10.星海广场
これが恋愛感情じゃなくて何なのか。あれからひたすら勉強しているのは、期末試験用の復習ではなくアラビア語。どうせならばアラビア語で伝えたいという気持ちがありつつ、手前味噌なアラビア語で伝わらなかったり変な意味になってしまったら意味がない。となると、やはり中国語で伝えるしか無いか。でもどうせなら凝った表現を使ってみたほうが良いのかもしれないし、逆にシンプルに真っ直ぐな方が良いのかもしれない。ヨルダンの女性はロマンチックな言葉を多用するらしいとネットで情報を得たが、それがジャスミンにも当てはまるのかどうかもわからない。ガンジガラメでため息しか出ない。
「阿进,你最近怎么了?(進、最近どうした?)」
ミンジュンとのいつもの朝勉強時間に、そっと伺ってきた。
「Jasmine吧?(ジャスミンでしょ?)」
「你怎么知道呢?(なんで知ってるの?)」
「我怎么会不知道呢?(知らないわけ無いでしょ?)」
流石に一緒に住んでいて行動も共にしていたら隠しきれないか。俺は無言のままコクリとうなづくしかなかった。
「那我给你最后一个作业(君に最後の宿題をやろう)」
「什么(何)」
「向她表白(告白だよ)」
「果然」
「你会的,兄弟!(兄弟、お前ならできる!)……比我们更简单嘛」
最後の方はボソボソ言っていたのでよく聞き取れなかったが、とにかく背中は押してくれるようだ。元々伝えないといけないと思っていたので背中を押してくれるのは嬉しいが、いつも一緒にいた4人組だから、どこか気恥ずかしさもある。とはいえミンジュンもこの学期で最後。帰国前に良い結果を報告しなきゃ。決意を固めた俺は、早速ミンジュンと作戦を練った。
期末試験当日。試験勉強から開放される日に、4人でいつもの食堂で昼食をとった後、何食わぬ顔で一旦解散し、イリーナに見つからないようにジャスミンにメッセージを送った。
『考试考得辛苦了! 今晚要不要我们一起吃晚饭? 因为民哥跟别人一起吃饭,我这么开放的今天,不想孤独得吃晚饭。怎么样?(試験お疲れ様! 今晩一緒に晩飯でもどう?ミンジュンが別の人と食べるらしくて、こんなに開放的な今日、一人ぼっちで食べたくないんだよね。どう?)』
この文章を何日も前から考え抜いて保存しておいて、さっき最終確認の後修正してから送ったことは言うまでもないだろう。考えすぎて文章が間違えているかもしれないけど、そこはご愛嬌ってことで。定番でありきたりだけど、これ以上色々考えても仕方がないので、とにかく行動あるのみ。
場所は夜景の見える公園を散歩できる距離にある日本料理屋。ヘルシーで世界的にも人気だし、大連の日本料理はレベルが高いので間違いないだろう。返事は普通にいつもどおりな感じで承諾してもらえ、内心ガッツポーズ。夕方、寮の前でジャスミンと合流し、路線バスで星海広場に向かった。
星海広場は大連でも超有名な観光スポット。アジアで最も大きい広場である。ただ、広場自体はほとんど何もないから、今日のメインはそこから少し歩いたところにある星海公園。大連の砂浜と海と夜景を見られる場所で、勝負をかける。
高級なマンションやホテルに囲まれる夕暮れ時の星海広場。その中の一つに予約しておいた日本料理屋がある。日本料理のうんちくを話しながら楽しく食事しつつ日本のことを好きになってもらえるように、そして少しでも楽しんでもらえるように、自分なりに頑張った。
そしていよいよ。お会計を済ませ、さぁ帰ろうかとしたときに、星海公園まで散歩しないかと誘ってみた。
「好啊」
いつものあのニコッとする笑顔で快く応じてくれ、まずは一安心。片道30分弱と計算していたのでそれほど近くもないのだが、逆に近くないのに応じてくれるということはよほどの散歩好きかチャンス有りかのどちらかだと思うので、後者であることを願って道案内をした。
