16.龙王塘水库
ようやく暖かくなり始めた5月。館山さんはあの日本語コーナーへの参加以来、すっかり中国人の友達を増やして一緒にいることが多くなった。俺はジャスミンとの時間を取り戻せたと内心はしゃいでいたし、ジャスミンも自分の役目を終えたという感じで達成感を感じたのか、館山さんを妹を見るような目で見守っている。暖かくなったということで、ジャスミンの服装は目元しか見えないニカブから、顔全体が見えておしゃれの幅が広がるヒジャブの比率が高くなっていった。
今日は大人数で総合楼の昼食スペースにどんと陣取った。ジャスミンと俺はもちろん、久々に館山さんも加わり、館山さんが最近仲良くしている中国人女子二人も一緒に加わった。みんなで大きな鍋に入っている酸菜鱼(漬物と一緒に煮た魚の料理)を囲んで、雑談しながら昼食をとった。
「我们、一起去、看花,OK?(私達、一緒に、花見、OK?)」
徐々に話せるようになった館山さんが、ジャスミンにそう提案した。
「OK! 看樱花吗?(OK! 桜を見るの?)」
「对!(そう!)」
館山さんの中国人の友だち曰く、日本統治時代に植えられた桜の木が有名で、観光スポットになっているらしい。
「因为我有一台单反相机,所以可以拍出很漂亮的照片哦!(私は一眼レフカメラを持ってるから、キレイな写真がいっぱい撮れるよ!)」
その中国人の友人はそう言ってシャッターを押すポーズをしてハハ、と笑った。じゃあここにいる5人で一緒に行こうということになり、周末は人で混んでいるだろうからということで、いきなり今から行くことになった。
龍王塘桜花園は校門の前に止まっているボロボロのタクシーに無理やり5人で乗り込み、それほど時間がかからない間に到着した。中国第一桜花園とされているそこは、たしかに入り口の駐車スペースからもうすでに真っピンクの桜が見えており、広大な土地に競うように桜の木が植えられている。ちょうど満開らしく、平日にも関わらず多くの観光客の姿がある。そのごった返している光景に、週末に来なくてよかったなという感情と、一体この人達はなんで平日にこんなところにいられるんだろうという疑問がほぼ同時に頭の中を駆け巡った。
俺や館山さんは日本で見たことがあるし、中国人二人も去年見たことがあるらしく、あまり大きなリアクションはなかったが、ジャスミンはその見慣れない光景にテンションが徐々に高くなっていき、久しぶりにはしゃぐ様子を見ることが出来た。
「这些都是在约旦看不到的场景,好漂亮啊(これ全部ヨルダンじゃ見られない景色。すっごくきれい)」
そう言いながら吸い込まれるように桜を見て回るジャスミンに、微笑ましさと、それを失いたくないという強い思いが湧いて出てきた。
こっちの桜は土が違うのか種類が違うのか、日本の桜よりも色が濃く、花が力強く咲いている。本当にこれが桜なのかと疑ってしまうくらいにド満開なその桜は、花弁の数が尋常じゃなく多く、白ははっきりと白く、ピンクははっきりとピンク色と、まるで中国人の白黒はっきりした性格をそのまま象徴しているようで、そこに日本人のような曖昧さは感じられない。
地べたに直接座るのもなんなので、それぞれが持ち寄ったお菓子の袋を一斉に開けて、それを一緒に食べながら、空いた袋の上に腰掛けようということになった。タクシーに乗る前にみんなで予算を出し合って買ったお菓子の数は多く、人数分の5袋開けたとしてもまだまだ食べるものに余裕はあった。
キュウリ味のポテトチップス、韓国のり、ハングルで書かれた甘そうなお菓子、旺旺せんべい、ポッキーならぬペペロ。そのラインナップも普段は口にしないようなものが多く、立ち食いでシェアするのもなんだか新鮮で、なんでもないただの花見なのにどんどん楽しくなってきた。しまいには中国人の子の一眼レフで撮影会が始まり、テンションが高いみんなを俺が撮影してあげるという構図ができあがった。
