01話 魔大陸
石化したシルフィの治療法を求め、マルコは魔大陸へと旅立った。
魔大陸の空は紫色の重そうな雲におおわれていた。
腸管がぜん動するような不気味な雲は、たえず帯電して、ときおり戯れるように雷を落としては、赤茶色のひび割れた大地を焦がしていく。
この苛酷な魔大陸でも、人類はひっそりと、たくましく暮らしていた。
雷が落ちるより早く、ひときわ高い尖塔に導かれ、消えていく。
魔王城に生えた尖塔のおかげで、魔都リョーシカの民は、雷の心配だけはしないですむのだ。
この黒い尖塔、文字どおり、魔王城から生えている。
魔王城は、艶やかに黒光りする黒樹海の木材でつくられていた。
なかば生きた、呼吸する城。
魔王城は雷をも養分にしてしまうのだ。
その魔王城の黒い一室で、三面六臂の大男が机に囲まれていた。
両側の壁に棚が、中央に机が置かれただけの簡素な部屋だ。
魔王軍四天王の一人、『穴壊』のアシュラッド。
赤銅色の肌をしたアシュラッドは、魔国の宰相でもある。
三つ並べた机の中央に陣取り、今日も誰より仕事をこなしていた。
魔王ドラエモフは、かつてマルコに語った。
「我が魔王軍最高の人材は、間違いなくアシュラッドだ」
得意げな魔王の前で、どうせろくでもないことを聞かされるのだろうと、マルコの表情は冷えきっていた。
「奴は一人分の給料で三人分の仕事をこなす。考えてみろ。奴がいれば宰相の仕事だけでなく、吾がサボった分の仕事を押しつけることもできる。そのうえ、吾がしでかした分の後始末も含めて三人分だ!」
マルコの予想を上回る、ろくでなしの発言であった。
そんなアシュラッドが三本のペンを走らせながら、ときおり胃をおさえていると、ドアが乱暴に開かれた。
リザードマンの兵士が、息せき切って飛び込んでくる。
「アシュラッド様! 大変です!」
「はいはい。私はいつでも大変ですよ。何があったのですか?」
「また魔王様が逃げ出しました! 書類の山は手つかずのままです!」
「ぐふっ」「がはっ」「うぐっ」
アシュラッドは三面そろって、仲良く血塊を吐き出した。
彼は三面平等を心がけているのだ。
こんなことまで平等じゃなくてもいいが、胃は一つしかないので、同時に血を吐くのもやむをえないのである。
「た、大変だ! アシュラッド様がもっと大変なことに!?」
言葉のナイフで四天王を倒してしまった。
リザードマンはさらに慌てふためく。
顔を青くして、もとから青いが、アシュラッドに駆け寄った。
「お気を確かに! あなたがいなくなったら誰が仕事をするのです!」
上司の心配もするが、仕事の心配もしていた。
「医者だ、薬師だ! シール婆さん、婆さんを早く!!」
リザードマンが薬師の名を叫んだ。
そこへ駆け込んできたのは薬師の婆さんではなく、狼の獣人だった。
「宰相様っ、大変ですっ!」
「こ、こちらも大変なのですが……今度はなにが起きたというのですか?」
「魔王様が、マルコに捕まって帰ってきましたっ!」
「おお、いいところに」「は、早くエリクシールスライムを」「胃が、胃が……」
日々、魔王との対決を強いられているアシュラッドの胃は、とっくに限界に達していたのであった。
魔王ドラエモフの執務室も、アシュラッドのものと同じく、王とは名ばかりの簡素な内装であった。
質実剛健……そうではない。
魔王様が礼儀正しく、窓から逃げ出すとはかぎらない。
ときに、壁をぶち抜いて逃げ出すこともあるのだ。
高価な調度品など、邪魔にしかならないのである。
壁に空いた穴は、魔力を注げばだいたい元どおりになるので問題ない。
部屋のなかにいるのは三名。
いずれも最強と、魔大陸で名高き猛者ばかりだ。
マルコが早口で、帝都で起きた出来事とシルフィの症状を伝えると、
「回復魔法もエリクサーも効かない石化、なるほどねぇ。なかなかおも――珍しいことになってるわねぇ」
マルコの隣に立つ、四天王にして最強の魔法使い、『発金』のルディアが、好奇心に金の瞳を輝かせた。
ルディアは、腰までのばした髪と尻尾が白い、九尾の妖狐である。
いつものように黒い着物を着崩して、豊かな胸元をあらわにしている。
その美貌と知的探究心は、年をへても若々しさを保ったまま、変わることはない。
年齢は聞かないほうがいい。
「それでなぜ、吾が黒焦げにならねばならんのだ?」
魔王ドラエモフは椅子に座って、机にだらしなく肘を置き、頬づえをついていた。
『無責任』という異名が、これほど似合う男もいないであろう。
額に二本の黒い角、背に黒い翼を生やした最強の竜人は、髪どころか服まで黒かった。
今しがた着替えたばかりである。
先ほどまでマルコに撃ち落とされて、肌まで一部、こんがりと黒くなっていた。
そこは気合いで復活して、もとの灰色の肌を取り戻している。
「正直、その件については申し訳ない。でも、こっちも時間があまりないんだ」
マルコはちょっとばかし、身を小さくして謝った。
ねずみ色の髪の少年、マルコは底辺職でありながら『理不尽』の二つ名を与えられた、最強のスライム使い《マスター》である。
帝都ウーケンのパラティウム帝立学園に通っているマルコが、なぜ魔大陸に戻ってきたかというと、石化したシルフィの治療法が帝都では見つからなかったからだ。
戻ってきたら、魔王様が空を飛んで、行方をくらまそうとしていた。
魔王軍における魔法の第一人者はルディアで、二番手はドラエモフである。
このふたりを当てにしてきたのだ。
捕まえないわけにもいかなかった。
「あら、城から逃げる魔王様をマルちゃんが撃ち落とすって、よくあることじゃない」
「そんなに撃ち落とされてはおらん!」
「やっぱり逃げ出してたのか」
マルコはあきれて半眼になった。
ドラエモフは、咳払いをしてから口を開く。
「と、ともかくだ。その少女の身に起きたのは、状態異常ではない」




