05話 侵入
街道は、大陸の東西をむすぶ大動脈でありながら、でこぼこしていた。
「帝國も聖国も、相手を刺激しないよう遠慮しているのですわ。大きな図体をしているくせに」
とはヘルミナの弁である。
両国とも、国境近くの街道整備には、あまり力を入れていない。
たがいに引くつもりはないが、無用な争いは、それ以上に望んでいないのだ。
海老茶色の馬車が泥水をはねる。小石をはじく。
でこぼこ道が次第になめらかになって、馬車を襲う振動も小さくなっていった。
木の影が多くなってきた。
森の息吹が濃く香りだし、カロッツァたちは、聖都に近づいているのを感じとっていた。
聖都テテウはアネリヴェス湖を望む、緑に囲まれた神秘の都である。
聖国東部に位置していて、国境からはさほど遠くない。
「聖女様の帰りを待っている余裕はありませんわ」
ヘルミナは馬車の中で、旅の同行者を見まわした。
最大HPが減少しているというシルフィ。
彼女を治すのは時間との戦いでもある。
「聖域………。警備の目は国境よりも、はるかに厳しいと聞きおよんでいますが……」
金髪の少年、ジュリアスの顔は気負いすぎでこわばっている。
使命の重さと、先行きへの懸念が、未熟な騎士の肩にのしかかっていた。
「それでも行くしかねえだろ」
比べて茶髪の少年、オキアはいくぶん、くだけた様子である。
不真面目なわけではない。意識して気を抜いているのだ。
まだまだ新人ながらも、冒険者として積み上げてきた経験が、オキアにそうさせていた。
「早くしなきゃ間に合わないんだったら、行くしかないよね」
黒髪の少女ルカが、オキアに同意してうなずいた。
魔物使いのルカは、青いターバンを巻いた頭の上に小鳥を乗せ、子狼を入れたバッグを抱えている。
この三人はマルコとシルフィのクラスメイトである。
ノーステリア平原での演習から帰ってきて、シルフィの家を訪ねたとき。
ちょうど馬車が出立の準備をしているのに出くわし、彼らはそのまま同行を願いでたのだった。
ヘルミナは何秒か考え込んだのち、同行を許可した。
神殿に帰依する帝國貴族の子を演じるのに、都合がよいと判断したからである。
御者席に座る小柄な少女、ロロが馬車の中を振り返って、ニヤリと笑った。
「みんな、覚悟だけは一丁前じゃねえか」
男のように短い黒髪、額には赤いバンダナ。
年こそ十五だが、ロロはこう見えて帝國騎士の序列一桁という実力者である。
「当然です。お嬢様を治すのに世界樹が必要ならば、世界樹の生える聖域に行くまでのこと」
ノーマッド家の侍女メアリーの瞳に、決死隊の光が宿る。
メイド服には似合わない、苛烈なまなざしだ。
「強行突破か、わくわくするねえ」
ロロはなにを期待しているのか、頬を紅潮させ、ぶるりと身を震わせる。
「ロロ。強行突破はやむをえぬ場合、ですわよ」
ヘルミナは、一行の最も頼れる戦力にくぎを刺して、肩をすくめた。
暗く沈んだ森のなかに、こつぜんと、ライトアップされた鮮烈な白亜の城壁が沸いていた。
昼は壮観であろう聖都テテウの白い城壁は、夜は幻想的な光景となって、見る者を楽しませているようだ。
閉ざされた聖都の門を、馬車の窓から遠目に眺め、オキアが感心している。
「照明が当たってると遠くからでも、もう門が閉まってるってわかりやすくていいな。……聖都には入らないでいいんだろ?」
「いったん街に入ったら監視がついてしまうだろうよ。聖都が観光地といっても、さすがに我々は目立ちすぎる」
とジュリアスが答えた。
その目に、オキアの存在はまったく映っていない。
人影のなくなった街道を、神経質なほど探りつづけている。
「昼間は街道もたくさん人がいたし、さすが聖地だよね」
ルカが口にした聖地という言葉は、聖都と混同されがちだが、厳密にいえば少し違う場所をさしている。
聖都とはテテウという都市をさし、聖地は聖都テテウや世界樹の周辺一帯をさす。
そして、一行がめざす聖域は聖地の奥、世界樹のある立ち入り禁止区域のことである。
夜の帳がおりた街道の脇で、木陰に隠れるように馬車が止まった。
「さて、この時間では聖都には入れませんし、野宿するしかありませんわね」
馬車をおりながら、ヘルミナがわざとらしくいった。
一行は聖都に向け旅をしていたが、到着時刻をあやまり、街道の脇で夜を過ごすことになってしまった、という設定だ。
そのまま森に迷い込んで、あれよあれよと聖域に入ってしまう予定である。
「チュリオ、お願い」
チチ、とルカの声に従い、ローリングバードのチュリオが小さな羽を羽ばたかせた。
きりもみ状に回転しながら上空を舞い、大きく円を描くと、ルカの頭に戻ってくる。
「うん、大丈夫。近くに人はいないみたいだよ」
周囲を確認したルカが、うなずいてみせた。
ヘルミナは空間収納の魔法が込められた魔道具、魔法の袋を取りだして、手短かに指示をだす。
「馬車の分解を、急いで」
少し立派で、だいぶ頑丈なこの馬車は、実は分解できる特別製なのだ。
出立前に何度も練習したように、手際よく馬車を分解していく。
皇女や大神官まで参加した解体作業は、あっという間に終わった。
馬車だったものは跡形もなく、魔法の袋の中へと消えていった。
オキアが手をパンパンとはたく。
「こんなもんだろ」
「馬は少し森に入ったところで、木につないでおきましょう」
ジュリアスが森の奥を指さし、
「こっちにおいで」
ルカが馬を連れていく。
四頭の軍馬は手招きされるまま、ルカにおとなしくついていった。
魔物使いだけあって手慣れたものだ。
あわただしい作業が終わると、その場には大きな箱が残された。
生き物は空間収納には入らないとされている。
石像となったシルフィがどうなるかはわからないが、試してみる気など毛頭ない。
侍女メアリーがその箱を背負う。
肩にベルトが食い込んだ。
ずいぶんと重くなってしまった背中の少女に、メアリーは涙をこらえた。
メアリーは主の体重をしっかり把握している。
いつ髪を切ったのかどころか、爪を切った日すら把握している。
従者として当然だ。当然なのだ。
そんな彼女たちの姿は、夜の闇にまぎれ、なお暗い森のなかへと吸い込まれていった。