初めて使う一眼レフに戸惑いながらもどんどん写真を撮っていく。日本人からするとなんだか気恥ずかしいポーズも、ここは中国だからと難なくこなす館山さん。中国人二人組はその時はやっていた中国人らしいポーズをどんどんジャスミンと館山さんに教え、それを単語を覚えるよりも数倍早く覚える二人。それに笑いながらシャッターを押すのがどんどん楽しくなって、まるで自分のカメラで撮影しているようにみんなの様子を撮っていった。
「看起来你很喜欢用相机拍照的样子(カメラを使って撮影するの、あなたはとっても好きそうね)」
ジャスミンがライチ味のゼリーを口に入れながらそう話しかけてきた。
「超开心,你也想用相机拍照吗?(超楽しいよ、あなたもカメラ使って撮りたい?)」
「不要不要,我用不上(いいよいいよ、扱いきれない)」
「试一试吧!(試してみなよ)」
「不要不要」
他愛もない会話が楽しくて仕方がない。でも、一緒にツーショットでも撮ろうかと言っても「不要不要」って言われるのがちょっぴり切ない。ツーショット撮るの、嫌いなのだろうか。シャイな性格からなのか、それとも文化的な違いなのかは分からないが、地雷を踏んではいけないので、こういうときは深く突っ込んでいけない。
「你也买个很贵的单反相机吧?(あなたも高い一眼レフ買ったら?)」
「不要啦,用这个就够漂亮啦(いいよ、これでも十分綺麗にとれるよ)」
そう言って偽iPhoneを取り出しジャスミンに見せると、ジャスミンは微笑んでくれた。それと同時に館山さんや二人の中国人が、それを最新iPhoneだと思いこんで一気に話題の中心に。あの日勝利広場で一緒に買いに行ったことをジャスミンと一緒に話すと、3人には大ウケ。中国人二人は「太危险了(とても危険です)」と口を揃えて心配してくれたが、それがスリルがあって面白いのだと、ジャスミンが俺の代わりに言ってくれて、またウケた。
二人の時間を大切にしたいけど、それと同時に二人でいた記録も残しておきたい。俺はその時こう思った。本当は前々から思っていたことだけど、せっかくならジャスミンの姿を目に焼き付けたいと思って、あまり積極的に写真に残すことはしてこなかった。でも、画面越しのジャスミンだってジャスミンであることに変わりはないし、彼女がいなくなっても写真を見て思い出せるなら、どんどん記録として残していかなければならないんじゃないかと改めて気付かされた。
高いカメラは必要ない、それを買うくらいなら、もっと美味しいものを一緒に食べたりして、思い出づくりにそのお金を使いたい。いつでもどこでも肌見離さず持っている偽iPhoneの中にいつまでもジャスミンが居続けてくれるなら、それは良いことなのかもしれない。そんなふうに思いながら、帰りのタクシーに乗り込んだ。
全員お菓子で満腹になっているため、今日は食堂に寄らずそのまま解散。俺は寮の自分の部屋に戻って、ハッとした。ルームメイトのチャイが一人で黙々と勉強していたのだ。忘れていたわけじゃないが、彼だって館山さんと同じ自分の後輩に当たる。確かにいつも東南アジアメンバーと一緒にいて楽しそうにしているが、こういうときは誘っても良かったかもしれない。申し訳なかったかな、と思いつつ、今日の出来事を聞かれたので素直に話す。すると、ほほえみながら「你开心就好(あなたが楽しければそれで良いんだよ)」と言ってくれたので、なんだか救われた気持ちになった。
いつかチャイとも遊ぶ機会があれば良いかな、と思いながらも、ジャスミンとようやく二人きりの時間を増やせるようになったので、また新たな楽しい悩みに苦しめられそうだ。