七話 熱き友情の誓い!? 崩れた矜持
刻は深夜、帝都北区画の貴族街。
デルバイネ伯爵邸の正門付近。
スライム使いを嘲笑し、平民を見下す貴族の少年、ジュリアス・デルバイネの家に侵入しようと、マルコは機をうかがっていた。
武器は携帯していない。深夜の貴族街で武器を持ってうろついていたら、それだけで捕まってしまう。
マルコは闇に紛れて門番の会話に耳をそばだてる。
「あぁ、まだ夜は冷えるな」
「……そうか? 気が抜けすぎなんじゃね」
「……お前の方から、そこはかとなく暖かい空気が漂ってくるような気がするんだが?」
「ふっふっふ、可哀想に……。気がついてしまったか」
門番二人が駄弁っていた。
片方が懐から小さな袋を取り出す。
袋の中から出された、赤い石の埋め込まれた丸い金属片を見て、相方は唸った。
「魔道具か! 買ったのか?」
「まあな、市で見つけた。シーズンオフだから安かったぜえ。くっくっく」
ああ、暖かい、と見せつける門番B。
これが春でよかった、冬なら同僚に殺意を覚えるところだった、と門番A。
「ちっ……なんだか霧まで出てきたな」
「どうりで冷えるわけだ。俺は寒くないけど」
門番Aは同僚に殺意を覚えた。
魔道具は高価だが、冬を過ぎて値下がりしたのなら、手が届くかもしれない。
来年のためにも買っておいた方がいいだろうか。
門番Aは、魔道具がどこで売られていたのか、門番Bに聞いた。
「あ、これ最後の一個だったわ」
などというやりとりをしている門番は、マルコの存在に気がついていない。
ディアドラ理事長の家にも生活用の魔道具はたくさんあった。
どれも技術体系が大きく異なる魔都では手薄な品物だ。
いろいろ買っておいた方が便利かもな、とマルコは思った。
火を付ける魔道具、スライムで代用できる。
水を出す魔道具、スライムで代用できる。
室温を下げる魔道具、スライムで代用できる。
……俺は何を買えばいい?
疑問を抱えたまま、マルコは霧に紛れてデルバイネ家に侵入した。
この霧は人為的なモノだ。
正体はミストスライム、毒を含ませるととても恐ろしいことになる群体型スライムである。
同族にマルコが海を渡るために使ったクラウドスライムがいる。
「でっかい家だなあ」
マルコは小声で感想を漏らす。帝國の伯爵ともなると凄い豪邸だ。
気取られないよう、ゆっくりと館の中にミストスライムを薄く潜り込ませ、ジュリアスの居場所を探る。
精霊使いは風の精霊を使い、遠くの声を拾うという。
スライム使いマルコはスライムを使って遠くの様子を探れるのだ!
――いた、一階の角部屋だ。なんと天蓋付きのベッドで眠っている。
室内に潜り込んだミストスライムが集まり、大きくなって、窓の鍵を内側から音も無く開ける。
――成功、怪盗マルコはこっそりジュリアスの部屋に忍び込んだ。
ついでにミストスライムを操作して、声が外に伝わりづらいよう空気に壁を作る。
完璧だ、マルコはほくそ笑んだ。
これでジュリアスが大声を出しても誰も気づかないだろう。
眠れなかったのか眠りが浅かったのか、ジュリアスはすぐ侵入者に反応した。
「貴様! 何故ここに!?」
ベッドから跳ね起きて声を荒げるが、その声に力はない。
水色パジャマ姿では様にならない。
だが、そのパジャマが問題であった。
何故って言いたいのはこっちの方だ! なんでディアさんと同じパジャマを着てるんだ!? と愕然とするマルコ。
マルコも同じパジャマを買ってしまったのだ。
しかもジュリアスと同じ水色、衝撃のペアルックだ。
なおディアドラはクリーム色と若草色を所有している。
最近品質を高く評価され、帝都の貴族に流行しているパジャマだと知らなかったが故の小さな不幸だった。
「何故って伝言を頼まれたからだよ。シルフィネーゼ様に」
「……っ!?」
シルフィがマルコに頼んだという事実は、ジュリアスの脳を揺さぶった。
「な、なんで貴様が……、平民の貴様が……」
シルフィネーゼ様に、という言葉をジュリアスは続けられなかった。
その名を口にしただけで、マルコとシルフィが普通に会話をする仲だと認めてしまうような気がしたからだ。
「俺に聞かれても困る。シルフィネーゼ様本人に聞いてくれ。俺は使いに過ぎないんだから」
この場の責任は自分にはない、全てシルフィネーゼ・ノーマッドの計らいだと、マルコはあらかじめ責任転嫁しておく。
様付けの理由? 呼び捨てにしたらジュリアスが怒って、上手くいくものもいかなくなってしまうだろう。
「それじゃ、彼女からの伝言伝えるぞ。『私は今も変わらずにジュリアスがお兄様に負けない立派な騎士になると期待しています。敗北があなたをより成長させてくれると信じています』だとさ」
「……ああっ……」
感極まったジュリアスは膝から床に崩れ落ちた。
柔らかい絨毯に、剣術の訓練で固くなった手が埋もれる。
ジュリアスは、シルフィが自分を見てくれているとは思いもしなかったのだ。
それほど両者の立場は違う。
ジュリアスは伯爵家の三男である。そう、たかが伯爵家の三男に過ぎない。
父の後を継ぐ長兄はすでに父の秘書をしており、次兄は騎士団に入った。
ジュリアスが選んだのは次兄と同じ騎士への道。
願わくば最強最高の騎士が集う、帝國の誇り、帝國騎士団。
いずれ神殿の、大陸の頂点に立つはずのシルフィネーゼ・ノーマッドはジュリアスのような者の家庭環境や将来の夢まで知っていたのだ……。
それが皇女様からもたらされた情報だと知るよしもないマルコとジュリアスは、素直に感嘆している。
立場の差にも関わらず、ジュリアスを気に掛けていたシルフィ。
比べてジュリアスはどうだ。
ジュリアスにも遠く及ばぬ立場の平民や底辺スライム使いが、シルフィと同じ場所にいて当然といった顔をしている。
そんな連中と同じ場所で横並びに学び、競わなければならない。
その苛立ちをぶつけただけではなかったか?
