17話 聖女二人
シルフィと母のカロッツァ、侍女メアリー、皇女ヘルミナとその護衛ロロ。
計五名は、昼下がりの広大な庭園を歩いていた。
聖宮殿の前庭は、左右対称の幾何学的な庭園だった。
初夏の日差しに緑が映える。花よりも緑が主役の、植木や芝を楽しむ庭。
足元を流れる水路は、庭の中央をまっすぐのびていて、そのさきには庭園と同様、左右対称の白い宮殿が待っている。
白いといっても、石灰を塗り込んだ街中の白さとは、少々おもむきが異なる。
磨きあげられた大理石の、艶やかな白さだった。
前を歩き案内するのは、朝食後に連絡に訪れ、午後二時きっかりに迎えに来た、穏やかそうな女性神官だ。
男子禁制の場であるため、マルコ、ジュリアス、オキアは留守番。
おそれ多いといって、ルカも彼らと行動をともにしている。
「すてきなお庭ですわね」
贅を尽くした庭には慣れているはずのヘルミナが、感嘆してみせた。
広い敷地があれば、なにかしら実用に供してしまう帝都では見られない、空間を贅沢に使った様式の庭園だった。
「前庭は多くの人の目にとまりますので。裏庭はあまり手入れされていないんですよ」
神官は上品に笑い、おどけるように事情をもらした。
彼女たちは聖宮殿のなかにはいった。
柱どころか壁や床、あらゆるところに模様がきざまれた廊下を進み、奥まった一室についた。
「グラータ様。シルフィ様をお連れしました」
案内をしてくれた神官は、扉の向こうにそう声をかけた。
静かに扉をあける。
入口から離れた、静かな応接間。
グラータとハイデマリーがシルフィたちを待っていた。
革張りのソファーに座っていたグラータは、紅茶のカップをけたたましく置いて立ち上がる。
「シルフィちゃん、よく来たわね」
「お久しぶりです。グラータ様」
シルフィが十二歳の時に聖都を訪れて以来、実に三年ぶりの再会となる。
向かい合うと、シルフィの目線はグラータと同じ高さにまで成長していた。
「……大きくなったわね」
グラータは感慨深そうにつぶやいて微笑むと、ソファーを手で示した。
みずからも優雅なしぐさで腰をおろす。
その場にいた人は素直に、グラータがシルフィの成長を喜んでいると受けとった。
ただひとり、グラータの背後に立つ、ハイデマリーを除いて。
ハイデマリーは見逃さなかった。
グラータの視線が一瞬、平均よりちょっとばかし発育のいい、シルフィの胸元で止まったのを。
見逃さなかったのは、聖女様が清貧な己の胸に悩んでいることを知っているからだ。
「気にすることはないだろう」と言っても、「マリりんにはわからない悩みでしょーよ」と返されるだけに、ハイデマリーにはどうしようもない。
今はただ、変なことは口走るな、と祈るばかりである。
祈りが通じたのか、グラータは聖女らしい立ち振る舞いを崩すことなく、帝國からやってきた一行の報告に耳を傾けている。
帝都に張った結界の崩壊。シルフィの石化。治療に世界樹の力が必要だったこと。
聞き終えてから、グラータは大きく息を吐いた。
「……それはまた、とんでもない状況だったのね」
聖都側にも情報のツテはいくつかある。
帝國神殿からの報告も、あるにはあった。
しかし、それらはすべて不明瞭な伝聞にすぎなかった。
錯綜する情報を整理する意味でも、当事者たちからの生の情報はありがたかった。
腹立たしいことだが、とハイデマリーは前置きして言う。
「シルフィネーゼの情報を隠したのは、正しい判断だったと思うぞ」
「そうね。次期聖女の座が空くのを望む人もいるでしょう。……どこにでもそういう人はいるもんよ」
馬鹿につける薬はない。そういわんばかりに、グラータは肩をすくめた。
積極的に害意を向ける必要はない。
ほんの少し邪魔をするだけで、シルフィはいなくなる。
そうと知れば、目の色を変える者もいただろう。
個人的なゴニョゴニョでさっさと引退したがっているグラータとしては、「聖女なんて、そんないいポジションじゃないのよ」と言いたいところである。
もっとも、これはグラータの方が例外だろう。
「親馬鹿のオムネスが荒れ狂うわけよね」
グラータはくっくっと笑う。
夫への正当な評価を聞いて、カロッツァは神妙な顔をした。
すっきりした顔だった。
「グラータ様のお許しなく、聖域へ足を踏み入れたのはすべて私に責任があります。とがは私に」
カロッツァはきまじめね、とグラータは含み笑いを苦笑に変えた。
「許可はあったわ。
あなたたちはシルフィちゃんの治療のため聖都に来た。
私は聖域への立ち入り許可を与えていた。
ちょっと立て込んでて、伝達が行き渡らなかった人が多かったみたいね。
そういうことよね、サブリナさん」
いまだ変装中のヘルミナも苦笑を返す。
帝國の皇女という正体は知られていたようだ。
「ご厚情、感謝いたしますわ」
「帝都でなにが起きたか。くわしく聞けてよかったわ」
そういって、グラータはわずらわしげに眉根を寄せる。
「それにしても、私の留守中に剣聖まで送り込んでくるとはねぇ……」
聖女様の悩みは尽きない。
責任とともに、年齢とともに悩みごとは増える一方である。
ヴィスコンテ女王が即位してから、年々聖国と神殿の間にはくさびが入り、今やその亀裂は他国にも覆い隠せないものになろうとしている。
憂いの表情を見せるグラータ。
そのまなじりには、わずかではあるがしずくが浮かんでいた。
犯人は昼下がりのぽかぽか陽気である。
ハイデマリーは見逃さなかった。
グラータは真面目な話の最中に、欠伸をこらえたのであった。
よくぞこらえた! と、ハイデマリーは内心で喝采した。




