃厚で甘みが強い上海料理を昼食にとり、近くの人民公園で一休み。街中だけど緑が多く、飴細工を作るおじさんや地面に水で字を書く書道家のおじいさんがいたり、芝生の上でくつろぐカップルがいたりと、大連と変わらないゆったりした時間が流れている。そんな中、あのカップルの近くの木陰で休憩していると、ふと自分たちの状況とその見知らぬカップルの状況を想像して比較してしまう。あのカップルはきっとなんでもない日々を過ごしながら、時期が来たら結婚して子供を生んで、一緒に生活していくんだろうなと。俺とジャスミンが出来ないことを、あの二人は平気な顔でこなしていくんだろうなと。そう考えると、なんで俺は今ジャスミンと付き合っているのだろうと考えてしまうわけだが、それを考えたところでどうしようもないことなのだというのも分かっていて、はぁ、とため息をつくしか無い。今この瞬間はジャスミンと居られて幸せだけど、未来のことを考えられないのはどうしたって残念だった。


 じゃあどうやったらこの恋は続けることができるのか。やっぱり結婚を許してもらいに俺がヨルダンまで行かなければ。とも思うのだが、実際問題としてもうすでに相手がいる時点で詰んでいることは確か。ならば駆け落ちか。でも国際的な駆け落ちって、一体どうすれば良いのだろう。ビザの問題もあるだろうし、難しいだろう。俺もジャスミンも労働ビザを手に入れて中国で仕事を見つければ良いのか。いや、そもそも1年間中国語を勉強したくらいで就職できるほど甘くはないだろう。じゃあどうすれば。どうすればこの恋愛を延長できるのか。


「跟你一起去旅游,我很幸福啊(あなたと一緒に旅行に来て、私はとても幸せ)」


 芝生の上で身体の後ろで手をついて、俺の隣に座るジャスミンが、ぼそっと言った。俺もとても幸せだよ、と話そうとしたとき、良いことを思いついた。ビザはビザでも、労働ビザじゃなくて、旅行ビザだ。永遠じゃないけど、お互いにある程度はこの恋愛を延長することができる。恋の延長戦作戦の鍵は、旅行ビザだ。


「我也跟你一起去旅游很开心,很幸福!(俺もあなたと一緒に旅行できて楽しいしとても幸せだ!)」


 そう言って公園のど真ん中でジャスミンの唇に突撃した。キスとかいうレベルではなく、勢いだけの衝動的な口づけ。その口づけを終えると、ジャスミンは俺の頬を両手で包んで優しくキスし直してきた。幸せを噛みしめるように、時間がスローになるように。



 夕方、ドリアン売りのおばさんを横切り、また先程の外灘に戻ると、昼の比ではないほど大勢の人々が景色を見ようと集まっていた。久々に見る上海の夜景に「夜上海ィエシャンハイ夜上海ィエシャンハイ你是个不夜城ニーシューガブーィェチャン」と歌いながらスキップするように歩くジャスミンが可愛らしい。ジャスミンの歌う「夜上海」に、俺は「永远的微笑えいえんのほほえみ」を歌ってあげたい気持ちになった。


 その日はそのまま上海の安いビジネスホテルで一泊し、次の日は上海のもう一つ有名な観光地、豫园で過ごし、高速バスで蘇州に移動。虎丘や山塘街などの観光地を一通り周り、蘇州からの最終便で大連に帰った。ほとんど移動時間だったような一泊二日の弾丸旅行だったが、大連空港に到着したときにはまるで龍宮城から帰還した浦島太郎のように大連の街がひどく懐かしく思えた。


挿絵(By みてみん)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 夜景ステキ!(*´艸`) そして人の多さ(笑) これは人に酔っても仕方ないかも… 弾丸旅行いいなぁ!
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