ジュリアスの顔にははっきり悔恨が浮かんでいた。
マルコやオキアではなく、憧れるシルフィとの比較だから素直に恥じていた。
ちなみにジュリアスが平民を馬鹿にするのは八つ当たりでも何でもない、元からの性格である。
とはいえ、ジュリアスは反省していた。
これまでの行いでは駄目なのだ、と。
「そりゃ心配もするだろう。ジュリアスの怪我を治したのは彼女なんだから。自分が回復魔法をかけた相手が、翌日から欠席してるんだぞ」
「そ、それはっ……」
試合の後、ジュリアスに回復魔法をかけたのはシルフィだ。
その場でシルフィに礼を言ったきり、ジュリアスはその記憶に封をしていた。
スライムに負けた惨めな自分を、思い出したくなかったから。
「シルフィネーゼ様に心労をかけたのを家の人に知られたくないだろ。だからこんな夜遅くにこっそり忍び込んだんだよ」
「くっ……」
「心配を掛けただけじゃないんだよな。あれが賭け試合だったのは知ってるだろ。シルフィネーゼ様はジュリアスに賭けていたんだ」
ジュリアスは息を呑んだ。
小さな歓喜と敗者をつんざく痛みが、ジュリアスの胸を引き裂いた。
「今度の休みに大通りの『銀の小皿』っていう店で、俺と俺に賭けた人はジュリアスに賭けた人に奢って貰うことになった。俺だったら自分で全額払うよ。自分の尻ぬぐいくらい自分でしたいもんな」
「この僕が……貴様のような平民に劣るとでも……」
ジュリアスは歯噛みする。
口の中に広がるみじめな味は、試合でスライム相手に無様をさらしてからずっと味わっていたモノよりも、さらに苦く感じられた。
「まあ、俺は伝言頼まれただけだし、ジュリアスがこれからどうするかなんて関係ないけどな。シルフィネーゼ様に貸しを作れたただけ良しとするさ、くっくっくっ」
「っ!? きっ、貴様!……何を企んでいるっ!?」
ジュリアスの顔から血の気が引いた。
貴族の矜持が剥がれ落ちて、残ったのは純粋な怯え。
マルコの不格好な笑いは、ジュリアスにとってこの上なく邪悪なものに見えた。
もはやジュリアス個人の恥で済む話ではない。
「俺が彼女と接触できるのは学園の中だけだ。学園に来ないジュリアスには関係ないし、何も出来ないだろ?」
「き、貴様……」
ジュリアスの手が腰の辺りを探る。
無論そこに剣はない、無防備なパジャマ姿だ。
剣は壁に掛かっていた。
装飾のない実用的な剣が、何本も掛かっている。
ジュリアスが剣で身を立てることに邁進してきた証だ。
しかし、彼の手は剣に届かない。
マルコのようにスライムを枕にするくらいでなければ、とっさのことに対処は出来ないのだ。
「一つ、彼女への貸し借りをなしにする方法がある」
「なん……だと?」
ジュリアスは追い詰められていた。
例えるなら、故国を滅ぼそうとする悪魔に、満身創痍でありながら単身立ち向かう騎士の心境。
悪魔の甘い一言で騎士は簡単に堕落する。
ジュリアスは幼子のような表情で、マルコの提案に耳を傾ける。
「元はといえばジュリアスが発端なんだ。自分で事を丸く収めてしまえばいいだけだ」「そうすれば彼女に対する貸しは、貸しというには余りに小さなモノになるだろう」
絶え間なく押し寄せるスライムのようにズブズブと、マルコは騎士を洗脳していく。
「彼女に頼まれたのではなく、欠席した友人を俺が自発的に見舞いに来た、という形で収めればいい」
何てことはない、友達ゲットを狙っていたのだ。
実はマルコ、ジュリアスのことをさほど嫌ってはいない。
もしジュリアスが数を頼んで一人をいじめるような奴なら、シルフィの頼みであっても断っていただろう。
「くっ……」
マルコは逡巡するジュリアスにとどめを刺す。
「学園に来ればスライム使いに負けたと笑う奴もいるだろう。ジュリアスが俺を笑ったように。昔、俺を笑ってた奴らのように。そんな奴は力で黙らせればいい」
誰にも負けるつもりはない。
その自信が、マルコの言葉に悪のカリスマめいた誘因力をもたらしていた。
荒波に呑まれる木片のようなジュリアスに、マルコの誘いを拒むことはできなかった。
――この日、ジュリアス・デルバイネは貴族の誇りと引き替えに一人の友人を得た。