21.轻轨
車がほとんど走っていない、田舎のゴーストタウン。それがこの恐龍園に続く街の第一印象だった。たしかに今日は平日だし、実際今の天気もそこまで良いとは言えないけど、本当にここが観光地なのかと思うほど人が居ない。ついこの間花見をしたときには平日でも人でごった返していたのに、打って変わってこちらは閑散としている。
本当に大丈夫かと二人で顔を見合わせる。とりあえず何か見印になるものはないか探したところ、駅らしきものを見つけた。『金石滩轻轨站』と書かれているそれは電車か地下鉄の駅だろう。大連にもこういう交通機関があったのだとその時初めて知った。
その駅の近くにマクドナルドがあり、裏側にはケンタッキーと吉野家があったが、どれも特に食べたいわけではなかったのでスルー。その近くに立派な建物があり、地質博物館と書いてある。特に興味はなかったが、今日は新たな発見をする日にしようとジャスミンと強制的に納得し、新たな世界を見つけるために入ってみた。
土地の大きさだけはどこに行っても感心する。だだっ広い大広間に、豪華な装飾の廊下。展示棚には様々な大きさ・色・形の岩がずらっと並んでいる。ライオンの形の岩のところでライオンのポーズをするジャスミンを撮ったり、装飾品の笹の葉を食べるパンダごっこをするジャスミンを撮ったり、見た目がベーコンそっくりな肉岩という岩を食べるふりをするジャスミンを撮ったりと、意外と楽しむ要素をどんどん発見していくジャスミン。自分で面白さを発見できるその才能に、いつの間にかついていくのに必死だった。
博物館の中をすべて見終わって、まだ午前中。少し早めの昼食を取るためにさきほどの駅周辺で食べられる場所を探す。ラーメン屋、韓国料理店、どこにもここの名物らしきものはない。ジャスミンはもうお腹が空いたのか、それとも探すのに飽きたのかスマホを取り出し、検索しはじめた。
「吉野家就行了吧,我觉得知道你的故乡的味道是很重要(吉野家で良いんじゃない? 進のふるさとの味を知っておくのは重要なことだわ)」
日本の味を知りたいだなんて嬉しいことを言ってくれる。
「而且吉野家的东西里面,好像有清真食品(しかも吉野家にはハラールのものがあるらしいしね)」
そうだった。ジャスミンはムスリムだからハラールじゃないといけないんだった。とはいえビールは飲むし他にも結構緩かったような気がする。未だに基準がよくわからない。
吉野家での昼食を済ませ、空っぽの街を散策していく。同じような家が延々と立ち並ぶ異様な景色。映画の撮影をしているかのような非現実感。赤レンガを見飽きるほど見た先に待っていたのは、黄金の浜辺と説明書きしてある普通の海水浴場だった。なるほど、さっきまでの赤レンガの建物はそれぞれが海辺の別荘として売り出されていたものだったのだ。まさに不動産バブルが続いている中国らしい光景。きっとこれから先どんどん宣伝していって観光客を呼び寄せるための準備をしているような場所なのだろう。ぱっと見豪華なハリボテのようなこの街は、いずれハワイや沖縄のような場所になれるのだろうか。なれるとはお世辞にも思えないけど。
とはいえ海は海。海を見ながら散歩というのはなかなか気持ちが良いもので、ジャスミンのヒジャブが風にたなびいてゆらゆら揺れている。結婚写真の撮影をしているのか、赤いドレスの女性と赤いスーツの男性が隣り合って撮影されている。そしてその横の縦長の岩を見てへなへなと力が抜けた。そこには紛れもなく恐龍園と書かれている。そのどこにも恐龍らしきものは見当たらないが、とにかく恐龍園なのである。思い描いていたものと全く違って、またジャスミンと顔を見合って苦笑い。ちかくにいたおばちゃんに聞いてみると、なんでも遠くの方に見える岩が海水を飲んでいる恐龍に見えるとのことでこの名前になったそうだ。なるほどな、と思った。だからさっきあんなに大々的に地質博物館が建っていたのだ。結局、ここのメインは岩であり、海であり、恐龍ではなかったのだ。
ジャスミンも俺も、気持ちは同じだった。もうここは飽きたので帰ることにしよう、と。先程見つけた駅の方がよっぽど興味が湧いた。駅の中に入って初めて分かったことだが、ここは地下鉄でも鉄道でもなくライトレール、軽便鉄道の駅だった。しかもあの勝利広場やロシア人街のある大連駅まで続いている。これに乗って大連市内にでも行こうかと一緒にチケットを買い、プラットホームまでのエスカレーターに乗った。
プラットホームには時刻表がなく、来たときにただ乗るしか無いようだ。日本のように時間がきっちりしていないのは不便だが、周りの数人の中国人はマイペースにスマホを見たりしてひたすら電車を待っている。時刻表があるからこそ時間に敏感になってしまうのであって、時刻表が最初からないと待たされることに抵抗を抱かなくて済むようになるらしい。俺はこっちに来てもうすぐ1年になるが、この1年以外はずっと日本に居たのでどうしてもおおらかになれず、だんだんイライラしはじめた。
そんな俺にジャスミンはそっと話しかけてきた。
「逃课体验怎么样了?(サボり体験はどうでしたか?)」
「马马虎虎」
あはは、と笑ってしばらく黙った後、良い言葉が見つかったようで、したり顔で再度話しかけてきた。
「“逃避”的意思之中如果有特别的意义的话,并不是不好的事情吧(逃げるっていうのは、そこに意味があれば、別に悪いことじゃないよね)」
「那有什么意义啊(じゃあどんな意味があるの?)」
「对我们俩来说,上课的意义不是很大。因为我们两个不是特别特别喜欢学习,也不是想要高分,而是想要两个人一起的时间。是吧? 对我们来说最重要的是两个人一起在的时间。逃课的意义是为了做成两个人的时间。这就是最大的意义吧(私達にとって、授業に出る意味はそれほど大きくない。なぜなら私達二人はとってもとっても勉強が好きなわけじゃないし、テストの点数が高くなくても良い、二人の時間がほしいだけ。でしょ? 私達にとっていちばん大事なのは二人きりの時間。サボりの意味は二人きりの時間を作るため。これが最大の意味でしょ)」
そういってドヤ顔をするジャスミンが愛おしいと思った。逃げるという行為はマイナスじゃない。ただ周り道をしている間に何かに気付いたりできればそれでいい。自分でチャンスを切り開いている行為、それがサボりなのだ。と、もっともらしい言い訳をしているだけなのだが、二人きりの時間を大切にしたいと考えてくれているのが嬉しかった。
それから電車が来て、大連駅まで戻る途中も、ついてから少し買い物をして、帰りのバスを待つときに一緒に緑豆のアイスキャンディを食べながらおしゃべりすることも、帰りのバスの中で爆睡したことも、全部が全部、二人きりの貴重な時間だった。いつまでもこんな毎日が送れたら良いのに。また一緒にサボれたら良いのに。部屋に帰ってからはチャイに今日あったことを話しながら、次のサボタージュ計画を立てることに必死で、寝ることをすっかり忘れていた。だがその分良いことを思いつき、早速明日ジャスミンに話してみようと思った。
明日から6月。留学生活最後のひと月が始まろうとしていた。




