19.生日快乐
一年に一度だけ祝えるものといえば、誕生日。今日はチャイと一緒にベトナム人の女の子の誕生日を祝うため、手には生クリームの塊を持って、忍び足で彼女の部屋に向かっている。ベトナムの彼女は今ルームメイトのフィリピンの女の子と一緒にでかけているらしく、もうすぐで帰宅するそうだ。その前に彼女の部屋の中に潜入し、帰宅後、そのフィリピンの女の子の合図で一斉にクラッカー部隊と生クリーム部隊が部屋のいたるところから出てきて騒ぐという寸法だ。
俺とチャイは窓の外に隠れ、カーテンの隙間から中を確認し、フィリピンの女の子のする合図と同時に飛び出す予定。部屋を通過し外で待機。五月らしい涼しい風が吹く中、緊張と興奮で手汗が止まらない。
そうこうしているうちにドアノブが開いた。物音を立てずに準備開始。何やら買い物をしてきたようだ。誕生日プレゼントでも買ったのかな?とても嬉しそうに話しているベトナムとフィリピンのガールズトークの内容が気になるところだが、チャイも俺もフィリピンの女の子の右手に注目する。あの右手が握られ、ぐるっと手首を回したら突入。ワクワクしてきた。
わざとらしく手を上げて欠伸するフィリピンの女の子。いよいよか。握られた両手が今、グルっと回った。ここだ!
「生日快乐啊啊啊啊啊啊!!!!(誕生日おめでとおおおおおお!!!!)」
四方八方からわっと出てくるいつものメンバー。急なことで口をあんぐり開けて肩をすくめて怖がるベトナムの女の子に、ラオスと北朝鮮の男子が生クリームを顔面に綺麗にぶつけた。それに続けと俺とチャイが頭の上からぶつけ、インドネシアの女子が左側からぶつけた。部屋中にクラッカーの煙が充満し、拍手喝采。ベトナムの女の子は怒るどころか大笑いで、みんなが笑顔に包まれた。サプライズは大成功。そこから中国語版のバースデーソングを全員で大熱唱。そして更に大きい拍手喝采。
そこで一旦クールダウンし、それぞれで雑談が始まった。
「阿进呢? 几月几号?(進は? 何月何日?)」
「其实已经过了(実はもう過ぎちゃっててさ)」
と言い終わる前に、目の前が真っ白になった。息もできず、鼻をフンと力強く吹くと、やっと息ができた。チャイに余った生クリームをぶつけられたのだ。突然の出来事に戸惑ってしまい、リアクションがとれない俺。
「为什么? 我的生日不是今天啊!(なんで? 俺の誕生日今日じゃないよ!)」
「因为已经过了,所以今天代办庆祝! 生日快乐!(過ぎちゃってるから、今日その日の代わりにお祝いするよ! おめでとう!)」
今度はみんなが俺に向かって「生日快乐(誕生日おめでとう)」の大合唱。拍手までされて、お辞儀するくらいしか出来ない。こんな事があるなんて、思ってもみなかった。
和やかで、優しくて温かい人達。そこに国境はなく、あるのは純粋な祝福だけ。案外平和というのは、こういうシンプルなもので手に入れられるものなのかもしれない。
みんなで騒いだ後はみんなでお片付け。自前の雑巾で飛び散った生クリームを拭いたり、自前のゴミ袋にゴミを拾って入れたり。その間もベトナムの女の子の反応がどうだったとか、そのときにひどい顔でぶつけていたやつの顔を真似して笑ったりと、終始和やかな様子。当事者として参加できたことに幸せを感じた。
「你的女朋友呢?几月几号?……你还不知道吗?(彼女は? いつなの? え、まさか知らないの?)」
一緒にゴミ拾いをするチャイがそう聞いてきた。そう言えば聞いてなかった。誕生日すら知らないなんて。これはシンプルに失態を犯したと認める。俺は彼女のことをこれっぽっちも知らない。