マイナス10度の真冬の夜、外で歩いている人はほとんどいない。車だってほとんど走っていない。タクシーの運転手は暖房をつけたまま車内で寝ている。ジャスミンはそんな様子を逆に楽しんでいるようで、アジアで一番大きな広場は私のものだ! ってくるくる踊っている。だだっ広い広場に周りの高級なビル群からの灯りがかすかに照らされ、星海広場はまさに星の海の中のよう。そのど真ん中で、白鳥の湖のように一人舞台を展開しているジャスミンは、まさに物語の中のヒロインで。だからこそ、俺の物語のヒロインにしたくてたまらない。そう思うと途端に緊張感に苛まれ、星海広場から星海公園までの30分は、あっという間に過ぎていった。
凍てつく寒さの中、誰もいない星海公園に潮騒だけがこだましている。ここの海底は黒い石で成り立っているため、海はより黒味を増し、闇夜の中で水平線は消え、空と海が融合している。この海の先に、数年後には海を横切る大橋が建てられるそうで、今度来るときはこの景色も俺とジャスミンの関係も変わっていたりして。なんて妄想をふくらませる。
しばらく海を背に周囲の夜景を一緒に楽しんだ。ジャスミンは何も言わず、俺も何も言わず、ただそこにある景色を目に刻む。ほっと一息ついたところで、意を決した。
「Jasmin,我们在一起吧(ジャスミン、俺と付き合ってくれないか)」
ジャスミンは夜景を見たまま口角を上げ、そして目線を俺に移した。
「好啊,在一起吧(いいよ。付き合おう)」
瞬間、全身の力が首元や肩からすっかりと抜けた。やった。よかった。勢いのまま伝えてしまったけれど、その勢いのまま成功してしまった。悩む時間が少ない分、予想よりも遥かにすんなり受け入れてもらって拍子抜けしたくらいだ。じゃあ、ここで向き合って手をつないでその先へ――。と思ったのだが、ジャスミンは180度身体を回し、漆黒の海の方へ身体を向けた。
「但是,我只有一个条件(でも、ひとつだけ条件がある)」
「什么?(何?)」
「我们的留学期间是一样嘛,半年后,各自要回国。所以我们毕业的那天,我们分手吧。然后各自完全忘记对方。这样都可以的话,我接受你(私達の留学期間は同じだよね。半年後、帰国しなければならない。だから私達が卒業するその日、別れましょう。そしてお互いにお互いのことを完全に忘れること。それでも良いなら、私はあなたを受け入れます)」
そう言って俺の方を見る目は、相変わらずエキゾチックで真っ直ぐで吸い込まれそうになるが、暗い海のせいか輝きはなく、どこか物寂しげに映る。
つまり、期限付きのお付き合い。もちろんそんなつもりで言ったわけじゃないから、素直に喜んでいいものかどうかもわからない。やっぱりこの告白はなかったことにした方が良いのではないか。でも好きだという気持ちに変わりはない。ここからのあと数ヶ月間をどう使えば良いのだろう。
「为什么要那个条件? 因为你不喜欢我吗? 不想一直在一起吗?(なぜその条件が必要なの? 俺のこと嫌いだから? ずっと一緒にいたくないの?)」
「我也一直喜欢你。我也觉得一直一直会在一起是最好的。但是……(私もずっとあなたのことが好きだった。私もずっと一緒にいられるのが一番良いと思う。でも……)」
ビザが切れ目は縁の切れ目ってか。冗談じゃない。でも。もしもここからの半年間でジャスミンの気持ちを変えることが出来たなら。その時はまたどこかで、もっと先の未来について話せるようにすれば良いだけなのではないか。
「宝石应该放在珠宝盒里。每个宝石都有自己的珠宝盒,其他不能保护那个宝石。宝石变成宝石之前,已经决定它的珠宝盒。是这样子的(宝石は、宝石箱の中に入ってないといけないの。どの宝石にも、決まった宝石箱があって、それ以外では宝石を守れないの。その宝石箱は、宝石が宝石になる前から決まっているの。そういうことよ)」
水平線の見えない真っ暗な海の方に向き直したジャスミンの目は笑っていたが、口角は下がっていた。