04話 聖地をめざせ
首飾りに目をうばわれていた照れ隠しか、隊長はしきりに髭をなでまわして、
「これなら陛下もお喜びになるでしょう。いや失礼。お恥ずかしいことに、こちらの国では少々派閥争いがありましてな」
いささか重い話を口にした。
三年ほど前、ヴィスコンテ女王が即位してから、聖国では女王派と呼ばれる勢力が台頭していた。
女王派はほかの派閥に露骨に圧力をかけており、その対象は神殿にまでおよんでいる。
聖国とその国教でもあるメセ・ルクト聖教、神殿との蜜月にも、異変が生じているのだ。
「存じております。私どもも、みだりに聖都を乱すようなことは望みません。お忍びの目的もありますので……」
カロッツァは、さりげない忠告に感謝するように微笑んだ。ちらりと、意味ありげな視線を同行者へと向ける。
「……なるほど」
隊長も同じように若者たちを眺め、カロッツァの視線の意味は了解している、というふうにうなずいた。
大神官を乗せた馬車が、西へと去っていく。
馬車をあらためた部下が、隊長に訊いた。
「隊長、よかったんですか? あの子たちって、帝國の貴族でしょう?」
大神官カロッツァに問題はない。
だが彼女の連れた若者たちは、おそらく帝國貴族だろう。
こんなに簡単に、聖国へ入れていいのだろうか。
これでは、ほとんどノーチェックではないか。
国境警備隊に配属されたばかりの部下には、馴染みがなかったが、そこには理由があった。
「大丈夫だ。お忍びの旅だといっておられただろう。身分を隠した帝國貴族の若者を連れ、神官が聖地詣でをするのは、たまにあることなんだ。……さすがに大神官様とは驚いたがな。
まあ、女王陛下への貢ぎ物さえあれば、私たちが罪に問われることもないだろうよ」
大国並び立たず。
聖国と帝國はたがいに隙あらば、と常に機をうかがっている。
それはなにも国境線にかぎったことではない。
帝國貴族が神殿に帰依する。
帝國上層部に神殿の影響力が増すことは、聖国にとって願ってもないことなのだ。
自分とは縁遠い、政治の話である。
実感がわかず、部下は首を振った。
「メティスレイヒェ大聖堂の大神官さまかあ、とんだ大物でしたね」
「正直、肝を冷やしたな。もし聖女様側でなく、女王陛下側の大物に無礼をはたらきでもしたらと思うと……」
「勘弁してくださいよ」
部下は思わず身震いした。
政治に興味がなくとも、ヴィスコンテ女王がふたりの姉と母王を殺害し王位についた、という噂くらいは知っている。
うらみがましい視線を隊長に向け、話題をさきほどの大神官様に戻す。
「それにしても、すごい美人でしたねぇ」
「おまえはカロッツァ様を知らないのか?」
隊長はあきれたように言うが、部下からしてみれば心外だ。
「知りませんよ。だって大神官さまといっても帝國の人でしょう?」
「それはそうだが。あのかたは次の聖女様のご母堂だぞ」
「うへぇ!? ホントに大物じゃないですか」
部下にとっては、大神官という立場よりも、聖女の母親という立場のほうが、よほど大きいもののようだ。
「……だから大物だといっているだろう」
帝國神殿の大神官、という時点で相当な大物なんだがなあ。と、隊長はおおげさに嘆息した。
部下が有能だと、追い越されてしまうのではないかと心配になるそうだが、どうやらその心配とは縁遠いようだった。
馬車は道を跳ねていた。
荒々しい音も、衝撃も、かまうことなく急ぎつづける。
――この帝國貴族の若者たちは、神殿の敬虔なる信徒となる道を選んだのだろう。大神官に導かれ、こっそり聖地参りをする道中なのだ――
そう思われた一行は、監視の目がないことを確かめてから、緊張の糸を解いた。
ヘルミナは、ほうっておくと巻が強くなる、黒い髪をのばしながら口を開く。
「なんとか、第一関門は突破しましたわね」
「ええ。少々の不審の目はこの際、致し方ありません。本当は聖女様と連絡が取れればよいのですが……」
こたえるカロッツァは、娘を救う決意をあらわすかのように、唇を噛んでいる。
石像となったシルフィを治療する方法。
はるか東から、マルコが伝えてきたその治療法は、世界樹を必要としていた。
なお、伝達方法は風のスライムを利用した遠距離通信だったが、その仕組みはマルコ以外、誰も理解できていない。そのアエロースライムも大陸間通信で力を使い果たしたのか、消滅してしまった。
世界樹があるのは聖地の奥深く、聖域と呼ばれる立ち入り禁止区域である。
聖域へ足を踏み入れるには、神殿の最高権力者、聖女グラータから許可を得なければならない。
しかし、今、グラータは聖都にいない。
聖女様は聖都を離れ、諸国行脚の最中である。
早急に聖都に戻るよう、帝國神殿から再三連絡を送っているが、戻るのがいつになるかはわからなかった。
ならば、どうすればいい。
おとなしく待てばいいのか。
治療法を知ったそのとき、カロッツァは大神官という立場を捨て、
「なにをさしおいても、世界樹のもとへ急がなければなりません。無断で侵入するしかないでしょう」
禁を犯すと決意した。
その場にいあわせた皇女ヘルミナは、力強くうなずいた。
「もちろん、わたくしも同行させていただけますわね?」
帝國の皇女が聖国の地を踏んでも、問題にしかならないだろう。
逆に言えば。バレなければ、なにも問題はない、ということでもある。
「途中で軍馬を借りながら進めば、半分ほどの時間で着くはずですわ」
普通なら、帝都から聖地まで、急いでも六日はかかる。
だが、皇女であるヘルミナには急ぐ手があった。
その道のりのほとんどは帝国領なのだ。
皇族の特権で軍馬を調達しては乗りつぶし、昼夜を問わず進めば、時間は大幅に短縮できるはずだ。
そうして馬車は国境を越え、聖地を見据え、走りつづける。




