72話 王の器を知る時、それは心の成長
「マスターは大丈夫でしょうか?」
シルファーは肩を竦める。
「あれはアイツが見つけなれければならねぇ事だよ。それで分からないのなら、ほっとくしかない。アイツの人生だ」
魔王城で黒煉は一人残ったマスターを思う。
「私、行ってきます」
そんな黒煉を呆れながら、だが、少し微笑ましそうにシルファーを見送った。
「マスター·····」
終焉の森を曇天が囲う。雨が降り注ぐ中、紫炎は蹲っていた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、黒煉か·····?」
あれから半日、ずっと上の空な紫炎は近くにいる黒煉にさえも気付かず、ようやくその重い頭を上に向けた。
「あれからどんぐらいたった?」
「大体半日です」
会話の中身も空っぽで、まるで紫炎の心のようであった。
別に悲しいことがあった訳でもない。ただ〝王の器〟を指摘されただけだ。だが、それでこうなっているのは、紫炎の中で修行を逃げとしている部分があったからだろう。
「·····何が正しいんだろうな」
不意に呟いた言葉は、初めて感情が乗っていた。
紫炎はいつも通りの日常を望んでいたはずなのに、勝手な事情で呼び出され、弱いからと追放されて、それでも頑張って今日まで来て、そして王の器を指摘される。
「俺は高校生だぜ? なんだよ、王って·····」
もうどうでもよかった。
別に強くなる必要なんてない。今の力さえあれば、生きるのに苦労はしない。
今、力が欲しいのはユグとシルを助けるためだ。それは別に紫炎には関係の無いこと。
「ははっ、あの時死ねばこんな思いしなくても良かったのに·····」
「──ッ」
本心からだった訳では無い。雨と指摘が紫炎の心を黒いところに堕としていっただけ。
だから、言った瞬間に後悔した。
「·····なんでこんなこと言ったんだ?」
自分で自分が分からない。自分を見失った。そんな感じ。
「·····もう、分からねぇよ」
投げやりに放たれた言葉は、しかし、黒煉がそれを塞いだ。
「マスター」
雨に打たれて、体温が奪われていく体を覆い被さるように黒煉は抱きしめた。
「分かりますか? 私の温かさが」
「·····あぁ」
弱々しく、紫炎は抱きしめ返す。縋っているのだろう。何も分からなくなってしまったが為に、自分を確認するかのように。
「あの時、貴方が前を向いたからこそある〝温かさ〟です」
一つ、一つ、言い聞かせるように黒煉は述べていく。
「サミリアと戦っていた時、諦めていたら私もこの場にいませんでした。あの時だって、ゼロとかいう少年を倒していなければ大勢の方の温かさが消えていました。少年も報われなかったでしょう」
初めて〝殺し〟をした相手。それが、ゼロ。
紫炎にとっては黒い歴史でも、周りからしてみれば生きながらえられた素晴らしい記憶だ。
「〝王〟とは全ての理不尽を超えていく者です。何故ならば、後ろにいる者達を不安にさせない為、王は立ち向かわなければなりません」
「なら、俺にはきっと無理だ·····」
多分、途中で折れてしまう。それこそ、今のように、下を向いて、倒れてしまうかもしれない。
だが、黒煉の回答は違った。
「それでいいんです」
「え?」
無理な所の何がいけないのだろうか? 後ろにいる者達を不安にさせてしまう王の何がいいのだろうか。
「だから、私たち、家臣がいるんですよ」
その言葉は紫炎から〝孤独〟を奪い去るには充分過ぎる言葉だった。
「最初から何事も出来る者なんて誰もいません。最初から理不尽に立ち向かえる人なんてこの世にはいません。ですから、王は人と繋がりを持ち、その力で共に乗り越えていくのです」
紫炎は今まで数多くの人達との繋がりを持った。
「その絆があれば、貴方はどんな相手にだって挑めます。そう、私がいれば貴方は最強です。道を誤ったのなら、私が治します。だからどうか、貴方の傍には私がいるのだと、私たちがいるのだということを理解してください」
懇願するかのように言う黒煉に、しばらく紫炎は放心した。
紫炎は何かを掴んだような気がした。
「··········王の器って」
無意識に浮かんだ意味を噛み締めて、紫炎は立ち上がり、そして黒煉を思いっきり抱きしめた。
「ます、たー?」
現状が分からない黒煉は少し困惑気味に、紫炎の方を見る。
「ありがとう、お前のお陰だ」
紫炎の顔には迷いなんて、なかった。
「俺一人じゃ、この答えにはたどり着けなかった。黒煉、お前が居なきゃ、俺はここにはいないよ」
理不尽に呼び出され、追放されて、ここまで生きてきたが、何も苦しかっただけじゃない。確かな幸福も紫炎にはあった。
その最たる例が黒煉だ。
「だから、ありがとう」
「·····私もマスターのお役に立てて嬉しいです。愛しの·····」
「え?」
思わず言いかけた『愛しのマスター』を止めて、黒煉は紫炎の手を握る。
「そんな事より、行きましょう。時間は無いのですから」
「あぁ、そうだな」
そして二人は手を繋ぎ、魔王城へ向かった。
曇天の空はいつしか晴れ渡り、紫炎の心情を写しているかのようだった。




