29話 リベンジ
地下牢、というか高級宿泊施設の改善アンケートに、「換気」と記入してから、マルコは出所した。
開放感に後押しされるように空を見上げれば、小さな雲がのびのびと流れていた。
快晴だ。
「やっぱ、外は違うな」
そうつぶやいて、大きく息を吸いこむ。
待遇はよかったのだろうが、やはり元地下牢は元地下牢、息苦しさまでは改善しきれていなかった。
――さっそくリベンジといこう。
前回は名刺のせいで失敗したが、「スライム使いのフレーチェを鍛える」という依頼そのものが失敗に終わったわけではない。
意気込んで白い街並みを歩くマルコの服装は、いつもの冒険者風である。
白黒ボーダーな囚人服はすでに着替えている。
いっしょに依頼を受けたはずの、シルフィの姿はここにはなかった。
次期聖女のスケジュールはみっちり詰まっているらしい。
「夕方までには、全部終わるはずですけどね」
シルフィは肩を落としてそういっていたが、本当に終わるのかはわからない。
……そもそも、スライム使いの育成に、シルフィは関係ないんじゃないか?
ふっと浮かんだその疑問は、フレーチェの店が見えてきたところで、頭の片隅に追いやられた。
マルコがスライムエステ『スリードロップス』の扉を開くと、
「いらっしゃ、ぁっ!?」
紫髪の人形のような、かわいらしい店主が、猫なで声をだしてから動きをとめた。
瞬時に、紫水晶の瞳がつりあがる。
「また来やがったですか!」
「ま、待て! これを見ろ!」
いきり立つフレーチェを押しとどめようと、マルコは手を前にだした。
その手につかまれた、青くきらめく透明な物体を見て、フレーチェは目を見開いた。
「そ、それは……まさか!?」
「そう、スライムだ!」
名刺がだめなら、実物で勝負すればいいのだ。
そう考えたマルコは、スライムを誇示するように見せつける。
蒼穹を詰め込んだ宝石箱のごとき、気品あふれる姿を、フレーチェは食い入るように見つめた。
しばらくして、フレーチェは受付カウンターに手をつき、がっくりとうなだれる。
「くぅ、……負けた」
同じスライム使いである。
彼女がなにに衝撃を受けたのか、マルコにはよくわかる。
色、形状といったひとつひとつの要素から、力量の差を感じとったのである。
勝った。と誇ることなく、マルコは歩みよって、
「さあ、手に取るがいい」
えらそうに言った。
第一印象が最悪だったとはいえ、最初が肝心なことに変わりはない。
フレーチェは十七歳。マルコよりふたつ年上である。
師の威厳を確保するためには、少しばかり背伸びも必要だろう。
マルコの差しだしたスライムに、陶磁器を思わせる白い手がわなわなと伸びた。
「クッ、……この色つや、手触り……なにが望みですか?」
「まずは客として、この店の力を見させてもらおうか」
スライム使いでありながら、聖都で店を構えるフレーチェ。
彼女がスライムを使ってどんな商売をしているのか、興味があったのだ。
しばし見つめ合うと、フレーチェは作り物のように冷たい表情で、
「当店は女性専用となっております」
「……出直してきます」
マルコは二度目の撤退を強いられた。
宿に戻ると、帝國の皇女ヘルミナが見るからに高価そうな反物を検分していた。
美しいものに目がない皇女様ではあるが、そのわりに退屈そうな、冴えない表情を浮かべている。
マルコがそっと協力を要請してみると、ヘルミナは眉をひそめた。
「わたくしもシルフィと同じ、いえ、この地では、それ以上に素性を隠さなければいけない立場ですのよ」
そう返してから、ヘルミナは手にした朱色の反物に視線を落とす。
テーブルの上に並んでいる色とりどりの見事な反物は、宿の従業員に買いに行かせたものである。
従業員を使いにだしたのは、ヘルミナたちが街中を出歩くわけにはいかないからであった。
一行は聖騎士たちに顔を知られている。
街中を聖騎士がうろついている今、外を出歩いてばったり再会したら目も当てられない。
もし帝國の皇女が捕まりでもしたら、さぞや面倒くさいことになるであろう。
もっとも、マルコが同行していれば捕まる心配もないのだろうが、だからといって、姿をさらして揉め事を起こすこともない。
騒ぎを起こすのが得意な皇女様は、当然のごとく、騒ぎを起こさないすべもわきまえていた。
ヘルミナは外出しない。となると、その護衛のロロも当然のように却下。
もとよりマルコの頭の中には、ロロに女性らしい頼み事をするなんて発想は、かけらも存在していない。
ということは。
マルコの視線は、従魔と遊んでいる魔物使いの少女、ルカに向けられた。