15.日语角
依然として寒さの残る4月の大連。コートをもう2枚も3枚も重ね着しなくて良くなったのは良いのだが、それでもまだ肩こりが続くほど厚着をしなくてはならない。ジャスミンは相変わらずニカブの上にコートを羽織って、目元以外は全く見えないような服装で登校している。
ジャスミンとは結局、同じ中級クラスになれた。朝は寮の食堂で一緒に朝食を食べる。その間は館山さんも一緒に食事を共にし、たまに通訳したりしつつ、3人組で一緒にいることが多くなった。午前中の授業を一緒に受けるときはもちろん隣同士の席を陣取り、半分真面目に、半分落書きやこっそり手紙交換しながら過ごし、昼食時にはまた館山さんと合流。その後、午後はジャスミンと一緒に館山さんに勉強を教えたりする毎日。正直せっかくあと半年しか無いのだから二人きりでいたいが、だからといって館山さんを一人ぼっちにするのは今の段階ではまだかわいそう。いずれ館山さんがクラスメイトたちと仲良くなって離れてくれれば、二人きりの時間ももっととれるだろう。
今日もジャスミンと一緒に授業を受けた後、館山さんと合流して総合楼で一緒に麻辣拌を一緒に食べた後、そのまま食堂で館山さんに初級中国語を教えていた。館山さんが練習問題を解き、答え合わせと解説をジャスミンと一緒にする。ただそれだけだが、ただそれだけの時間の中でどうにかジャスミンと二人でいるという感覚が欲しくて、ジャスミンが飲んでいる珍珠奶茶をこっそり飲んでみたり、ジャスミンのペンを隠してみたりと、しょうもないイタズラで気を引こうといつの間にか必死になっていた。ジャスミンはそれにいちいち反応してくれるものの、メインは館山さんのほうでしょと言わんばかりに、俺そっちのけで館山さんに中国語で解説している。結局俺はそれを日本語に翻訳しないといけないので、俺も自動的に館山さんに集中しなければならない。たしかに新入生だしなれない環境だから優しくしなければならないけど、なんだかモヤモヤしていた。
そうこうしているうちにジャスミンは午後の礼拝が有るからと食堂の隣の一室に設けられている祈祷室に行ってしまい、館山さんと二人きりになった。
「イスラム教徒って大変ですよねぇ。毎日何回も礼拝しないといけないみたいですし。進さんよく耐えられますよね」
こういう会話も本当は中国語でしてほしい。じゃないと、語学留学しに来ている意味が薄れてしまう。というのは館山さんにいつか伝えないといけないなと思いつつ、いつも心のなかに仕舞っている。
「まぁね。そういうもんなんだって理解してあげることしか出来ないからねぇ」
「そんなもんですかねぇ」
「だねぇ」
一瞬、納得行かない表情を見せた館山さんだったが、すぐに問題集に視線を移して、またせっせと問題を解いていった。
なぜ俺は今、彼女と一緒にいられる時間が少なくて、後輩の女子と二人きりになることが多いのだろう。ふとそんな言葉が頭をよぎった。本当にこのままで良いのだろうか。限り有る時間の使い方として、本当に正しいのだろうか。留学もそうだし、ジャスミンとの時間もそう。ちゃんと時間の使い方を考えないと、後悔しそう。目の前で文章を作ってああだこうだと相談してくる館山さんをないがしろにしたくないが、じゃあ自分自身をないがしろにしてはいないか。自問自答は繰り返されるが、いつも答えは一緒。
まぁ、今はこれでいいか。
俺の解説を嬉しそうに聞いてくれる館山さんには、何も言えない。別に悪いことしているわけでもないし。
「今日、日本語コーナーが有るそうなんですけど、よかったら行ってみませんか? 私初めてだし、ちゃんとコミュニケーションが取れるか心配で」
館山さんの視線は問題集上にあるものの、唐突にそう話しかけてきた。
「日本語コーナー?」
「はい。日本人が中国人と日本語で会話するイベントみたいなものですかね。2週間に一回やってるみたいで、今日がその日みたいです。よかったら一緒に行ってみません?」