何も答えられない俺に向かって、チャイは肩を組んできてニカッと笑った。
「没关系,祝福她吧。如果不是生日,庆祝就是会开心的吧(別にいいじゃん、祝っちゃいなよ。誕生日じゃなくても、お祝いは嬉しいものでしょ)」
そんなものなのか。確かに、今日は俺の誕生日でもなんでも無いけど、祝ってもらえたときは無条件に楽しくて嬉しい気分になれた。他人から祝ってもらえることがこんなにも幸福感にあふれているものだとは。祝われる当事者になってみないと気づけない感覚だった。そして、その感覚に気付いてしまった自分自身にただただ驚いている。
この感覚を、生クリームみたいにジャスミンにぶつけたいと思った。余ったクラッカーを借りて、ジャスミンの部屋に向かった。というより、自然と足が進んだ。背中の方でみんなが俺になにか言ったような気もするが、気にしちゃいられない。ジャスミンにおめでとうって言いたい。それだけの感情で今、突き進んでいる。
扉の前で一度深呼吸し、ノックする。すると、部屋着のジャスミンが出迎えてくれた。
「Jasmin! 生日快乐!(ジャスミン! 誕生日おめでとう!)」
「今天不是我的生日啊(今日は誕生日じゃないわよ?)」
何が何やらさっぱりだ、というような表情を作るジャスミン。いつも隠している分、表情が大きく変わるのが面白い。
「那,普通的今天快乐!(じゃあ、なんでもない日おめでとう!)」
「什么呀,看起来好开心的样子,怎么了?(なにそれ。でもなんだか楽しそうね。どうしたの?)」
そう言って俺の鼻の上に残っていた生クリームをすくって、ペロッと舐めた。愛おしいと思った。
部屋の中に招き入れてもらった。館山さんは不在で、ジャスミンとの二人きりの時間。俺はゆっくりとここまでの説明をした。少し興奮気味に話してしまったから、多分支離滅裂で聞き取りにくいジャパニーズチャイニーズになってしまったかも知れない。でもそれでも良い。伝わると確信して話を続けた。ジャスミンは楽しそうに話す俺と同じテンションでうんうんと頷いてくれ、俺と同じように喜んでくれた。話せるだけでも嬉しかったのだ。
俺とジャスミンの恋愛はもうすぐ終りを迎える。いや、終わらせたくないけど、終わらせないといけなくなる。だから、別に誕生日がいつだろうともはや関係ない。いつが記念日だろうが、誕生日だろうが、お祝いであることに変わりはないし、そもそも俺がジャスミンと居られる日はおめでたい日であって、祝福すべき日々なのだ。それはジャスミンも共感してくれて、なんでもない毎日に祝福してくれた。
誕生日には誕生日プレゼントをあげないと。でも今日はなんでもない日。なんでもない日にプレゼント、ありだよね。そう自分に言い聞かせて、プレゼントは何が良いのか考えてみる。
「普通的今天的礼物,你要什么?(なんでもない日のプレゼント、何が良い?)」
なんでもない日のプレゼントってなんだよ、と言いたげな顔で「What?」って言われちゃったけど、すぐに思考モードに入る彼女。この二人きりのときにだけ見せるオーバーリアクションが可愛いくて仕方がない。
「那只有一个。我们一起逃课,一起去陌生的地方。好吗?(じゃあ一つだけ。一緒に授業をサボって、知らない街に行ってくれること。良い?)」
サボって一緒に知らないところを散策するなんて。なんて青春チックな考え。俺は即答でオッケーし、計画を練り始めようとしたが、ジャスミンに止められた。
「因为我们去陌生的地方,所以不能准备。好吗?(知らない土地に行くんだから、準備しちゃ駄目。良い?)」
「好」
いたずらっ子のような悪い笑顔のジャスミンと、ずっとこんなふうに話せたらなって思った。