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18.第二气象台

 次の日、授業が終わると早速ジャスミンを誘って総合楼にあるハラールのどんぶり屋さんに行き、彼女との今後を真剣に話そうとした。しかし、彼女はHSK(漢語水平考試:TOEICの中国語版のようなもの)に向けて勉強したいらしく、一緒に勉強しないかと誘ってきた。確かに検定試験まであと数日だし、語学留学していた証明になるから頑張るのは良いのだが、それよりもっと大事なことがあるんじゃないのか、と言いたかったが我慢した。今機嫌を損ねて何も喋ってくれなくなったら困るのは俺だから。


 俺がそこまで焦らずに済んだのは、実はもう一つ秘策があったから。それは昨日、チャイ達と海鮮街で材料を調達している際にあるものを見つけ、決戦の場はここしか無いと直感で決めた、とある場所。ちょっとずるいかもしれないけど、アイテムも使って本心を聞き出そうと思う。


「气象台?!」


 勉強終わりの疲れている頭に衝撃が走ったのだろうか。ジャスミンの目がカッと開き、手で口を覆って驚いている。


 とあるレンガ造りの建物に入ると、そこに見覚えのあるエプロンを着ただけの普通のおばさんが立っていて、入店した俺らが座った席にひょい、とメニューを放ってきた。大連市内の中山校区にまだ大外があった頃の行きつけのお店が、旅順校区の目の前にできていた。


「昨天买菜的时候找到了这所店。听说现在在老大外旁边的那个气象台客人越来越少,我们留学生搬到这里的几个月之后他们都一起搬到了(昨日材料を買いに来たときにこの店を見つけたんだ。元の大外のそばのあの気象台は今、お客さんがどんどん減っているらしくて、俺ら留学生がこっちに来た数カ月後には彼らも引っ越してきていたらしい)」


「天呢,如果我早知道,就可以常常过来这里吃点羊肉串呢(そんな、もし早く知れていればここでもっと羊の串焼きを食べられたのに)」


 目をキラキラ輝かせ、あれもこれもと注文していくジャスミン。最後にビールを一箱注文し、「今天是个特别的日子(今日は特別だからね)」とウインクしてヒジャブを外した。黒髪をかきあげる彼女は今にも踊りだしそうで、まずはここまでは作戦大成功。


 羊肉の串焼き、じゃがいもの串焼き、カーテンのようなニラの串焼き、銀紙に包まれたアサリの蒸し焼きや、トロトロになっている焼き茄子。どれもあの懐かしい美味しそうなスパイシーな匂いが漂っている。ジャスミンと出会ったあの日のことを思い出しながら、それぞれをゆっくりじっくり味わった。あのときのジャスミンは確かアバヤを着ていて、冬はニカブ、春はヒジャブを身にまとっていることが多かった。だんだん普段着から素肌が見える範囲が広がっていき、一緒に出かけるときにはムスリムだって思えないほど開放的な格好だった。そして今日はわざわざヒジャブを外し、無防備な格好をさらけ出している。やはり今日しか聞くチャンスはないと確信した。


「Jasmin,你为什么来到中国留学?(ジャスミン、なんで中国に留学しに来たの?)」


「为了远离我的父母,你呢?(両親から離れるためだよ、あなたは?)」


「为了远离学业(学業から逃げるためだよ)」


「你在这里都是学业中啊,哈哈(こっちでも学業してるじゃん、ハハ)」


 まぁたしかにそうだけど。1年間こっちにいればそれだけで単位がもらえるから、俺としては勉強のためにこっちに来てるんじゃないんだ。なんて言えなかった。これも逃げの姿勢なのかもしれないなぁ。なんて。


 ジャスミンの方は両親から離れるためということで、つまり、両親との関係が悪いから留学してきたということか。相当厳しい親だから、俺らの関係も反対される可能性があるということなのだろうか。それなら説得すれば良いだけの話だし、わざわざ期限付きの付き合いにする必要性はなさそうに思えるが。


