20.黑车
次の日、朝ごはんは寮の食堂で食べたが、みんなが教室に向かう中、俺とジャスミンだけが校門の方に向かった。これまで一応真面目に毎日授業に出ていたから、平日のこの時間に学校外にいることがなんだか不思議で落ち着かない。
海鮮街の小さなお店で多少のお菓子とミネラルウォーターを買い、まずはタクシーを拾うことに。いつも校門の前には中国で黑车と呼ばれるいわゆる白タクが何台も並んでいる。白タクはこっちでは黒くなる。悪いことは黒で表現されることが多い中国。ボッタクリバーは黑吧。黒歴史は黑历史。白タクでぼったくりバーに行くのは黒歴史になるっていうこと。帰国までは気をつけたいところ。
だから、道路を高速で通っている中から本物のタクシーをみつけて捕まえないといけないが、どうも今日は捕まえられない。元々交通量が多くないこともあり、無駄に1時間ほど過ごしてしまった。
仕方がないので人生初の黑车に乗ってみることに。意外にもジャスミンは平気な顔でするすると近づいていった。自分の車にもたれてタバコを吸っている汚らしい色黒の男はどうやら運転手らしく、俺ら二人に気づくと向こうから愛想よく近づいてきた。
「你们去哪儿呀(どこ行くの?)」
「我们没有目的地(目的地はないわ)」
「啥?(何?)」
自信満々にあっさりと目的地がないことを告げるジャスミン。その予想外の反応に顔を歪める運転手。それもそうだろう。目的地がない人をどうやって目的地まで届けるというのか。矛盾している。でも実際、俺らには目的地はなかった。ただどこかをブラブラしたい。それだけだ。
「去哪里都可以,大连市和旅顺中心部以外,有什么好玩的地方吗?(どこに行っても良い。大連と旅順の街中以外、どこか面白い場所はある?)」
困った顔の運転手。急にそんな事言われてもなぁという感じでタバコを吸うスピードが上がる。
「恐龙园怎么样啊,300就行(恐龍園はどうだい、300でいいよ)」
片道300元。普段のタクシーの2倍ほどの値段。でも恐龍というワードは男子からするとすごく魅力的だ。ジャスミンは恐龍という単語がよくわからなかったらしく、電子辞書で調べてふぅんという表情を見せた。
「300好贵啊,200吧(300じゃ高い。200でしょ)」
臆せず値段交渉に入るジャスミン。普通のタクシーと違い、白タクは値段を決めてから乗り込むのがルールみたい。そのほうが後々トラブルになりにくいのだとか。たしかにこのほうが切りが良い数字を出せるし、メーターがどれくらい上がるのか怯えながら乗らなくても良い。ただ、高い。だからここはほぼ1年間勝利広場で鍛えた値段交渉術で攻めるしか無い。
「200不行,280(200は無理、280)」
流石に熟練の白タクドライバー。少しは譲ってくれるものの、なかなか落ちない。
「那就250吧,250(じゃあもう250で。250)」
一旦すごく下げてから様子を見る方法で攻めるジャスミン。少し下げられたから、もう少し行けそうというのが勘でわかるらしく、250で勝負をかける。
「行行行(良いよ良いよ良いよ)」
そう言って早々に運転席に乗り込む運転手。運転手も生活のためか最初よりも50元安くしてくれた。この勝負、ジャスミンに軍配は上がった。
恐龍園までは1時間半ほどで到着できるらしい。車内ではさっきの値段交渉で仲良くなったのか、陽気な運転手が次々に話を振ってくる。まずは定番のどこの国の留学生なのかから。そこからやれ日本は戦争がどうのこうの、ヨルダンはよくわからないだの、ズケズケと人の気持ちを考えない発言が続き、ジャスミンと俺は苦笑いするしか無い。お次は運転手による発音講座。運転手こそ大連方言でなまっていて大外を大尾って呼んじゃってるのに。今ひとつ勉強にならないので、これも聞き流しながら外の景色を楽しむ。右側通行だからちょうど海が見えるように海沿いを走るタクシー。沖縄やハワイのような綺麗で透き通っている海ではないけど、見慣れた大連の海は力強く今日もそこに居座っているように見える。
そろそろ反撃の狼煙をあげようと思い、白タクが黒いという話を運転手に聞こえるようにジャスミンに話してみる。
「在中国叫黑车嘛,但在日本的话,我们叫白出租车(中国だと黒車だけど、日本では白タクっていうんだ)」
「为什么?(なんで?)」
「因为一般人做的汽车是用白色的车牌,出租车等都是用绿色的车牌,所以假装出租车的普通车辆都是白色的车牌嘛,所以叫白出租车(普通の人の車は白いナンバープレートで、タクシーとかは緑色だから、タクシーのフリする自家用車は白いプレートなんだ。だから白タク)」
「原来是这样子啊(なるほど、そういう事ね)」
「约旦呢?(ヨルダンは?)」
「有很多颜色。一般来说,还是白色吧,我看过红色!(いろいろな色がある。普通は白だけど、赤とかも!)」
「红色? 那有白车,也有红车?(赤? じゃあ白タクもあれば、赤タクもあるってことだね?」
「红茶!? 白茶,黑茶,绿茶! 哈哈(紅茶!? 白茶、黒茶、緑茶! ハハハ)」
「不是茶,是车! 那这样的话,绿车就是普通的合法出租车诶(茶じゃなくて、車ね! ていうか緑車は普通にちゃんとしたタクシーだね)」
黒車の中で二人で笑い合った。釣られて運転手までも笑い声を上げている。cheの発音は気が抜けるといつもchaの発音になってしまう。来たばかりのときには全く聞き分けられなかったけど、最近やっと聞き分けられるようになった。それなのに、口の方はまだついてきていないようで。
とはいえ外国人のチャイニーズジョークが本場の人に通用した瞬間、なんて平和なんだと思った。白タクに乗っていることをついつい忘れてしまいそうになるほど気が抜けた。
大連市中心部を通り過ぎ、車はずんずん進んでいく。荒っぽい運転に多少気分が悪くなったりもしたが、バスもトラックもどんどん追い抜いて、右に左にグラグラ揺れる、カーチェイス映画のような運転はスリル満点。大連北駅の横を通り過ぎ、金州の大連開発区を更に進み、幅の広い道路をまっすぐ飛ばしていったとき、ついに運転手が「马上到了(もうすぐ着く)」と言った。その頃にはもうヘトヘトで、あと1時間これが続くと多分戻してしまうだろうとさえ思うほどぐったりしてしまった。
ジャスミンは大丈夫かと思いふと横を見ると、無防備に安心しきって眠っている。よくあんな運転で眠れるなと感心してしまう。
どんよりとした重たい曇り空の中、車は海辺のだだっぴろい駐車場の入口で泊まった。値段交渉していたおかげで余計にぼったくられる心配もなかったし、前払いだったので後は降りるだけ。ジャスミンを起こすと、よだれが垂れていたのかヒジャブでさっとそれを拭い、目をこすりながら下車。どんだけ無防備だよと突っ込みたかったが、なんと表現したらちょうど良いニュアンスになるのかわからなかったのでやめておいた。
白タクがさっさと走り去ったのを確認して、改めて振り返る。到着した金石路周辺は、映画のジュラシックパークみたいな雰囲気のあるものではなく、ただの閑散としたハリボテのような街だった。




