13話 治療
名も知らない赤い花に蝶がとまっていた。
黒縁にエメラルドグリーンの鮮やかな羽が、ゆっくり動いている。
羽を休める蝶をぼ~っと眺めつつ、ルカはため息といっしょに疲れを吐きだした。
いったん体を休めてしまうと、ふたたび動きだすのは難しそうだった。
やるべきことはすべてやった、はずだ。
今はカロッツァが石像の頬に手を当てて、魔力の流れをたしかめている。
「ほんとうにこれで治るんだよね……」
そういって、ルカは眉を八の字にした。
「……生き埋めになってるようにしか見えねえよなぁ。石だけどさ」
オキアは見たままを口にする。正直に。
地面に膝をつくカロッツァの前で、石像の首が地面から生えていた。
シルフィの治療法。
それは「世界樹の根元を掘って土に埋める」という、ひどく乱暴なものであった。
「こんな方法でほんとにいいのかな」
「ひどい絵面だよな」
ひそひそと話しながら、ルカとオキアは、馬車のなかで何度となく見られた光景を思い出していた。
「『世界樹の力を利用すれば、魔力変質症も治療できる』そうですわ」
がたがた暴れる馬車のなかで、ヘルミナが治療法の書かれたメモを読みあげた。
世界樹はすべての生命を慈しみ、よりよくあるように、働きかける性質をもっているそうだ。
「魔力変質症は不治の病と聞きますが……」
沈んだ顔つきのメアリーに、ヘルミナは肩をすくめてみせた。
「信じるしかありませんわね。少なくとも『理屈の上では納得できる』と宮廷魔導師も言っていましたわ。可能か不可能かはともかくとして」
魔力変質症とは、魔力の属性が塗りかえられてしまう病である。
世界樹の特性を利用し、生まれつき適性が高かったはずの属性へ、ふたたび塗りかえる。
理屈は単純だが、世界樹がなければできない方法だった。
「石化属性の魔力を持つ人間、という前例もなければ、魔力変質症の治療に成功した、という前例もありませんけれど……」
いつも堂々としているヘルミナも、歯切れが悪かったものだ。
「大丈夫さ、きっと。……だから、おまえはうろうろすんなよ。うっとうしい」
「……」
常なら痛烈な罵声を返したであろうジュリアスは、天を仰いだり、うつむいたり、祈ったり、顔を押さえたりしながら、行ったり来たりしている。
オキアの言葉は耳に入っていないもようである。
そのとき、
「う、ううっ……」
カロッツァが嗚咽をこらえるような、くぐもった声をもらした。
その頬からポタリと大粒の涙が落ち、
「……ま、魔力が動きだしました。これで……」
石像となってから途絶えていたシルフィの魔力の流れが、ゆっくりと動きだしていた。
「石化属性の魔力は人の体を流れないんだよね!?」
「ってことは――」
「……!?」
ルカとオキアが、ジュリアスが、目を輝かせてヘルミナを見た。
「属性が変化しはじめた証拠ですわ!」
ヘルミナは手にしていたメモをくしゃりと握りつぶして、
「掘り返しましょう! もう、聖属性の魔力を循環させていくだけで大丈夫ですわよ!!」
その声に驚いたのか、蝶が飛んでいった。
ヘルミナの勝利宣言から一拍おいて、オキアが叫んだ。
「よっしゃああぁぁぁ!」
その手が、地面に突き刺していたシャベルを引っこ抜いた。
「さあ、掘るぞっ!」
「掘るぞ、じゃない! 少しは頭を使え! 貴様の頭はウジがわいているのか!!」
ジュリアスはオキアを罵倒しながら、羽交い締めにした。
「オキア君、落ち着いて! シルフィが怪我しちゃうよ!」
目の端を指でぬぐい、笑顔のルカがシャベルを奪いとった。
流れるような連携である。
そうこうしてるあいだに、メアリーはとっくに素手で土を掘り返していた。
いちど掘った、やわらかい土だけあって、すさまじい勢いだ。
メイドさんの高速手掘りによって、すぐにシルフィは掘り返された。
「シルフィ。もう少しの辛抱ですからね」
そう呼びかけて、カロッツァは娘に魔力を注ぎつづける。
手に伝わる冷たい石の感触から、ほのかに熱を感じるようになったとき。
枯れ枝を踏む音がした。