「いやぁ、それは……できるだけ母国語を使いたくないんだ。せっかく留学中だしさ」
「じゃあ、進さんは中国語で話しかければ良いんじゃないですか? ネイティブの方と中国語の練習ができるって、良いと思いますよ!」
それはもうもはや日本語コーナーじゃないと思う。というツッコミはしなかったが、やんわりと拒否したのになかなか折れない館山さんに、最後は丸め込まれる形で承諾した。
その日の夕方、正門の外側のカフェで日本人と中国人が集まり、店内は日本語で溢れている。こんな中で中国語を話そうとするような場違いでKYな人間ではないというか、ただ単に空気に飲まれて周りに合わせることしか出来ない自分は、やはり日本人なのだな、と強く再認識した。
下手でも一生懸命に日本語を話してくる中国人は、みんな日本語専攻の学生。館山さんは全く臆すること無く日本語で受け答えしていき、どんどん連絡先を交換して友だちを増やしていった。その光景は嬉しくもあり寂しくもあった。これでやっと館山さんに友だちができ、ジャスミンと離れてくれるだろうと思うと、二人きりの時間を想像して安堵感がこみ上げてきた。それと同時に、こんなことを思ってしまうなんて、俺はなんて器の狭い男なんだとも思った。
ミンジュンだってそうしてくれたように、俺は館山さんに安心して留学生活を送れるようにサポートしなきゃいけない。それは分かっている。でも、ジャスミンとの時間は限られているから、そっちに時間を使いたい。ジャスミンだって、イリーナからそうしてもらったように館山さんのお世話をしたいのだろう。優しいけど、もっと俺にも時間を使ってほしい。ジャスミンへの独占欲は募っていくばかりだった。
日本語コーナーで中国語を使う勇気が出なかった俺は、諦めて日本語で中国人と会話した。名前の由来、出身地、好きな食べ物、好きな映画、好きなスポーツ……他愛もない自己紹介のオンパレード。別につまらないわけじゃない。でも、もう良いかなって思った。俺には必要がない場所だった。館山さんのように、日本以外に日本語ができる友だちが欲しいと思っている人たちにはちょうど良い出会いの場だ。
こっちに来てから学んだ大きなことは、異文化コミュニケーションというのは、“単に無関心であるか、もしくは本当の意味でその文化を理解して、その上で自分と他者は違うのだと、きちんと自分の中で整理できるかどうか”が大事だということだ。ジャスミンのようなイスラム教徒、館山さんのような留学先でも母国語を使いたい人、ここにいる日本語を勉強したい中国人学生、ミンジュンやあのポルトガル人のような同性愛者、みんなそれぞれに背景があって、完全に理解することは難しいだろう。でも、少しでも相手の立場に立つか、完全に無関心でいるかしていないと共存は難しい。そういうことを、大連での生活の中で学べたのは大きかったと思う。ただ単に中国語ができるようになっただけじゃない、本来の留学の意味が少しずつ理解でき始めた頃だった。
日本語コーナーが終わって一緒に寮に戻る俺と館山さん。嬉しそうな表情で色々な話ができたことを報告してくれる館山さんの様子を見ると、微笑ましい気持ちになった。ジャスミンともに住んでいる部屋まで送ってあげると、ドア越しにベッドの上で本を読むジャスミンの姿が見えた。俺と一緒にプチ同棲していた頃、部屋の中ではラフな格好だったが、今は部屋の中でも目元しか見えていないニカブ姿。それでもそのエキゾチックな目を見てしまうと胸の高鳴りは増すばかりで、目線だけでも何か通じ合えた気がして嬉しい気持ちになる。ちらっと俺の方を見てアイコンタクトしてきたのでさり気なくウインクで返すと、向こうもウインクで返してくれて、そのまま本に目線を移した。半日一緒にいなかったからもっと反応してくれても良いのに、とも思ったが、まぁそんな日もあるだろうとあまり気にすることはなかった。