06話 追手
真っ暗な樹海を夜通し歩きつづけた。
とうに陽は昇り、朝露が木々の葉を飾っている。
石像の重みを背に感じながら、メアリーが声をひそめた。
「……うまく周囲の目をごまかせたのでしょうか。聖都に入っていないぶん、監視の目は手薄なはずですが……」
世界樹を、聖域を目指す以上、何の監視もないとは考えられない。
目的地に近づくほど、監視の網に引っかかる可能性はあがっていく。
それに答えるわけでもないが、やわらかな苔を踏みつぶし、先頭を歩くロロが確かめる。
「方角はこっちであってんだよな?」
カロッツァは、手にした方位磁針に目を落とし、返事をする。
「ええ。世界樹の正確な場所は把握しています。このまま進めば――」
その声が途中で途切れた。
ロロが足を止めたのだ。
「誰だっ!」
ロロの誰何。
ひんやりとした風が葉を揺らした。
木の陰から、ひとりの騎士が姿をあらわす。
揺れる葉にまぎれるような、自然な動きだった。
「……ほう。気がついたか。いい勘をしている」
鎧は身につけていない。灰色の上下に焦げ茶色のマント。腰に帯びた剣は麦色の布が巻いてある。
軽装だ。姿だけ見たら、猟師といったほうが近いだろう。
それでも、その男は騎士に見えた。
抜き身の剣を思わせる鋭い印象が、そうさせていた。
男はヘーゼルブラウンの瞳で、悠然とロロたちを観察し、マントと同じ焦げ茶色の口髭を動かした。
「誰だ、……か。剣聖シャルムートと名乗ればわかるかな」
「っ!?」
ロロが闘気をはなって威嚇した。
噛みつくような気を向けられても、男の涼しい顔は変わらない。
剣聖の名乗りがはったりではないと悟り、帝國騎士の少女は顔をしかめた。
「なんで剣聖なんてご大層な存在が、こんな森のなかに……」
帝國筆頭騎士の仕事が皇帝の護衛であるように、聖国の筆頭騎士たる剣聖は、女王の護衛についているはずだ。
聖都からはるか西、聖国の首都オレンにいるはずの剣聖が、なぜこんな場所にいるのか。
そんな疑問はどうでもよかった。
現実として、目の前には大きな壁が立ちはだかっている。
「旅人が行方不明になった、と報告を受けてね。聖都の近くでなにかあったら一大事。いや、無事に保護できそうでなによりだ」
「……そのわりに、すぐ声をかけなかったみたいじゃねーか」
こんな朝早くから森のなかを探しまわるとは、なんと勤勉な剣聖であろうか。
――少しは帝國騎士団の団長にも見習ってほしいもんだ。
そう思うロロの手は、すでに剣に掛けられている。
「なに、ちょっと自分の目を疑っていたところだ。まさか、帝國神殿のカロッツァ大神官がおられるとは。……なにか事情がおありのようだ。私が丁重に聞くとしよう」
シャルムートの視線は、戦闘態勢に入らんとするロロを素通りして、大神官に向けられる。
「……私を捕らえると?」
「ええ。怪しい人物は捕らえるように、と女王陛下から命ぜられています」
行方不明の旅人を探していた、というのはただの名目にすぎなかった。
剣聖がそんな些事で動くはずがない。
シャルムートに課せられた真の任務は、神殿の粗を探ること。
そこへ、不審な動きを見せた大神官が飛びこんできた。
「女王……陛下が」
女王の命令。
その言葉は、カロッツァの顔色を奪うには充分であった。
本来、この聖地周辺の警備は、神殿に所属する聖華隊が取りまとめている。
たとえ監視の網に引っかかり捕まったとしても、神殿側ならば、まだ申し開きもできる。
時間は厳しくなるが、次のチャンスも残されるであろう。
あるいは事情を知れば、禁を犯すのもいとわず、協力してくれる人すらいるかもしれない。
だが、ここにいる剣聖は神殿ではなく、聖国の人間だ。
このままシルフィが女王の手に落ちたら、どのように扱われるか。
神殿の権勢をうとましく思うヴィスコンテ女王にとって、次代の聖女の身柄は切り札とすらなりえる。
仮にシルフィを治療できたとしても、彼女が帝都に戻ることは二度とないであろう。
女王のもと、一生を幽閉されて過ごすか、それに近い状況に陥るはずだ。
青ざめるカロッツァの前に、小柄な背中が立った。
最年少の帝國騎士、黒髪の少女が剣を抜いていた。
「ここはオレがヤる。先に行っとけ」
「ロロ様っ!? ひとりで剣聖を相手に――」
「おまえらがいても役に立たねえよ! 足手まといなだけだ」
ジュリアスの言葉を一蹴して、ロロは切っ先を剣聖シャルムートに向ける。
ヘルミナは即断した。迷っている暇はない。
「……行きますわよ」
ロロがシャルムートを足止めをしているあいだに、聖域にたどりつく。
剣聖であれ、無断で聖域に足を踏み入れることは許されない。
それを守るとはかぎらないが、剣聖が名誉と規律を重んじる可能性に賭けるしかなかった。
逃げるヘルミナたちを、剣聖はなにもせずに見送った。
剣を構えたまま、ロロは尋ねる。
「いいのか?」
言外に「逃げる一行を攻撃できただろう?」との意味が込められていた。
剣聖は口をほころばせた。
そのひとことで、ロロが彼我の力量差をわかっていて、決死の覚悟で剣を構えていることが伝わったのだ。
「見逃すつもりはない。方角から察するに、向かう先は世界樹なのだろう。なにを企てているかは知らぬが、君を倒してから追えばいい」
目的、あの箱の中身に関係があるのだろうな、と目星をつけ、剣聖シャルムートは己の剣に手をのばした。
鞘に巻きついた布が、朝露で光る草に落ちる。
華美な装飾の白い鞘があらわになるより早く、陽炎のごとく、騎士剣が抜かれていた。
薄暗い森のなか、剣聖の代名詞ともいえる聖剣エクスカリバーンが、木漏れ日を集めたかのように清浄な光をはなった。