「逃亡啊,我们都是(逃避行だね、お互いに)」


是的そうだね


 窓の外はハロゲンランプのオレンジ色で照らされているところの他は、もうすっかり真っ暗になっていた。1ダース入りの青島ビールの緑色の箱の中身がすべて空き瓶になり、二箱目に突入しようというところで、切り出してみることにした。逃げの姿勢から脱却するために。なんて。


「Jasmin,我想问一下比较重要的事情(ジャスミン、俺はちょっと重要なことについて聞いてみたいことがある)」

「怎么了?(どうしたの?)」

「我们快要毕业了,那意思就是,我们那天要分手。是吧?(俺らはもうすぐ卒業する。ということはつまり、俺らは別れないといけない、そうだね?)」

是的うん


 ジャスミンの箸が止まる。お酒を飲んで赤くなっているが、その表情は凛としている。


「为什么要分手呢? 我们的关系非常好,如果可以的话,我想要继续在一起(なぜ別れる必要があるの? 俺らの関係はとても良いし、もしよかったら付き合い続けたい)」


 やっぱりそうか、と言いたげな表情で、さっき外したヒジャブをギュッと握って話しはじめた。


「其实我已经结婚了(実は私、もう結婚しているの)」

「え?」


 つい母国語が出てしまう。もう結婚している?

 じゃあ俺は不倫相手みたいなもの?

 だから期限付きだったのか。

 思っていたよりも随分重たい言葉がかえってきたせいで、未だ処理しきれない。


「我们的文化是这样的,首先,我的结婚对象是我的父母决定的,不能我自己决定。其实我还没见过我的结婚对象。当然爱情都没有。但是,我不能拒绝这个命运(私達の文化はこうなの。まず、私の結婚相手は私の両親が決めるから、自分では決められない。実はまだ結婚相手に会ったこともない。当然愛情もない。でも、その運命を拒絶することはできない)」


「那为什么和没见过的人已经在一起的同时,不拒绝我的表白?(じゃあなんで会ったこともない人と結婚状態にあるのに、俺の告白を拒否しなかったの?)」


「很简单,因为你是我唯一爱过的人(とても簡単よ、あなたにだけは愛情があったから)」


 そんな……。

 これもぐっと堪えるしか無いのか。あのとき告白したことを後悔しそうになる。説得したらなんとかなるものだろうと思っていた数秒前の自分を金属バットで殴りたい気持ちになる。


「其实从你给我表白的那天开始,天天和我的父母商量这个事情,因为日本人是非常诚实的民族吧,所以我觉得父母都会改变想法。但结果还是不行。当然,以后我会继续跟父母商量一下,我也不想放弃你,但是有点……难(実はあなたが私に告白してくれたあの日から、毎日両親とこのことを相談している。日本人はとても誠実な民族だから、考えを変えてくれると思って。でも結果はやっぱりだめで。当然、これからも両親とは相談し続ける。私もあなたを諦めたくないから。でもちょっと……難しそうね)」


「你为了我们这么辛苦,我一点都不知道了。既然你这么做了,我也看看我能做些什么。(ジャスミンがそこまでしてくれていること、全然知らなかった。そこまでしてくれているなら、俺もなにか良い方法がないか考えてみるよ)」


 残った食材を平らげてビールも飲み干したが、心にぽっかり空いた穴はどれだけ食べても埋めることが出来なかった。二人の原点でもあるこのお店で、今度は二人の関係性の破滅の第一歩を踏み出してしまったようで、いよいよ心の準備が必要なのかと思わされることとなった。


「走吧(出よう)」


 ジャスミンのその一言に重みを感じながら、真暗闇の中を一緒に突き進むことにした。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 文化の違い~!( ノД`)… 結婚してて、でもまだ会ったこともないとか、不思議。
[一言] 国の違いっていうのは大きいですね……。 お互いに好きだからやりきれない、もどかしい、切ない。
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