12.旅顺
起きると真っ暗な真夜中だった。頭がズキズキするし、なんだかスッキリしないのでシャワーでも浴びようかと1階のシャワールームへ向かった。こんな真っ暗で真夜中なのに、微かに水がタイルに叩きつけられている音がする。まぁこの時期だし、俺と同じく飲みすぎてすっきりしたいと思ってシャワーするやつもいるだろうと思ったので意に反さなかったのだが、そこで見てしまった想像以上の光景に、思わず固まってしまった。
脱衣場を隔ててその先にあるシャワールームにいたのは、ゲイのポルトガル人。やばい、襲われてしまうかもしれないと思い帰ろうとしたときに仕切りから見えたのは、ミンジュンだった。
二人は寄り添い合い、互いに服を脱いでいる状態で密着し、舌を絡めている。いつかのイリーナみたいに、俺も同じ気持ちでこっそりその場を後にし、廊下の足音さえ消すようにそろそろと部屋に戻った。電気を付けるとやはりそこにミンジュンはいない。
まさか襲われたのか? とも思ったが、一瞬よぎったミンジュンのトロンとした目元が、そうではないことを物語っているように思えた。彼もまた、そういう人間だったのだろう。
思えばあのポルトガル人のことを話したときも妙だった。ゲイだからって別に特別逃げなきゃいけないわけがないし、この前だって俺とすれ違ったときに興味なさそうにしていた。ミンジュンの発言だってそうだ。俺に告白しろって言ってきたときは、多分『お前は気軽に告白できるだろう』みたいなニュアンスのことを言っていたような気がするし、イリーナやジャスミンとあれだけ一緒にいても口説こうとする素振りすらなかった。
俺の中で色々なものがつながり始め、その日は眠れなかった。その間、外が明るくなるまでミンジュンは部屋に帰ってこなかった。
その日は午前中、一緒に荷造りした。お互いにここを離れる最後の一日だ。ミンジュンは夕方の便で香港に飛ぶらしく、荷物も少しずつ片付けていたため、ほとんど俺の荷造りを手伝ってくれているようなものだった。
俺は昨晩のあのことを聞こうか迷った。別に触れなくても良いことだけど、個人的にはすごく気になるし、でもプライバシーに関わることだからそっとしておいたほうが良いかもしれないし。それで結局、最後まで聞けないまま、俺らはお別れの時間となった。
イリーナはもうしばらく寮に残っているようで、俺ら寮を出る3人を見送りに来てくれた。ジャスミンは俺と一緒にこの後タクシーで旅順口区まで行き、その足で入寮手続きをする予定だ。
4人でいられる最後のひとときもあっという間に過ぎていき、まずはミンジュンが正門前からタクシーに乗り込んだ。するとそこに正門前で隠れていたのかあのポルトガル人が出てきて同じタクシーに乗り込んだ。なるほど、一緒に旅行に行く友達って、あのポルトガル人のことだったのか。イリーナとジャスミンは口を抑えて驚いているが、俺は納得感が増して良いリアクションを取れなかった。ミンジュンは車内でポルトガル人と手をつなぎ、そのまま俺らに手を振って、空港までの道のりをスタートしていった。俺はその姿に親指を立て、心のなかでグッドラックとつぶやいた。
その後今度はジャスミンと俺がここを離れる番になったのだが、さっきの一コマのことで話題が尽きず、女子二人の会話が止まらない。いつから気付いていたんだとか、そもそもどういう関係性なのかとか色々聞かれたが、俺だって知ったばかりだし、そういうことは個人の自由だからとなあなあにして流した。なにはともあれ幸せな二人に変わりはないのだから、そっとしておけて良かったのではないかと思っている。
その後、ジャスミンはイリーナとハグし、その勢いで俺にもハグしてくれ、金髪が頬に触れたときに一瞬だけイリーナを好きになりかけたが、すぐさまジャスミンが目に入って正気を取り戻した。俺とイリーナは運転手に大連外国語大学旅順校区に行くよう指示し、イリーナに手を振った。
