12話 世界樹
「なっ!?」
なぜ落ちない――
シャルムートの触覚と視覚が衝突する。
ロロの右腕はたしかに切り落としたはずだった。
だが、その右腕が、しっかり剣を握っている。
ロロは折れた剣を、力強く両手で振るう。
失われた剣身のかわりに、闘気の剣が、横一文字に金の軌跡を描く。
至近の不意打ちをかわしきれず、シャルムートの左腕が宙を舞った。
一瞬の躊躇もなく、シャルムートは結果に対応した。
右手一本で、手品のように聖剣を鞘におさめ、空中の左腕をつかむ。
「くっ、不死者でもあるまいに!」
聞いているロロが、全力で同意してしまいそうな捨て台詞を残し、シャルムートは幻のように森のなかに消えた。
その場には、荒い息づかいだけが残された。
「ふ、くくっ……信じらんねえよな。オレもだよ……」
ロロは斬られたはずの右腕を見やった。
おそらく切断面が綺麗だったからだろう。
腕が落ちるより早く、つながった。
回復魔法の速度が上回ったのだ。魔法じゃなくスライムだが。
シャルムートはロロの腕を強引に斬り飛ばすべきだった。
そうしなかったのは最後まで余裕があったからで――退いてくれたのも、腕がくっついたのも、運がよかっただけのことだ。
どっと疲労が押し寄せてくる。
ロロは膝をつきそうになるのをこらえた。
見栄だ。
この様子では、マルコに観察されていても、なんら不思議はない。
くずおれそうな膝を、左手で、がしっとつかんだ。
膝で笑うくらいなら、と、口を歪めて笑ってみせる。
「へ、へへ……。あいつが来てりゃ、なんとかすんだろ……」
先に行った同行者を案じながら、視線は右手にぶら下げた、折れた剣に。
「……またかよ」
最近、剣の消耗がいちじるしかった。
それでも、剣聖の腕を切り落とす感触と引き替えなら、悪くはない。
息をととのえようと、背を木にあずけ、瞳を閉じる。
静けさを取り戻した森のなか、冷気をはらんだ風がロロの頬をなでた。
千年の歴史をきざむ聖都テテウ。
世界樹の樹齢は、それをはるかに上回る。
その枝葉から根にいたるまで、すべてが貴重な魔道具や魔法薬の素材となるだけに、多くの人が世界樹を求め、奪い合ってきた。
血を流したのは人間だけではない。
強引な収奪により、強靱な生命力を誇る世界樹が危機に瀕したのも、一度や二度ではなかったのだ。
この二百年、世界樹を中心とする聖域はメセ・ルクト聖教、いわゆる神殿によって厳重に管理され、静謐をたもってきた。
わずか二百年ていどでしかないのは、メセ・ルクト聖教が聖都の自治権を得て、世界樹を管理するだけの権威と権力を獲得したのがその頃だからである。
当時、イスガルド大陸では、永く続いた人類と魔物の覇権争いに、終止符が打たれようとしていた。
人類を勝利に導いたのは十英雄。
そのひとりが、聖女アースと呼ばれる、メセ・ルクト聖教の神官、アセリア・ノーマッドであった。
メセ・ルクト聖教は、それまで教皇を頂点としていた組織の改革を断行し、聖女アースをトップに据えた。
この思い切った決断が、ほかの宗教との分水嶺となる。
アセリア・ノーマッドのもと、メセ・ルクト聖教は急速に勢力を拡大し、神殿と呼ばれるようになっていく。
以来二百年、神殿は世界樹を保護しつづけてきた。
その静謐を破ろうとする不届き者のひとり。
カロッツァ・ノーマッドのかすれた声に希望が射し込んだ。
「この匂い。どうやら聖域に入ったようです」
あたりに立ちこめる樹脂の匂いが、甘いものへと変わっていた。
目に映る、鬱蒼とした森の景色はそのまま、匂いだけが花畑に迷い込んだような、濃厚な蜜を含んでくる。
聖域に足を踏み入れたことのあるカロッツァは、その特有の匂いを覚えていた。
「いよいよ治療にうつれますわね。計算違いもありましたけれど……」
そういって、ヘルミナが苦笑する。
苦いものではあるが、ようやく笑みがこぼれた。
声も、疲れ切った足も軽くなる。
計算違いはふたつあった。
ひとつ、女王の手が聖域にまで及んでいたこと。
ふたつ、マルコが合流したこと。
マルコが間に合っただけで、十分おつりがくる。
もともと、聖域への不法侵入は、分が悪い賭けではなかったはずなのだ。
仮に捕まったとしても、シルフィを救うために動いている以上、最終的には神殿も協力せざるをえないのだから。
もっとも、人目に触れるほど動きは遅くなる。
共犯者が増えてしまうのも避けられない。
だからこそ、こっそり動いていたのだが、
「危うく裏目に出るところでした。まさかここまで聖国との仲がこじれているとは……」
と、カロッツァは小さく首を振った。
メアリーが、憤懣やるかたない、といった調子で目をいからせる。
「聖国神殿がふがいないのが悪いのです! 神殿の自治領たる聖地で、あのような振る舞いを許すとは、なんたることでしょう!」
「うふふ。わたくしたちの振る舞いも、許してもらうとしましょうか」
ヘルミナが余裕を取り戻している一方で、深刻な顔のままなのがジュリアスだ。
「ロロ様は大丈夫だろうか……」
「マルコのほうなら大丈夫だって、断言できるんだけどな……」
オキアは見えるはずもない背後を、ちらりと振り返った。
「マルコ君の心配はしないんだ……。まあ、気持ちはわからないでもないけど」
心配する必要なさそうだもんね。
とルカが、ふたりになのかマルコになのか、あきれていると、鬱々とした森が不意に途切れた。
周囲の木々がひざまずくように、視界が開けていた。
ひだまりの中央に鎮座する巨木を見て、ルカは感嘆をもらす。
「うわぁ……。これが世界樹……」
太い幹だ。小さな宿ならすっぽり収まってしまうだろう。
見上げると、どこまでも伸びている。
不思議と年月を感じさせない、みずみずしい巨木だった。
まるで、雪から頭をのぞかせる新芽のような、生命の脈動に満ちている。
ひんやりとしていた風も、こころなしかぬくんで感じられる。
このまま倒れ込んで、昼寝に移行したらさぞ気持ちいいだろう。
そんな場所だった。
「さあ、早速、治療にとりかかりますわよ!」
感動すべき光景を一顧だにせず、ヘルミナは魔法の袋から大きなシャベルを取り出した。
世界樹に祝福されるがごとく、木洩れ日を受け、鈍く光るシャベルが二本。
「お任せください!」
「ああ。すぐに治るさ! そしたらみんなで聖都観光しようぜ」
ジュリアスとオキアは、シャベルを手に、世界樹を睨みつけた。