大連外国語学院は大連外国語大学に名称変更し、その影響で旅順校区に漢学院を移し、大連市内のあのキャンパスを閉鎖することになったそうだ。ミンジュンやイリーナとのお別れとともに、半年間を過ごしたあのキャンパスともお別れするということに、あまり実感がわかなかった。そしてもう半年で今度はジャスミンともお別れしないといけない。今当たり前のように隣りにいてくれているジャスミンとのお別れまでに、しっかりと楽しめるだけ楽しんでおかなければならない。
タクシーで約1時間の道のり。星海公園の横を抜け、海沿いをひたすら進んでいく。くねくねした山道を更に進んでいくと、また海沿いの道へ。シンプルに山と海と道路しか無い景色をまたひたすら真っすぐに進んでいく。大連市内と比べるとだいぶ田舎に来てしまったようだ。
大連市内の古い町並みや古い校舎のイメージとは違って、だだっ広い土地にだだっ広いキャンパスが広がっている。校門前の道路は幅が広く、日本でなら軽く片側3車線ずつあるくらい広く感じる。周りに店はまばらで、遊ぶようなところはほとんどなさそう。とんでもない田舎に来てしまったとジャスミンは今にも口をあんぐり開きそうな様子。
さっそく校門近くの警備員に地図をもらい、それを頼りに漢学院を探した。校門から真っすぐ進み、二手に分かれている長い校舎のうち左側の中にあるという。あの古い校舎から急にこんなに大きくて長い校舎に入り、まだ新しそうな設備を見ていると、タイムスリップしてきてしまったのではないかと錯覚してしまいそうになる。
事務所はすぐに見つかった。別の留学生たちも手続きに来ていたようで、中には見知らぬ顔もちらほら。半年前、ミンジュンやイリーナからは俺らがこういう風に見えていたんだなと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。言語的に困っている留学生には世話担当の学生がついており、あの王さんもいた。今回は日本人が多いのか日本語がよく聞こえてくる。懐かしい気持ちになるが、ここはやはり例の作戦で、できるだけ日本人ではない別の国から来た留学生を演じ、できるだけ日本人とは関わらないようにした。ここで油断したらせっかく話せるようになった語学力を衰えさせてしまうかもしれないから。
俺とジャスミンの番になり、入寮手続きを始めた。
「你们已有自己的室友吗?(あなたたちは自分のルームメイトがすでにいるの?)」
事務のおばさんは疲れたから早くしてよ、という感じで気だるげにそう聞いてきた。俺はジャスミンと見合って、二人で頷いた。
「我们俩一起住(私達二人一緒に住む)」
「啊?(はぁ?)」
まるで喧嘩でもしているように表情を渋らせる事務のおばさん。そんなに嫌そうにしなくてもいいのに。少し気分が悪い。
「不行,基本上男女不能一起住。如果你们分手怎么办呢,太麻烦了(だめ。基本的に男女は一緒に住めないの。あんたたちが別れたらどうするのよ、めんどくさいでしょ)」
早口でまくしたてるおばさん。
「我们不会分手!(別れないよ!)」
ジャスミンと俺の声が偶然見事にハモって、お互いに見合って笑い合った。事務のおばさんは大きなため息を吐いて首を振った。
「不行不行,我帮你们找找新生(だめだめ、私があんたたちのために新入生を探してあげよう)」
結局、それぞれに新入生が付くことに。ジャスミンの新しいルームメイトはなんと日本人に。そして俺の新しいルームメイトは、タイ人。二人とも新学期が始まるギリギリに到着するらしく、それまではそれぞれが一人暮らしするように、とのことだった。二人で暮らすって言ったのにそれぞれが一人暮らしするわけ無いというのは明白で、それを分かって事務のおばさんができる限りの工夫をしてくれたというわけだ。
ジャスミンとの同棲生活は新入生がこちらに来るまで。また時間制限がある、期間限定のものだ。どうしてこうもうまく行かないのかと自分の運命を呪ったが、ジャスミンは素直に俺と同棲生活ができると喜んでくれている。まぁ、俺も楽しむことにしよう。せっかくだし。




